シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

感謝しよう

2010-08-29 16:48:13 | 礼拝メッセージ
 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。  
 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。
 私たちの神は焼き尽くす火です。   
                                 ヘブル 12:27~29

 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。  
 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。               
                                Ⅰコリント 15:57~58

 私たちは、なぜ、いつも感謝できないのでしょうか。それは、私たちが主からいただいているすばらしいものをしっかりと捉えていないことと、いろいろなことが自分の思い通りにならないからです。その不平不満が主に喜ばれる奉仕を嫌なものにし、主のわざに励む心を失わせています。
 しかし、聖書は、私
たちがイエス様からすばらしいものをいただいていると言っています。

  ・決して揺り動かされない御国
  ・サタン・悪霊・罪・死からの開放と勝利

 私たちは、この上ない物をいただいていながら、、そのすばらしさを認識していないがために感謝することを忘れてしまっています。
 永遠に揺るがない天国と悪しき者に対する勝利があるならば、そのほか何が必要でしょうか。
 自分に降りかかる様々なことは、すべて主の許しのもとに起こっていることです。自分を省みると共にその悪く思えることがどのように主によって益に変えられるか期待しましょう。
 自分が整えられ、矯正されることに感謝しましょう。
 状況が悪いように見えても、私たちが主に感謝することによって、主のわざに励むことができます。
 

 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
 いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
 御霊を消してはなりません。
 預言をないがしろにしてはいけません。
 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
 悪はどんな悪でも避けなさい。                
                              Ⅰテサロニケ 5:15~22

 全てのことに対して感謝しましょう。いやなことでも、辛いことでも、感謝しましょう。イエス様のみことばに従う者を、イエス様は助けてくださいます。

神の国とは?

2010-08-22 18:24:28 | 礼拝メッセージ
 この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」  こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。 
 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。  
 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」
 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種を取って、3サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」                    
                                   ルカ 13:16~21

 イエス様の第1声は、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」でした。「神の国」はイエス様が人々に伝える重要なポイントでした。 
 「神の国」は「からし種」や「パン種」にたとえられています。
 小さいものから始まって大きな影響を与えるものです。私たちの信仰も、小さく弱いものとして始まったかもしれません。しかし、主の力はそれを大きく成長させて有益なもの、まわりの人を祝福するものとしてくださいました。
 
 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」                     
                                    ルカ 17:20,21
 
 その「神の国」は私たちのところに到来し、私たちが所有できるものとなりました。自分自身を主に全て明け渡す時、主は私たちの内に「神の国」を実現してくださるのです。
 私たちが自己中心の信仰になってしまって、自分にとって都合の良いことだけ信じて、自分自身を主に明け渡していないのであれば、主は「神の国」を私たちの内に実現することはできません。
 「神の国」にふさわしい者となりましょう。
みことばには「神の国」にふさわしい者についても記されています。  

 別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」                                  ルカ 9:61,62

2010日高ヤングサマーバイブルキャンプ

2010-08-16 17:23:05 | 礼拝メッセージ

 国立ひだか青少年自然の家で開かれた、2010日高ヤングサマーバイブルキャンプへ行ってきました。

 小中高生と聖書を学び、スポーツやゲームをして楽しんできました。(寝不足で疲れています。)

 テーマは「たいせつなきみ!」です。

 一人ひとりがイエス様に愛されていること、とても大切な存在であることを教えられました。

室蘭聖書教会のグドール・リチャード宣教師です。神様の存在と罪からの救い、単純な信仰の大切さを教えていただきました。

 
 


 2日目の夜は各教会の出し物です。

 旭川神愛キリスト教会のみなさんは、手話賛美「救い主神のみ子」を披露してくださいました。

 キリスト北見こひつじ教会のみなさんは、なぞかけを披露してくださいました。
 即興なぞかけもありました。(お見事)

 


 聖餐式の奨励から

 「自分を吟味する」

 

 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
 
したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
 
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
 
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。
                                Ⅰコリント 11:23~32
 

 毎週毎週、イエス様の聖餐に与る時に深くその意味を心に留めましょう。

 ・イエス様の尊い犠牲を覚える。
 ・自分がイエス様に愛されていることを覚える。
 ・イエス様によって罪赦されていることを覚える。
 ・イエス様の復活を覚える。
 ・イエス様の再臨を告げ知らせる。

 軽々しく与らずに心して与りましょう。
 主のみことばを軽んじ、聖餐を軽んずると「弱い者」「病人」「死人」が増えます。
 自分を省みて懲らしめられても、悔い改めるところに主の祝福があります。
 「愚直」にみことばを信じて、「愚直」にイエス様に従いましょう。



正しい者の拠り所

2010-08-08 18:56:30 | 礼拝メッセージ
 主に私は身を避ける。 
 どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
 「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。  
 それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみ で心の直ぐな人を射ぬこうとしている。  拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」                    
                                    詩篇 11: 1~3

 これは、ダビデがサウル王から逃れている時に人々が言ったことばとされています。ここで、拠り所とは法や秩序の事です。サウル王自身が国の法律や主の秩序を破って、罪のないダビデをねたみから殺そうとしていました。そんな社会秩序が崩壊していては、人は安心して生活できません。
 私たちの拠り所の1つ、それは正義が保たれている社会です。新約聖書でも王と政治家のために祈るよう勧めています。


 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
                                  Ⅰテモテ 2: 1~3


 天皇皇后陛下、首相、大臣、知事、首長のために正義が守られ、イエス様を信じることができるようにお祈りしましょう。イエス様の前に喜ばれる良いことです。
 もう1つの大切な拠り所はもちろんイエス様であり、聖書のみことばです。
 ダビデも詩篇 11: 1で、社会秩序が失われたような状況であっても「神様に信頼します」と告白しています。
 私たちも信仰の拠り所をなくしたり見失ったりしたら何ができるでしょうか。 
 

 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。まことに、彼らは不正を行なわず、主の道を歩む。 
 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。 
 あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。  
 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。  
 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。  
 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。                                
                                    詩篇 119: 2~11

 信仰の拠り所であるイエス様のみことばは「さとし、戒め、おきて」です。私たちにとっては好ましいことばかりではありませんが、それによって「恥じない歩み、きよい歩み、主に罪を犯さない歩み」を獲得することができます。
 イエス様ご自身とみことばを求め続けていきましょう。拠り所を軽んじたり、捨て去ることは致命的です。
 

2010 ヤングサマーバイブルキャンプ

2010-08-01 19:43:16 | エッセイ
2010 ヤングサマーバイブルキャンプが開催されます。
テーマは「たいせつなきみ!」
2010年8月14~16日、場所は国立ひだか青少年自然の家です。
道内4教会から若者(幼児~大学生)まで総勢45名参加します。
一人ひとりが日高の大自然の中で救い主イエス様に出会って従う人になってほしいです。

楽しみです。

祝福されている人生

2010-08-01 18:42:34 | 礼拝メッセージ
 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
 神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。                
                                    エペソ 1: 3~9

 私たちは、イエス様によって測り知れない祝福をいただいています。
 それは、創造主である神様が天地創造の前から私たちを愛し、救いに選んで下さった恵みです。

 ①天にある全ての霊的祝福をすでにいただいている。
 ②天地創造の前から私たちはイエス様にあって愛によって選ばれていた。
 ③汚れた罪人の私たちの罪を赦して御自分の前に回復させようとされた。
 ④サタンの子であった私たちをイエス様によって御自分の子にしようとされた。
 ⑤イエス様の血による贖い、罪の赦しを受けている。
 ⑥神様の存在や救い主イエス様について奥義となっていたことを知らせてくださった。
 ⑦天国を受け継ぐ者となった。
 
 私たちは、このようにたくさんの祝福をいただいています。「神様祝福を下さい。」と祈る必要はありません。すでに、いただいているのです。聖書のおことばをありのまま受け入れ、祝福されていることを感謝しましょう。
 主に対する罪や不平不満が妨げになっていることがあります。悔い改めて、心の目が開かれるように祈りましょう。
 この聖書の箇所でもうひとつ注意することは、あくまでもほめたたえられるべき主体は、父なる神様でありイエス様であると言うことです。祝福をいただいた私たちがほめたたえられるのではなく、神様ご自身、神様の救いと愛の業がほめたたえられるべきです。
 すべての中心は父なる神様とイエス様がほめたたえられることであることを忘れないようにしましょう。自分中心に考えないように。

 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
 私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。                   
                                  コロサイ 1:27~29

 なんと、神様は私たちの内に栄光のイエス様が内住してくださっていることをみんなに知らせようとされています。私たちは測り知れないお方と祝福をいただいています。その祝福を独り占めしないで受けた光を世に現しましょう。