シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

あなたは頼れる方がいますか。

2006-12-31 14:13:26 | 礼拝メッセージ
 2006年も暮れようとしています。あなたのこの一年はどんな一年でしたか。わたしは5月に宮崎県教会めぐり夫婦旅行で、主にある兄弟姉妹とお会いして貴重な経験をさせていただきました。8月からは父のホスピス入院があり、11月6日には天に送り出しました。いろんなかつてない経験を通してイエス様の助けと支えをいただきました。今年最後の聖書の言葉は次の言葉です。
 
 主よ。私の祈りを聞いてください。
 私の叫びが、あなたに届きますように。   
 私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。
 私に耳を傾けてください。
 私が呼ぶときに、早く私に答えてください。                                                                     詩篇 102篇1~2節


 わたしたち人間は強いようで本当は弱い存在です。あなたは苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、問題にぶつかったとき誰にその思いを持って行きますか。わたしたちの思いを受け止めてくださる神様、イエス様がいらっしゃるということはなんとすばらしいなぐさめでしょうか。
 宗教上のことであればバカらしくてやってられません。それは偽善です。虚偽です。しかし、天地を造られた神様、あなたと私を造られた神様がいてくださるのです。

 私は山に向かって目を上げる。
 私の助けは、どこから来るのだろうか。
 私の助けは、天地を造られた主から来る。
               詩篇 121篇1~2節



 神様が遣わしてくださった救い主イエス様を心から信じて罪を赦していただき、神様と和解しましょう。イエス様はあなたを今よりとこしえまでも守ってくださいます。

 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。                                                 詩篇 121篇7~8節


 一年間ありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。

年末の苫小牧秀峰樽前山

2006-12-28 18:54:40 | エッセイ
 いよいよ2006年も終わろうとしています。
 今朝は、朝日に照らされた樽前山がまたまた美しかったです。
 街には雪のかけらもありませんが、毎日雪化粧された樽前山を眺めることができます。

 「神は雪に向かって、地に降れと命じ、夕立に、激しい大雨に命じる。・・・・・・神がこれを起こさせるのは、懲らしめのため、あるいは、ご自身の地のため、あるいは、恵みを施すためである。」          ヨブ記37章6~13節

クリスマスー神様はあなたを見捨てていない

2006-12-24 21:24:15 | 礼拝メッセージ
 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。                      ヨハネ福音書1章18節

 
クリスマスおめでとうございます。
 何がめでたいかと言うと。神様が人となってこの地上に生まれてくださったからです。それは、神様がまだわたしたち人間を見捨てていないということです。
 親子での殺し合いをしたり、戦争によって殺し合いをしたり、お金を盗るために老人を襲ったり、自分を正当化するために人を蹴落としたり、人をいじめて自殺に追いやったり、けものよりひどい私たち人間の仕業です。
 神様が思いもよらないような罪に罪を重ねている私たち人間を神様は救おうとしておられるのです。そのために愛するひとり子の神イエス様を誕生させてくださったのです。これがクリスマスです。
 わたしたちはいろいろなことを知っていると思っても、知っていることはごくわずかなのです。日本のことや世界のことは知らないし、専門分野のことはさっぱりわかりません。過去のことや未来のこともわかっていることはごくわずかです。ましてや神様のことや救いのこと、自分の存在、自分の生まれた意味、死後の世界、罪のこと、真実と偽り、わたしたちは何もわかっていないのです。
 すべてを支配なさっている神様から掲示してもらわなければわからないのです。クリスマスも神様が与えてくださった聖書があるから知ることができたのです。イエス様が神様の元から来てくださってすべてを教えてくださったのです。
 イエス様を見ると神様がどんなお方か、どんなことを言っておられるかが私たちにもわかるのです。神様はイエス様を通して私たちに救われてほしい、関係を改善してほしい、信じて従ってほしいと願っているのです。

積雪ゼロの苫小牧

2006-12-23 01:14:43 | エッセイ
 
 苫小牧は観測史上初の積雪ゼロだそうです。暖冬ですね。でも、樽前山は真っ白、今日も美しいですね。
 明日23日の夜はクリスマス礼拝です。まぁ、救い主イエス様が生まれたのは冬ではないそうですが、みんなでイエス様の救いを感謝してお誕生をお祝いするのはうれしいですね。たくさんの方々が集まってくださることを祈ります。
 それにしても、宇宙や地球、生き物や私たち人間を造ってくださった神様が人となって誕生してくださり、私たちを罪から救うために十字架にかかって死んでよみがえって下さったのですから驚きですね。ただただ「イエス様ありがとうございました」と言って感謝するだけですね。
 あなたも心から愛されてますよ。イエス様は命がけであなたを守っておられます。命を大切にしましょう。罪から離れてイエス様を信じて従いましょう。

クリスマスの意味

2006-12-17 23:31:57 | 福音メッセージ
 クリスマスは何かしら楽しいウキウキ気分になりますね。どことなく平和で、やさしい気持ちになれそうな気がします。
 では、クリスマスの本当の意味とは何でしょう。クリスマスの本家本元聖書はこう言っています。

しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。ヘブル 7:24」

 
①  イエス・キリストはただの人ではなく、永遠の神様  が人となって生まれて下さったのです。驚くべき奇跡ですね。だから、世界中の人たちがみんなでお祝いするんですね。祭司とは、神様と人との間を取り持ってくれる人のことです。

 
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。1テモテ 2:6」

 
② クリスマスの意味はイエス・キリストが十字架で死ぬために生まれたということです。罪がないのに私たちの身代わりに、死ぬために生まれてきたということは、過酷で厳粛な生き方ですね。
 わたしたちも「クリスマスだ~」と浮かれてばかりいないで、イエス様の死を無駄にしないように、真剣にイエス様と向き合ってイエス様の救いをいただきましょう。そこに、本当の生き方、人生、家庭、社会があるのです。

若い時の無茶

2006-12-17 23:06:16 | 礼拝メッセージ
 私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみのゆえに。主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。   詩篇 25篇7~10節

 
あなたは若い時の罪で悔やんでいることはありませんか。この詩篇を書いたダビデ王は、部下の奥さんと不倫関係にあって、それを正当化するためにその部下を戦争の最前線に送って意図的に殺してしまったのです。
 その部下の奥さんを正式に抱えいれた時、神様からその罪を指摘されてしまいました。ダビデ王は罪を悔い改めましたが、大きな代償を払うことになりました。
 ダビデ王はこの詩篇で、神様の哀れみと慈しみを求め、罪を赦してくださいと告白しています。そして、神様の正しい道を求めています。神様の道を歩む決意と、神様の契約を守る信仰の告白があります。
 「自分の子を3人持って、はじめて親の恩を知る」と言われています。若い時は、親の言うことがうっとうしく、自分の考えが新しくて正しいと思い込んでいます。人の親になってようやく親が自分のことを心配して愛していてくれたことを知ります。
 親に感謝しましょう。若い時の無茶を詫びましょう。そして、なによりも天のお父様である神様に感謝をせず、信ぜず、従ってこなかったことをお詫びしましょう。仲介者である救い主イエス様が受け入れて、豊かに赦してくださいます。
 赦された人ほど、解放され自由で生き生きと生きられる人はいません。あなたもイエス様を受け入れましょう。今は、クリスマスシーズンです。良いチャンスです。

ドンチャン騒がないクリスマス

2006-12-12 01:00:08 | 案内


クリスマスはあなたと私の救い主、イエス・キリスト様の

誕生をお祝いする日です。教会でドンチャン騒がず静

かに楽しくクリスマスを過ごしませんか。

23日(土)夜7時から礼拝とコーヒータイム(ケーキあり)

の時を持ちます。あなたもお気軽においで下さい。心よ

りお待ちしております。
(入場無料)

苫小牧めぐみキリスト教会


うれしい、たのしい、こどもクリスマス会

2006-12-12 00:44:01 | 案内

今週の土曜日16日午前10時から

「うれしい、たのしい、こどもクリスマス会」

をします。みんな、おともだちといっしょにあつまってね。

クリスマスアニメーション、クリスマスゲーム、せいしょのおはなし、クリスマスソング、ステキなけいひんが当たるちゅうせんかいなど、うれしい、たのしいことがいっぱいだよ。きてね。

苫小牧めぐみキリスト教会ジョイジョイクラブ

悪魔は実在する。

2006-12-10 22:56:21 | 礼拝メッセージ
 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」   ヨハネの福音書9章25節

 
イエス様はまたまた挑発的なことをしました。安息日に生まれつき盲目の人の目をいやされたのです。当時の人たちは盲目の原因を家系や親や本人の罪だと考えていました。しかし、イエス様はそうではなく神様のわざが現れるためだと言われました。
 あなたもわたしもすべての人が、神様の栄光のために存在しているのです。わたしたちは、自分の意思で家系や両親、土地、時代を選んで生まれてきたわけではありません。神様がご計画をもって命と人生を与えてくださったのです。わたしたちの命と人生は自分のために使っていいのではなく、神様の栄光を現すために使われるものなのです。イエス様のおっしゃることを信じてそのとおり生きることなのです。
 わたしたちはとっても価値のあるすばらしい存在なのです。自分を過小評価してさげすんではいけません。自分の心も体も命も自分勝手に使ってはいけないのです。自殺してはいけないのです。それはあなたのものではなく神様、イエス様のものだからです。もし自分を嫌っているとしたらそれは悪魔にだまされているということです。悪魔は実在するのです。

 
悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。 ヨハネの福音書8章44節

 
悪魔にだまされないようにしましょう。「お前はだめ人間だ。」と言われても受け入れないことにしましょう。それは悪魔のうそだからです。イエス様は「あなたは高価で尊い。すばらしい存在だ。」と言ってくれ、わたしたちを救うために自分の命を十字架に捨ててくださったのです。それほど愛される存在なのです。うれしいですね。イエス様に感謝。

ますます過激な人 イエス様 パートⅢ

2006-12-03 20:46:48 | 礼拝メッセージ
 イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。(ヨハネの福音書  8章30節)・・・・
 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネの福音書  8章44節)・・・・
 すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。(ヨハネの福音書  8章59節)

 
またまた、イエス様の過激な発言です。イエス様の行いと言われることを聞いて多くの人がイエス様を信じました。しかし、彼らの信仰は頭だけの、言葉だけの信仰だったのです。
 イエス様はそのことを見抜いておられ、彼らの本質を責めたのです。彼らのプライドです。「我々は信仰の父アブラハムの子孫だ」「神様の律法を持っている選民だ」「ほかの罪ある汚れた民族とは違う」「我々はみんなの宗教面を司っている」。彼らはイエス様を信じたと言いながら,イエス様が天地を造られた神様の元から来たこと、イエス様がその神様と同一であることを認めなかったのです。
 そんな彼らをイエス様は、「悪魔、うそつき、人殺し」呼ばわりしたのです。過激ですね。当時の名士、実力者、宗教家である人たちに対してそう言ったのです。イエス様を信じた彼らは舌の根が渇かないうちに、イエス様から罪を指摘されて悔い改めることをしないで、反対に石を持ってイエス様を殺すほどに憎んだのです。
 人は自分に都合の良いことは信じ受け入れるが、気に食わなければ相手を抹殺してしまうのです。イエス様は命をかけて私たちを愛してくださいました。イエス様の愛は真剣な愛なのです。私たちが信じても信じなくても良い方ではないのです。イエス様はねたむ方、嫉妬深い方です。私たちの真剣な応答と真剣な愛、真剣な服従を求めておられます。私たちの存在理由、それはイエス様を愛して生きることです。