シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

あなたの敵を征服することができる神

2010-11-07 16:25:43 | 礼拝メッセージ

「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。
 あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。わたしは、雷の隠れ場から、あなたに答え、メリバの水のほとりで、あなたをためした。        セラ
 聞け。わが民よ。わたしは、あなたをたしなめよう。イスラエルよ。よくわたしの言うことを聞け。
 あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。
 わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
 しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。
 それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんぱかりのままに歩かせた。
 ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。
 わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」           詩篇 81: 6~14

 主は、雷の隠れ場から答え(出エジプト20:18)、メリバで試みた(出エジプト17:6,7)方です。イスラエルの民は、これほどご自身を現し、必要を満たして養ってくださった主を捨てて、ほかの神々に仕えてしまいました。
 主は、民をその思いのままに歩ませました。その結果、民は敵の手に陥ってしまい、自由と喜びと快楽を求めたのに束縛と悲惨と苦痛を招いてしまいました。それを、実行されたのはです。
 

 あなたがたのうち、だれが、これに耳を傾け、だれが、後々のために注意して聞くだろうか。だれが、ヤコブを、奪い取る者に渡し、イスラエルを、かすめ奪う者に渡したのか。それは主ではないか。この方に、私たちは罪を犯し、主の道に歩むことを望まず、そのおしえに聞き従わなかった。そこで主は、燃える怒りをこれに注ぎ、激しい戦いをこれに向けた。それがあたりを焼き尽くしても、彼は悟らず、自分に燃えついても、心に留めなかった。                                イザヤ42:23~25 

 あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
 あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」
 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。                  イザヤ48:17~19


 主は言われます。「あなたが現状を悔い改めて、私に聞き従うなら、私が敵の手から開放します。」
 あなたも、主の束縛(?)から逃れて自由を求めたために、敵の手に陥っているところはありませんか。
 今一度、原点に立ち返って、「主に対する、感謝、礼拝、献金と返金、みことばと祈り、集会への出席、兄弟姉妹に仕える、イエスさまを証しし、伝道する。」ことを主によって回復させていただきましょう。
 そうすれば、とうとうと続く川の流れのように、絶え間なく繰り返す海の波のように、幸福と正義がやってきます。そして、あなたを通して家族や友人、隣人がイエス様によって救われます。
 主は、あなたの敵をもちろん征服することができます。しかし、あなたが明け渡さなければ、手を付けることはできません。


あなたの敵は?

2010-10-31 14:00:48 | 礼拝メッセージ

 永遠の廃墟に、あなたの足を向けてください。敵は聖所であらゆる害を加えています。
 あなたに敵対する者どもは、あなたの集会のただ中でほえたけり、おのれらの目じるしを、しるしとして掲げ、森の中で斧を振り上げるかのようです。
 そうして今や、手斧と槌で、聖所の彫り物をことごとく打ち砕き、あなたの聖所に火を放ち、あなたの御名の住まいを、その地まで汚しました。
 彼らは心の中で、「彼らを、ことごとく征服しよう。」と言い、国中の神の集会所をみな、焼き払いました。
 もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつまでそうなのかを知っている者も、私たちの間にはいません。神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。                       
                                  詩篇 74: 3~10

 神様に逆らう敵は数多くいました。主の神聖な聖所や集会所を破壊し、主にある集まりを散らし、神様の民を征服しようとしています。この時代、外的な軍事力によって主に対する礼拝が壊されてしまいました。

 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
                               マタイ 13:37~40

 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
                               Ⅱコリント11: 3 

 新約聖書の時代にも、サタンは教会を荒らし、クリスチャンを食い尽くそうと休みなく働いています。
 現在、日本にあって強力な迫害や力による圧迫は少ないでしょう。しかし、霊的な面では激しい攻撃があります。
 私たちの敵は、間違いなくサタン・悪霊の働きではありますが、それ以上に思いに働くなまぬるさかもしれません。
 今まで、イエス様のことについて熱心だったのに、冷えてしまい。教会の集まりや働きに熱心だったのに、集まらなくなる。心から喜んで主に献金をしていたのに、献金額を減らしていく。
 このように、私たちの心に働いて、主に対する思いを冷え込ませてしまう、これが、サタンの攻撃です。
 旧約時代に、神殿が破壊され、集会が開かれず、主の民が捕らえられて力が弱まったように、教会も建物こそ破壊されないまでも、集会が衰退し、クリスチャンの心が世の事柄に捕らわれ、教会が弱くなってしまいます。

 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰にたって、この悪魔に立ち向かいなさい。      
                                  Ⅰペテロ 5: 8,9

 現状を省みて、イエス様のもとに立ち返らせていただきましょう。
 なまぬるさを持ち込む悪魔に立ち向かい、思いを清めていただきましょう。
 
 


祈りを聞かれる方

2010-10-24 18:06:28 | 礼拝メッセージ

 神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。
 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。
 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。                           詩篇 65: 1~4

 罪や咎が私たちを圧倒していても、私たちには悔い改めて近づく者を受け入れて赦してくださるイエス様がいらっしゃいます。イエス様は私たちの叫び祈る声を熱心に聞いてくださる方です。
 多くの人が、孤独と寂しさの中で打ちひしがれています。家族があり、友人があり、同僚がありながら受け入れられていないと感じています。愛する家族、優しい友人、助けてくれる同僚がいても、人間には限界があります。
 しかし、どんなに打ちひしがれた者でも、イエス様は受け入れ励ましてくださいます。

 あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。
 もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙――それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日――会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。
 あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。
 あなたがたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。    イザヤ 1:12~15

 しかし、私たちがイエス様の下に行く時、二心であってはいけません。吐き出されてしまいます。形だけ整え、ポーズをとっていればイエス様が無条件で受け入れてくれるわけではありません。
 真心からへりくだって真実な思いをイエス様に伝えましょう。

 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。                   ヘブル 5: 7
 
 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。           ヤコブ 5:16

 祈りは、神様を動かします。祈りによって大きな力が働いて主のみこころがなされます。イエス様でさえ大きな叫び声と涙をもって父なる神様に祈りました。私たちはなおさらへりくだって祈り続けましょう。イエス様が応えて下さいます。


たましいをお任せしなさい。

2010-10-17 12:48:31 | 礼拝メッセージ

しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。                             Ⅰペテロ 4:16~19

 さばきがクリスチャンから始まっています。イエス様を愛して従っているのか、それとも自分自身を愛しているのかが問われています。
 「キリスト者として苦しみを受ける」とは、自分自身を喜ばせるのではなく、イエス様を喜ばせることです。
 クリスチャン生活に苦しみは付き物です。そんな時に、あなたのこころは平安ですか。
 あなたは自分のたましいをだれに任せていますか。あなたの「もやもやした、辛くて叫びたいような、どこかにぶつけたいような、日本海溝に沈んでいるような、そっとしておいてほしいような、誰かにわかってほしいような」そんな気持をだれに任せますか。
 神様以外の人や物ですか。自分自身で抱え込んでしまっていますか。それとも真実な創造者であるイエス様にですか。

 ですから、あなたがたの今の苦しみが、神様のお心にそうものであるなら、なお続けて善を行ないなさい。そして、あなたがたを造られた神様に、すべてをお任せしなさい。神様から見捨てられることは、決してありません。(リビングバイブル)                    Ⅰペテロ4:19

 全幅の信頼を寄せる者をイエス様は決して見捨てません。

 ですから、神のみこころに従って虐待され(苦しみを受け)ている者は、正しい事を行ない、自分の魂をその創造者であられる忠実なかた(決して見捨てられることのないかた)に(預金をするように)おゆだねしなければなりません。  (詳訳聖書)                                    Ⅰペテロ4:9
 
 正しい事を行い、銀行に預金するように普通に自然にイエス様に信頼しましょう。


祝福を受け継ぐために召された者

2010-10-10 14:57:26 | 礼拝メッセージ

 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 Ⅰペテロ 3: 8,9
 
 私たちがイエス様の救いをいただいたのは、何のためだったでしょうか。
 私たちがイエス様からいただいたものは、「窮屈で煩わしいもの、自分が望まない嫌なこと、呪いのような束縛、人から嫌われる考え方」等々悪いものを受けたのでしょうか。
 そうではありません。私たちが受けたのは、「罪の赦し、永遠の刑罰からの救い、新しい喜びと平安の人生、希望の未来、まわりの人に分かち合う祝福」等々です。
 イエス様からいただいた祝福を、私たちが次の人々に伝えて行くのです。

 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。                   Ⅰペテロ 3:13~17

 イエス様が教えてくださっている良い生き方とは、善を行って苦しみを受ける道です。それを悪い道だと嫌がってはいけません。
 兄弟姉妹と心を一つにして兄弟愛を示し、侮辱に対しても祝福を与えるように勧められています。それはまさにイエス様のご生涯です。イエス様が私たちに祝福を受け継がせるためには、多くの苦しみを経なければなりませんでした。私たちも次の人に祝福を継承するためには多くの苦しみを経なければならないのです。

 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。                         Ⅰペテロ 1: 4

 私たちはなくならない資産をいただいています。目に見えない祝福こそ私たちが受け継いでいるものです。このことを心から信じて受け入れ、主に感謝ましょう。


純粋な信仰

2010-10-03 13:40:43 | 礼拝メッセージ
 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。
 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。                
                                  Ⅰペテロ 1: 5~9

 信仰の試練はいやなものですが、純粋な信仰は是非自分のものにしたいですね。「信仰の試練」は「信仰の純粋さ」とも訳されます。純粋な信仰は高価な金よりも尊く、天地の主イエス様から称賛されるものです。純粋な信仰とはなんでしょうか。  


 だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現われるとき立っていられよう。まことに、この方は、精練する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。
 この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、主を喜ばせる。      
                                   マラキ 3: 2~4

 私たちの信仰を純粋なものにしてくださるのは主の働きです。信仰が純粋にされた者は、主に聖いささげものをする者へと変えられます。
 主に対する態度を悔いて次のように改めるなら純粋な信仰へと変えられていきます。  

 ・主イエス様のもとに立ち返る。             マラキ 3: 7
 ・十分の一返金。                      マラキ 3:10
 ・主に仕える。                        マラキ 3:13~18

 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。
 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。
 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
                                    マラキ 3: 8~10
 

 イエス様の教会と働き人のために各自収入の十分の一は、主にお返ししなければなりません。これをないがしろにして主から盗んでいるので祝福がなく、純粋な信仰から遠ざかってしまっています。 
 

 あなたがたは言う。「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行なっても栄え、神を試みても罰を免れる。」と。                              マラキ 3:14、15  

 あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。                       マラキ 3:18

 
神に仕えず、不信仰な人々が平安で繁栄しているのを見て、主に仕えることを虚しいことと決め付けているクリスチャンがいます。しかし、主は、その結末に大きな違いを与えられます。すべてを裁かれるのはイエス様です。
 私たちも、試練を通してテモテのような純粋な信仰をいただきましょう(Ⅱテモテ1:5)。
 


選びの恵み

2010-09-26 16:50:34 | 礼拝メッセージ
 人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。             
                                        ヨブ 7:17

 主は私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所。私の民を私に服させる方。  
 主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。
                                    詩篇 144: 2~4

 イエス様に私たちを恵み、養い、救う義務はないでしょう。イエス様は私たちが想像もできない程の偉大な方です。イエス様は創造者であり、私たちは造られた者です。イエス様はしみや汚れが一点もない聖いお方です。私たちは全身が汚れ、腐れきった者です。イエス様はあえて私たちを選び、御心を留めて救い出して下さいました。  


 今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
 まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。  私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
 私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
 私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。
                                Ⅰ歴代誌 29:13~17

 私たちが自分のものを感謝して主にささげようとしても、それは主からいただいたものをお返ししているにしか過ぎません。 私たちの望みは、イエス様だけです。主の恵みによる選びによって、私たちは選ばれました。主からささげるべきものさえもいただいているのです。
 選びとは、恵みであり特権であり与えられた使命の完成の保証です。主が選んでくださったということは、それぞれに与えられている働きを主が完成させてくださるという約束なのです。
 ソロモンは、主によって王に選ばれ、神殿を完成させる者として選ばれ、「勇気を出して実行しなさい。(Ⅰ歴代誌28:10)」と励ましをいただいています。
 

 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
 
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
                                    エペソ 1: 3~
6
 

 私たちは、一人ひとりイエス様によって天地創造の前から選ばれていました。恵みと特権と与えられた使命の完成の保証をいただいています。感謝して主の働きを推し進めましょう。 


人をだます者と自分をだます者

2010-09-19 12:34:32 | 礼拝メッセージ
 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。  良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。         
                                   マタイ 7:15~20

 にせ預言者とは、いかにも神様からのことばのように伝えながら、実は耳障りの良いことばを語って人々をだます者です。人々は知らないうちに神様のみこころから離れ、不信仰に陥ってしまいます。
 現在でも教会に入り込んで混乱を引き起こし、兄弟姉妹の信仰をダメにしようとする者がいます。最初は人あたりが良く、熱心な働きを見せてきます。十分注意してください。
 私たちもみことばに反することを口にしないように注意しましょう。「伝道しなくても良い。献金しなくても良い。聖書を読まなくても良い。祈らなくても良い。主の集会に出席しなくても良い。」これは、にせ預言者と同じです。
 


 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。  その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』            
                                   マタイ 7:21~23


 こちらは自分自身をだます者です。表向きは主の名を使い、主のみこころを行っているかのように自分で納得して行動しているが、実は、主に従っているのではなく自分の満足、自分の評判、自分の賞賛のために行なっているだけです。
 自分自身を信仰から離し、多少の罪は関係ないと考えて自分をだます者です。



  みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。
                                       ルカ 6:26   

 どちらも悲惨な結末を迎えます。悔い改めて従うだけです。イエス様の言いなりになりましょう。そうすれば、岩の上に家を建てた人のように、洪水や波風が押し寄せても大丈夫です。
 信仰の試練や罪の誘惑、間違った教え、兄弟姉妹の悪口、家族の反対、同僚のさげすみなどがあっても揺るがされない安定した信仰生活を送れます。

夕べのささげ物

2010-09-12 17:31:43 | 礼拝メッセージ
 主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。
 私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。
 主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。
 私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。
 正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。
 彼らのさばきづかさらが岩のかたわらに投げ落とされたとき、彼らは私のいかにも喜ばしいことばを聞くことでしょう。
 人が地を掘り起こして砕くときのように、私たちの骨はよみの入口にまき散らされました。
 私の主、神よ。まことに、私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けます。私を放り出さないでください。
 どうか、彼らが私に仕掛けたわなから、不法を行なう者の落とし穴から、私を守ってください。
 私が通り過ぎるそのときに、悪者はおのれ自身の網に落ち込みますように。              
                                   詩篇141: 1~7

 詩篇141篇はダビデの賛歌です。
  ダビデは今の緊迫した状況の中で主を呼び求めています。ダビデは主にまったき信頼を寄せ、自分自身の思いのすべてを主にぶつけています。
 自身の祈りが、ささげられる香やいけにえのように主の前に立ち上って受け入れられるように願っています。
 自分が信仰のない者や罪の道に歩まないように、かえって、信仰のある正しい者からの叱責を喜んで受ける者になりたいと祈っています。たとえ、多くの人が悪の道に進み、信仰者が不信仰の道を慕って行ったとしても、自分は主に信頼して祈り求めると告白しています。
 自分自身の骨がバラバラにされて地獄の入り口に捨てられているような絶望的な状況にあっても、それでも私は主に信頼して主を待ち望むといっています。
 ただただ真実なる主を求め、主の正しさのもとにへりくだることを必死に求めています。なんと、ダビデは純粋で単純な信仰の持ち主なのでしょうか。


 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。  
                                     ローマ 12: 1,2

 あなたは自分の思いを心の底から主に打ち明けていますか。 心からの祈りと自分自身を主にささげ尽くしていますか。心の底にあるモヤモヤを溜め込んでいると、不平不満となって兄弟姉妹や大切な家族、教会、イエス様に当ってしまいます。
 私たちは、自分で決心し、主に信頼することによって状況を一変させることができます。主が自由に働かれるからです。
 肉による礼拝ではなく、霊的な礼拝を主は求めておられます。

心に留めて実行する

2010-09-05 12:57:26 | 礼拝メッセージ
 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。  
 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
                                      ピリピ 4: 8,9   

 パウロ兄弟とテモテ兄弟が手紙の最後に勧めています。 
 あなたは今、何に心を留めていますか。 
 私たちが心に留めるべき本当のものとは何でしょうか。  

 「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、すべての徳といわれること、すべての賞賛に値すること」とは、あらゆる分野おいて共通することです。それは、イエス様の価値観、お話しなさったこと、聖書の主張していることです。例えば、偶像礼拝をして人々から賞賛されても意味がありません。偶像礼拝をしないことこそ真に賞賛に値することなのです。

 あなたは今、平和の神様・イエス様とともにいたいと思っていますか。これからの人生をイエス様とともに歩みたいと思っていますか。すべてをイエス様に任せたいと思いますか。  
 もし、そのように望むのであれば、使徒たちから受けたことを実行しましょう。
 使徒たちが与えてくれたものとは具体的にどんなことでしょう。

 使徒の働き」や「手紙」を見ると使徒たちから「学んだこと」「受けたこと」「聞いたこと」「見たこと」を知ることができます。
 これらを、実行すればイエス様がともにいてくださいます。ただ心に留めているだけでは、イエス様はともにいてくださいません。実行することです。

 次のみことばも私たちの実行すべきことを示しています。


 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。                       ローマ 14:18~20

 平和と霊的成長に役立つことを求めましょう。争いを引き起こしたり、集会に出席することを留めてはいけません。

 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。
 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。
                                  Ⅰペテロ 2:11~15

 肉の欲を遠ざけ、法律と決まりを守りましょう。これが神様のみこころです。

感謝しよう

2010-08-29 16:48:13 | 礼拝メッセージ
 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。  
 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。
 私たちの神は焼き尽くす火です。   
                                 ヘブル 12:27~29

 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。  
 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。               
                                Ⅰコリント 15:57~58

 私たちは、なぜ、いつも感謝できないのでしょうか。それは、私たちが主からいただいているすばらしいものをしっかりと捉えていないことと、いろいろなことが自分の思い通りにならないからです。その不平不満が主に喜ばれる奉仕を嫌なものにし、主のわざに励む心を失わせています。
 しかし、聖書は、私
たちがイエス様からすばらしいものをいただいていると言っています。

  ・決して揺り動かされない御国
  ・サタン・悪霊・罪・死からの開放と勝利

 私たちは、この上ない物をいただいていながら、、そのすばらしさを認識していないがために感謝することを忘れてしまっています。
 永遠に揺るがない天国と悪しき者に対する勝利があるならば、そのほか何が必要でしょうか。
 自分に降りかかる様々なことは、すべて主の許しのもとに起こっていることです。自分を省みると共にその悪く思えることがどのように主によって益に変えられるか期待しましょう。
 自分が整えられ、矯正されることに感謝しましょう。
 状況が悪いように見えても、私たちが主に感謝することによって、主のわざに励むことができます。
 

 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
 いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
 御霊を消してはなりません。
 預言をないがしろにしてはいけません。
 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
 悪はどんな悪でも避けなさい。                
                              Ⅰテサロニケ 5:15~22

 全てのことに対して感謝しましょう。いやなことでも、辛いことでも、感謝しましょう。イエス様のみことばに従う者を、イエス様は助けてくださいます。

神の国とは?

2010-08-22 18:24:28 | 礼拝メッセージ
 この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」  こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。 
 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。  
 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」
 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種を取って、3サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」                    
                                   ルカ 13:16~21

 イエス様の第1声は、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」でした。「神の国」はイエス様が人々に伝える重要なポイントでした。 
 「神の国」は「からし種」や「パン種」にたとえられています。
 小さいものから始まって大きな影響を与えるものです。私たちの信仰も、小さく弱いものとして始まったかもしれません。しかし、主の力はそれを大きく成長させて有益なもの、まわりの人を祝福するものとしてくださいました。
 
 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」                     
                                    ルカ 17:20,21
 
 その「神の国」は私たちのところに到来し、私たちが所有できるものとなりました。自分自身を主に全て明け渡す時、主は私たちの内に「神の国」を実現してくださるのです。
 私たちが自己中心の信仰になってしまって、自分にとって都合の良いことだけ信じて、自分自身を主に明け渡していないのであれば、主は「神の国」を私たちの内に実現することはできません。
 「神の国」にふさわしい者となりましょう。
みことばには「神の国」にふさわしい者についても記されています。  

 別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」                                  ルカ 9:61,62

2010日高ヤングサマーバイブルキャンプ

2010-08-16 17:23:05 | 礼拝メッセージ

 国立ひだか青少年自然の家で開かれた、2010日高ヤングサマーバイブルキャンプへ行ってきました。

 小中高生と聖書を学び、スポーツやゲームをして楽しんできました。(寝不足で疲れています。)

 テーマは「たいせつなきみ!」です。

 一人ひとりがイエス様に愛されていること、とても大切な存在であることを教えられました。

室蘭聖書教会のグドール・リチャード宣教師です。神様の存在と罪からの救い、単純な信仰の大切さを教えていただきました。

 
 


 2日目の夜は各教会の出し物です。

 旭川神愛キリスト教会のみなさんは、手話賛美「救い主神のみ子」を披露してくださいました。

 キリスト北見こひつじ教会のみなさんは、なぞかけを披露してくださいました。
 即興なぞかけもありました。(お見事)

 


 聖餐式の奨励から

 「自分を吟味する」

 

 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
 
したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
 
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
 
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。
                                Ⅰコリント 11:23~32
 

 毎週毎週、イエス様の聖餐に与る時に深くその意味を心に留めましょう。

 ・イエス様の尊い犠牲を覚える。
 ・自分がイエス様に愛されていることを覚える。
 ・イエス様によって罪赦されていることを覚える。
 ・イエス様の復活を覚える。
 ・イエス様の再臨を告げ知らせる。

 軽々しく与らずに心して与りましょう。
 主のみことばを軽んじ、聖餐を軽んずると「弱い者」「病人」「死人」が増えます。
 自分を省みて懲らしめられても、悔い改めるところに主の祝福があります。
 「愚直」にみことばを信じて、「愚直」にイエス様に従いましょう。



正しい者の拠り所

2010-08-08 18:56:30 | 礼拝メッセージ
 主に私は身を避ける。 
 どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
 「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。  
 それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみ で心の直ぐな人を射ぬこうとしている。  拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」                    
                                    詩篇 11: 1~3

 これは、ダビデがサウル王から逃れている時に人々が言ったことばとされています。ここで、拠り所とは法や秩序の事です。サウル王自身が国の法律や主の秩序を破って、罪のないダビデをねたみから殺そうとしていました。そんな社会秩序が崩壊していては、人は安心して生活できません。
 私たちの拠り所の1つ、それは正義が保たれている社会です。新約聖書でも王と政治家のために祈るよう勧めています。


 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
                                  Ⅰテモテ 2: 1~3


 天皇皇后陛下、首相、大臣、知事、首長のために正義が守られ、イエス様を信じることができるようにお祈りしましょう。イエス様の前に喜ばれる良いことです。
 もう1つの大切な拠り所はもちろんイエス様であり、聖書のみことばです。
 ダビデも詩篇 11: 1で、社会秩序が失われたような状況であっても「神様に信頼します」と告白しています。
 私たちも信仰の拠り所をなくしたり見失ったりしたら何ができるでしょうか。 
 

 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。まことに、彼らは不正を行なわず、主の道を歩む。 
 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。 
 あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。  
 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。  
 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。  
 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。                                
                                    詩篇 119: 2~11

 信仰の拠り所であるイエス様のみことばは「さとし、戒め、おきて」です。私たちにとっては好ましいことばかりではありませんが、それによって「恥じない歩み、きよい歩み、主に罪を犯さない歩み」を獲得することができます。
 イエス様ご自身とみことばを求め続けていきましょう。拠り所を軽んじたり、捨て去ることは致命的です。
 

祝福されている人生

2010-08-01 18:42:34 | 礼拝メッセージ
 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
 神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。                
                                    エペソ 1: 3~9

 私たちは、イエス様によって測り知れない祝福をいただいています。
 それは、創造主である神様が天地創造の前から私たちを愛し、救いに選んで下さった恵みです。

 ①天にある全ての霊的祝福をすでにいただいている。
 ②天地創造の前から私たちはイエス様にあって愛によって選ばれていた。
 ③汚れた罪人の私たちの罪を赦して御自分の前に回復させようとされた。
 ④サタンの子であった私たちをイエス様によって御自分の子にしようとされた。
 ⑤イエス様の血による贖い、罪の赦しを受けている。
 ⑥神様の存在や救い主イエス様について奥義となっていたことを知らせてくださった。
 ⑦天国を受け継ぐ者となった。
 
 私たちは、このようにたくさんの祝福をいただいています。「神様祝福を下さい。」と祈る必要はありません。すでに、いただいているのです。聖書のおことばをありのまま受け入れ、祝福されていることを感謝しましょう。
 主に対する罪や不平不満が妨げになっていることがあります。悔い改めて、心の目が開かれるように祈りましょう。
 この聖書の箇所でもうひとつ注意することは、あくまでもほめたたえられるべき主体は、父なる神様でありイエス様であると言うことです。祝福をいただいた私たちがほめたたえられるのではなく、神様ご自身、神様の救いと愛の業がほめたたえられるべきです。
 すべての中心は父なる神様とイエス様がほめたたえられることであることを忘れないようにしましょう。自分中心に考えないように。

 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
 私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。                   
                                  コロサイ 1:27~29

 なんと、神様は私たちの内に栄光のイエス様が内住してくださっていることをみんなに知らせようとされています。私たちは測り知れないお方と祝福をいただいています。その祝福を独り占めしないで受けた光を世に現しましょう。