もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。
私と私の家とは、主に仕える。」 ヨシュア記 24章14~15節
ヨシュアは死を目前にしてイスラエルの民に最後のメッセージをおくりました。神様は先祖アブラハムを選んで約束の地カナンに導きました。神様は、イサク、ヤコブ、12人の息子を通してご自分の祝福の約束を遂行されたのです。
神の民イスラエルは約400年間エジプトで奴隷の生活を送りましたが、そこから紅海を通り奇跡的に開放され、荒野での40年間の旅を経てヨルダン川を渡って約束の地カナンへ入りました。
ヨシュアは改めて、ほかの神々を捨てて真の神様にだけ信頼するように勧めました。そして、周りの人々や状況がどう変わろうとも私と私の家は主に仕えていくと宣言しました。
神様が哀れみを示してイエス様による救いを完成して下さいました。あなたも私も神様の哀れみによって救われます。すべての偶像礼拝と先祖崇拝と不信仰を捨ててイエス様に従いましょう。それが、私たちが幸福に人生を送り、永遠の命に至る道なのです。
神様は、聖なる方であって、ねたむ神です。あなたのそむきも、罪も見逃さない方です。注意しましょう。
父が天に帰って2週間が過ぎようとしています。ホスピスで3ヶ月お世話になりました。だんだん弱って行く父を見ながら、心の準備はできていると自分に言い聞かせてはいましたが、そうではない自分。
父が息を引き取った時、ホスピスの窓の外に虹が出ていました。聖書では、虹は神様の祝福のしるしです。
美しい夕日を見ながら神様の業の素晴らしさと最善をなしてくださる神様の素晴らしさを思っていました。
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
・・・・・・そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」
ヨハネ福音書6章53~60節
実にイエス様は過激な発言をする人です。「わたしの血を飲み、肉を食べなければ救われない」とみんなに言いました。いままでイエス様を慕って弟子としてついてきていた人たちは、憤慨してイエス様をすてて去って行きました。みんな、モーセを偉大な指導者として尊敬していました。そのモーセが与えた天からのマナよりもイエス様が優れていると主張したからです。
イエス様が自分こそ神のもとから来た救い主、神様そのものであることを宣言され、ご自身を自分の救い主として信じない者は救われないと明言されました。多くの者たちがイエス様を救い主として信じていなかったのです。それで、もはやイエス様とともに歩かなかったのです。
イエス様を信じて救われるには、自分の思いや考えを捨ててイエス様の言われることをすべて信じて従うこと、イエス様の言いなりになることです。それは、神様のみ言葉である聖書を信じて受け入れ、従うことです。そうすれば、誰でも救われます。本当に幸いですね。
聖書のある部分を受け入れられないと言って省いたり、人間的な考えを付け加える人は、憤慨して去っていった弟子たちのようなものです。そうならないように注意しましょう。
イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。 ヨハネの福音書5章2節~9節
イエス様は、38年もの間病気を患っていた人に対して、哀れみの心をかけられました。治りたいという積極的な心を引き出されました。イエス様は彼のご自身に対する信頼と信仰を受け止められたのです。
私たちは誰しも、弱く傷つきやすく誰かの助けを必要としています。しかし、信頼を寄せる人は、誰でも彼でもいいのではなく、本当に信頼できる人でなければなりません。
イエス様は、天地を造られた全能の神様です。わたしたちを救うためにご自身の命を投げ打って下さった方です。死からよみがえってサタンと死と罪に対して勝利された方です。このお方に頼らなければなりません。
宗教はただわたしたちを迷信と風習と儀式に縛り付けていき、これから離れたら呪われると脅迫します。
多くの人たちがクリスチャンの助け、イエス様の救いを伝えてほしいと求めています。わたしたちが助けられたように、わたしたちもイエス様に代わって手を差し伸べましょう。
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
ヨハネ福音書5章39節
すべての人の人生に苦しみ、喜びの時があり、病気、罪の問題が降りかかってきます。しかし、誰にでも訪れるこれらの場面で、心から信頼できるお方を持っているかどうかがその人の人生を大きく左右します。
すべての人の主であるイエス様は、「あなたが苦しんでいるなら、わたしに信頼して祈りなさい。」と言われます。イエス様があなたの苦しみと弱さを知って、解決を与えて下さるのです。苦しみ弱っている時に支えになってくださるお方がいるということはなんと心強いことでしょう。
イエス様は、この天地万物をお造りになった全能の神様です。しかも、愛のお方であって、わたしたちを救うために人となってこの地上に来て下さり、あなたとわたしの罪を背負って十字架で死んでくださったのです。イエス様はサタンの力である死と罪を滅ぼしてよみがえって下さった勝利のお方です。この方を信頼してこの方に祈れるとはなんと幸いでしょう。
イエス様は、「あなたが喜んでいるなら、神様を賛美しなさい。」と言われます。すべての良きものはイエス様からの恵みです。心から感謝しましょう。傲慢になって自分に栄光を帰さないように注意しましょう。
病気の人は教会の人にお祈りをしてもらい、聖霊様の働きによっていやしをいただきましょう。人の心を蝕む罪の問題をイエス様の救いによって解決していただきましょう。
人は、心から信頼できるものがなく、よりどころがなくて心が不安定になり、うつ病になってしまいます。信頼できると思っても、それが偽りのものだったり、移り行くものであれば失望は大きいです。
人が本当に信頼できるお方、それは、イエス様以外にはいらっしゃいません。
「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」
マタイ 23章14節
偽善が大嫌いだったんですね。父なる神様や聖書の心に反対し、イエス様に従わないことに対して厳しいですね。
今日、知人のお母さんのお通やに行ってきました。宗教家は誰も理解できないお経を30分やり、心に響かないお話を15分やりました。そして、自分のやることが終わったら式の途中にもかかわらず、喪主が挨拶しているのに帰ってしまいました。いくらことばで「ご遺族の心を察します。」と言ったところで空しく響きます。そんな言葉より、喪主である息子さんのお母さんに対する誇りと感謝の言葉、お世話になった方々に対する感謝の言葉、それが心に響きました。
戒名にランクと法外な値段を設定するやり方。今、日本にイエス様が来たら、過激に同じ言葉を言い放ったでしょう。イエス・キリストは博愛主義者でも何でもないのです。聖書に従わない人を徹底的に裁く方です。
(でもちゃんと救いの道を用意しているんですね。さすがイエス様。イエス様自身があなたとわたしの身代わりになって十字架で死んでくださったんです。感謝して自分の救い主として受け入れましょう。ハレルヤ!)