シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

「千の風」

2007-01-28 18:24:15 | 礼拝メッセージ
 老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。
 同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。そうすれば、彼女たちは、若い婦人たちに向かって、夫を愛し、子どもを愛し、慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。
 同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい。
                             テトスへの手紙2章2~6節

 聖書は人それぞれに神様から与えられた役割、責任があると告げています。すべての人に対して聖書の健全な教え・信仰に生きるように勧めています。イエス様が与えてくださった、すばらしい救いというしっかりとした土台の上に人生を立て上げ、神様や人の前に慎み深い生き方をするように告げています。
 浮ついた自己中心の生き方を改めなければいけません。あるいは、占い師や霊媒師の言葉に惑わされた偽りの信仰から立ち返る必要があります。
 昔から、日本人は勤勉で礼儀正しいと言われてきましたが、今は、若者からお年寄りまで周囲を省みない風潮がはびこってきました。自分の車や家はきれいにしているが、道路や駐車場で吸殻やごみを平気で捨てたり、家の前に積もった雪を平気で道路に投げ出したりしています。これは、分別のない若者がやっていることではなく大人やお年寄りがやっていることなのです。昨今のニュースを見ても年齢や性別、職種、社会的立場に関係なく加害者になっています。
 すべての人が天国(極楽浄土)に行くわけではありません。まして、人が千の風になるわけではありません。悔い改めが必要なのです。聖書では相手が悔い改めて来たら赦しなさいと言っています。悔い改めるとは、罪を悔いてもうしないと決心して生き方を変えることです。
 人は、悔い改めなければ神様に赦してもらうことはできません。黙っていても、イエス様を救い主として受け入れなくても、悔い改めずに神様を信じなくても、すべての人が罪を赦されて天国(極楽浄土)に行ったり、千の風になったりするのではありません。それは人間の死後の世界に対する幻想です。神様や聖書、イエス・キリストに対する間違った認識です。神様はそんないい加減なお人よしではありません。
 神様はすべての人に「慎み深く、思慮深く、貞潔な」生き方を求めておられます。それが自分の力で無理だと思ったらイエス様に救いを求めましょう。


 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。             ヘブル人への手紙11章6節

 神様は私たちの求めや応答、生き方に報いてくださるお方です。うれしいですね、張り合いがありますね。イエス様を信頼して歩みましょう。

冬の社台ファーム

2007-01-22 21:31:35 | エッセイ
 国道36号から社台ファームの競走馬と樽前山を撮ってみました。
 本当に雪がなさ過ぎますね。暖冬です。この時期に牧場の自然の草を食べてます。
 樽前山も山肌が見えるほど雪が少ないのです。やはり地球温暖化が進行しているんでしょうか・・・・・・。

空想話にそれる時代

2007-01-21 17:24:07 | 礼拝メッセージ
 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。                    第二テモテ4章1~4節


 今ほど社会全体が空想話にそれていくような時代はありません。
 人の人格を否定するようないじめ、自分の大切な命を粗末にするような自殺、相手の命を踏みにじる殺人など、神様が聖書を通して教えておられる健全な教えから大きく外れています。
 聖書はクリスチャンのものではありません。すべての人のものです。神様は、すべてのものを造り、私たち人間をも造って命を与えてくださり、今、命を保っていてくださっているのです。その神様のおっしゃることを軽く見ると大変なことになります。
 人はまた生まれ変わるからと思って簡単に自殺をしたり、この世だけの人生だからと言って金銭や快楽を愛する生活をしたり、神様(創造主)を偶像に置き換えて拝んだり、自分の人生を占いによって決めてみたりして健全な聖書の教えから多くの人が離れてしまっています。
 聖書だけが神様のみこころをあらわした書物です。ダビンチ・コードのような空想話に惑わされてはいけません。
 聖書はイエス・キリスト様がすべての人を裁くと言っています。どんな人生を歩んだ人でも天国(極楽)に行けるのではありません。罪を赦された人だけです。人の罪が赦されるためには、罪を代わりに負ってくれる人がいなければなりません。人は自分の罪だけで精一杯なので他人の罪を負う事はできません。
 自分に都合の良い言葉を求めるのではなく、自分に都合が悪くても健全な教えを求めましょう。自分に都合の悪い教えこそ真実です。
 クリスチャンはこのイエス様の救いを先にいただいた者です。いつでも、どこでも、だれにでも福音を伝えましょう。無駄のように見えても神様は用いてくださいます。
 私は学生の時、教室に落ちていた教会の案内を拾い、初めて教会に行ってイエス様の救いを受けました。今、心から感謝して喜んでいます。こんな者が、イエス様の救いを伝える者になれたことは神様のあわれみです。

いじめ、自殺、殺人を防ぐ唯一の方法

2007-01-14 18:20:50 | 礼拝メッセージ
 昨年から今年にかけて、いじめや自殺、家族のバラバラ殺人など悲惨な事件が続いています。大変な時代になってきました。
 聖書は本当にすばらしい書物です。私たちを造られ、すべてをご存知の神様は聖書を通して語っておられます。ここにしかこの悲惨な時代の解決方法はないのです。

 富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。
 富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。貪欲な人の食物を食べるな。彼のごちそうを欲しがるな。                     箴言 23章4~6節

 
神様は貪欲に注意するように言っています。必要以上に自分の利益、自分の満足、自分のわがままを追求することをやめなさいとおっしゃるのです。神様が私たちの必要を満たして下さるのです。
 私たちはいくらがんばっても水、空気、食物を造ることはできないのです。ましてや自分の命を自分で維持することはできないのです。神様はすべての必要を知っておられ、生かしていてくださるのです。感謝して神様の満たしをいただきましょう。
 金銭を愛することがすべての悪の根です。貪欲が、ねたみ、うそ、落とし入れ、争い、暴力、殺人を生むのです。

 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。                 箴言 23章13、14節

 
子どもは、家族に愛され受け入れられていることで安心します。正しいこと悪いことをしっかり教えられると安心して安定した歩みをします。これは親や大人の責任です。
 「あなたは神様、イエス様に愛されているよ。私たちもあなたを愛しているよ。」このように声をかけられて育つ子どもはどんなに幸いでしょう。

 あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。                                                                                     

                             箴言23章22節

 
あなたが父母を大切にすることです。悪口陰口を言わずに感謝し、親のすばらしさ、大切さを子どもに話していきましょう。

 あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。                    箴言23章17、26節

 
悪いことをして裕福になっている人、楽をしている人、楽しんでいる人をうらやましがらないことです。神様がおられてすべてをご覧になっておられます。(これが宗教上のことで事実でないのであれば好き勝手なことをして楽しみましょう。)
 クリスチャンであっても同じです。イエス様に逆らい、自分の利益だけを求める貪欲な心があるのです。それを救ってくださるのがイエス様です。あなたもイエス様のおっしゃることを信じて従いましょう。
 いじめや自殺や殺人のない幸せな家庭、社会、国、あなたの心が実現します。

冬の日高竜門峡

2007-01-11 20:11:00 | エッセイ
 冬の日高町へ行ってきました。
 やはり例年よりは雪は少ないですが、スキー場ではスキーを楽しんでいる人が見えました。
 平取町との境にあたる日高竜門峡です。四季折々美しい風景を見せてくれますが、冬の竜門峡もいいですね。風とせせらぎの音しか聞こえません。(寒いけどこころ落ち着きます)

苫小牧に、ようやく雪が積もりました。

2007-01-08 18:26:46 | エッセイ
 ようやく雪が積もりました。7cmぐらいでしょうかね。やっぱり、冬は雪がないと落ち着きませんね。歩くのも車の運転もちょっと大変ですけどね。爆弾低気圧?がもたらしてくれました。

  昨日、今日と各地で成人式が行われていますね。騒いで逮捕された人もいるようですが、へりくだって両親や周りの人たちに感謝しましょう。イエス様への感謝もお忘れなく。

 今日の聖書の言葉

 
「主よ。彼らに恐れを起こさせてください。おのれが、ただ、人間にすぎないことを、国々に思い知らせてください。」              詩篇9編20節

互いに足を洗い合いなさい

2007-01-07 17:48:44 | 礼拝メッセージ
 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」・・・・・・・・・
 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」      ヨハネの福音書13章3節~8節
 
 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。                  ヨハネの福音書13章14節~15節

 「互いに足を洗い合いなさい。」イエス様は今まさに敵の手に捕らわれようとする時にこのように言われました。これがイエス様の弟子たちに対する愛の現れです。なんとかしてこの真理を弟子たちに教えたかったのです。
 「足を洗ってもらいなさい。仕えてもらいなさい。」とは言われませんでした。あなたは人の前にへりくだって「足を洗わせてください。」と言って、足を洗うことができますか。神であられ、師であられ、主であるイエス様が自ら弟子たち(これから、自分を裏切り、見捨ててしまう者たち・罪人たち)の足を洗われたのです。そして、私たちに同じ事をするように命じられました。
 家族が、学校が、職場が、地域がこのことを実践したらなんと平和な社会ができることでしょう。イエス様はそれができない私たちのために、十字架で自らの命をかけて救いを完成してくださいました。イエス様の救いをいただくことによって私たちは新しく変えられて仕える人になれるのです。相手を生かすことができるのです。それを可能にしたのが教会です。教会も整えられなければなりません。

新春 苫小牧の秀峰樽前山

2007-01-05 18:37:23 | エッセイ
 お正月からとても良い天気です。
 苫小牧は記録的な少雪です。降雪の深さの合計値は平年の12分の1だそうです。
 今日も樽前山が美しいです。
 樽前山の東側から風不死岳(ふっぷしだけ)と恵庭岳がちょこっと姿を見せています。東側に少し離れて紋別岳が見えます。
 6日から8日にかけて天気が大荒れになるようなのでようやく雪が積もるかもしれません。

新春の日高山脈

2007-01-03 21:20:23 | エッセイ
 帰省してきました。
 今年のお正月はなんか変ですね。雪がなくて暖かいのはいいんですが、異常気象のような気がして気持が悪いです。
 子供のころはかまくらを造ったり、雪合戦をしたり、スケートをして遊んでいたのに・・・・・・・・・、今年のお正月は春先のような気候です。
 ふるさとの横山とシカルベ山の間に見える日高山脈(ヤオロマップ岳?)は真っ白で美しいですね。

苫小牧の初日の出

2007-01-01 08:02:32 | エッセイ
 明けましておめでとうございます。今年の元旦は穏やかに明けました。若干雲はありましたが、太平洋の水平線から登るきれいな初日の出を見ることができました。計算どおりに太陽が昇ってきました。神様が創造された万象が規則正しく運行しているということですね。年頭の聖書の言葉

 「主は、御力をもって地を造り、
  知恵をもって世界を堅く建て、
  英知をもって天を張られた。」
           エレミヤ書10章12節

 
天地を造られたイエス様はすばらしい方ですね。創造主でありながらへりくだって、私たちの救い主になってくださいました。それにひきかえ本当に人間は傲慢ですね。
 わたしたちが謙遜になってイエス様の言うことを聞いていけばどれほど住みよい世の中になるでしょうか。この一年がそんな年になることを祈念しています

 「天と地を造らなかった神々は、地からも、
  これらの天の下からも滅びる。」
             エレミヤ書10章11節