シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

MEBIG北海道セミナーへ行って来ました。

2010-04-30 14:34:44 | エッセイ
 第30回 MEBIG(メビック)北海道セミナーへ行って来ました。

 感動と涙と悔い改めと再献身の3日間でした。

 イエス様があなたと私を選び、救いと働きのために任命してくれました。

 尊いおともだち伝道のために、イエス様が励ましと力を与えて下さいます。

 

 おともだちがミュージカル「TreeはTrue ーぼく、いるの?ー」を上演してくれました。
 涙、泪、なみだの感動ミュージカルでした。
 一人ひとりはイエス様に愛されている大切な存在・・・・・。

 
  
 
 

ちょっと春がおそい苫小牧

2010-04-27 23:40:23 | エッセイ
 今年は低温続きで春が遅いですね。

 樽前山の雪もいつもの年より解けるのが遅い気がします。
 

 庭のクロッカスはつぼみのまま。

 

 デンキュラータもちんちくりんです。

   

 エゾエンゴサクがかわいらしく咲いています。

 北海道に生育し、地中の塊茎が漢方薬の「延胡索」に似ていることからエゾエンゴサクと言うそうです。

 食用、観賞用、漢方薬になるそうです。(Wikipedia情報


      

イエス様を愛さない人

2010-04-25 18:10:56 | 礼拝メッセージ
 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。                             ヨハネ 14:15

 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。                          ヨハネ 14:21  

 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。  
 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。                          ヨハネ 14:23、24

 イエス様を愛するとはどういうことなのでしょうか。 
 私たちが良い気分になったり、平安になったり、喜びに満たされることでしょうか。 
 もちろんそれらは与えられますが、本当はイエス様に服従するということです。自分の平安のために求めて行くと必ず不平不満と問題が発生します。
 みことばに帰り、信仰の原点に返る必要があります。
 


 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」 
 ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」 
 イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
                                    ヨハネ 21:15

 ペテロはイエス様を見捨ててしまったことを大変後悔しました。まさに号泣して悔い改めたのでした。復活のイエス様にお会いして、今までのお言葉の真実さが身にしみて理解できました。
 イエス様を信じて、お言葉に従って行こうと決心しました。そんなペテロにイエス様は兄弟姉妹をお任せになりました。
 イエス様は「あなたはわたしの羊を愛しますか。」とも「上手に伝道ができますか」とも「きちんと羊の世話ができますか」とも聞きませんでした。 
 ペンテコステの日に聖霊様をいただいて力を受け、その働きはスタートして行きました。 
 原点は、イエス様を愛することです。
 あなたも私もイエス様を愛することができます。
 イエス様を愛さない自己中心、自己喜ばせ人にはならないようにしましょう。

どこまで付きあうのか

2010-04-18 13:28:16 | 礼拝メッセージ
 ある雑誌に次の文を見つけました。
 『ジョセフ・コンラッドという著名な作家がかつて次のように語りました。「人は、心を奪われてしまった宝から離れることができない」
 また、別の人は、人が(ある対象と)どこまでつき合うことになるかを決めるのはその人の価値観だと言いました。
 ある対象に対して、私たちがどこまでつき合うことになるのか、どれほどのものを注ぎ込むことになるのかは常に、私たちがそれにどれだけの価値を見出すかによって決まるのだというわけです。』  

 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。  
 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。     
                                   ガラテヤ 3: 2,3
 

 私たちは今、何から離れることができないでいるでしょうか。 
 イエス様、聖霊様、聖書(みことば)、祈り、教会、兄弟姉妹、主の集会、伝道、それとも、罪、自分の計画、自分の考え、プライド、仕事、お金、家族、娯楽・・・・・etc  
 せっかくイエス様を信じて救われたのに、ほかのものに心を奪われてしまって、離れられなくなっているものはありませんか。
 御霊によって始まったのに、肉によって満足を得て完成させようと思ってはいませんか。 
 今、不安・不満、満たされない心、喜びのない心になっているとすればへりくだる必要があります。へりくだってみことばに従わなければその不安からは開放されません。  

 それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのためにあかししますが、あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ったではありませんか。          
                                   ガラテヤ 4:15

 私たちは、すべてのものに対して無意識に、瞬時に価値判断しています。自分にとって損か得かを見極めています。
 みことばで何と言われているか、どうするように勧められているかを度外視してつき合い方を決めています。 
 
 ガラテヤの人たちも心からイエス様の使者であるパウロを受け入れて仕えていたのに、みことばから離れた時に、パウロを拒絶し、喜びが失われてしまいました。
 みことばと霊的指導者に従うより、ニセ教師、律法主義の間違った信仰に価値を見出してしまったのです。


 さあ、今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。
『主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの行ないとわざとを改めよ。』
 しかし、彼らは言う。『だめだ。私たちは自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行なうのだから。』と。
                                  エレミヤ 18:11,12


 自分の計画に価値を置くことをやめて、イエス様の前に悔い改めましょう。
 大損をしないために。
                        

今日のジョイジョイ

2010-04-11 16:16:26 | ジョイジョイクラブ
 今日のジョイジョイクラブは、進級・入学おめでとうジョイジョイでした。

 ペットボトルリレー、ビーチボールリレー、記憶ゲームで楽しみました。

 今日のみことばは、主は正義と公正を愛される。詩篇33:5でした。

 主=神様=イエス様です。

 聖書の神様は、人間の作った神ではなく、宇宙や地球、生物や人間を造った本当の神様です。

 そして、その神様は正しいお方で、罪ある私たちをイエス様によって罪を赦し、正しい方向に導いてくださるすばらしいお方です。

イエス様の涙

2010-04-11 15:27:25 | 礼拝メッセージ
 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
 「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」                                        
                                   ルカ 19:41~44

 イエス様は、エルサレムのために涙を流されました。なぜそこまで悲しまれたのでしょうか。 
 イエス様は深い愛情を注いでいたのに、あまりにも彼らの心がかたくなであったからです。その結果の悲惨さを知っていたからです。
 その結果とは、AD70年にローマ軍によってエルサレムが陥落したことです。
 「ローマの新皇帝に即位したベシパシアヌス帝はAD70年に長子タイテュス将軍を指揮官として大軍をユダヤに派遣しました。タイテュス軍は、カイザリヤ、サマリヤを通って進撃し、エルサレムの北に司令部を設置しました。
 一方、エルサレムには約100万人の市民がおり熱心党と穏健派の対立で内乱状態でありましたが、一万数千の兵が守備につきました。
 これに対しローマ軍は完全な包囲作戦をとったのです。
 その結果、飢餓と疫病で反乱軍は大打撃を受け、名家の出の女が自分の赤子を殺して食べたという記録さえ生まれました。
 篭城の苦しみに耐えられず、城から逃げ出して来る者は捕らえられ、十字架につけられました。十字架刑に使う木材の数は日に五百本づつ増えていき、ついに処刑に使う木材がエルサレム周辺から無くなってしまったということです。
 そして、半年後の70年8月、ついにユダヤ人は百十万人がことごとく殺され、エルサレムは炎上、至る所に死体が散乱し廃墟と化してしまったのです。
 奇しくもエルサレム神殿の破壊はソロモンの神殿の崩壊と同月同日でユダヤ暦のアブ月9日でありました。」(「新キリスト教ガイドブック」より)
 

 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。 
 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」                             ルカ 13:34,35

 人々は、イエス様が裁判にかけられた時、イエス様よりも極悪人のバラバの釈放を願い、この罪の結果が、自分たちと子孫にかかってもかまわないと言ったのでした。 
 自分たちの救い主・イエス様を拒否した結果が本当に悲惨なものになってしまいました。 
 神様は、旧約時代から今日まで、たくさんの預言者を遣わして人々を信仰の道へ導こうとしましたが、拒否され続けてきました。  

 イエス様は、今も、涙をもって語り続けておられます。
  
 イエス様は、人々が悔い改めて心からイエス様を喜び、受け入れない限り、祝福がないということを言われました。
 私たちもイエス様に従わない、言いなりになっていない、かたくなな心を捨て去りましょう。

今日の樽前山(苫小牧)

2010-04-08 19:06:09 | エッセイ
 今日は、晴れ晴れの天気でした。

 暖冬で春は早いと言われていましたが、暖かかったり寒かったりで、結局、桜の開花日も例年並みのようですね。

 樽前山の雪も少しづつ解けてきました。

 噴煙(水蒸気)がはっきり見えます。


 苫小牧市字樽前から撮ってみました。

 

 アップです。

 

 これは、苫小牧市字錦岡の丘の上から撮って見ました。

 桜の開花は一ヶ月強、後でしょうね。

 楽しみです。

 

苫小牧の鉄道日本一

2010-04-04 19:15:29 | エッセイ
 ウォーキングで室蘭本線の踏切まで行ってきました。

 ここは、鉄道の日本一連続直線距離最長区間、JR室蘭本線白老駅~沼ノ端駅です。

 距離は28.736kmです。(意外と短いかなぁ。。。。)


 こちらは沼ノ端駅(苫小牧駅、岩見沢駅)方面です。
 線路の向こうにうっすらと王子製紙苫小牧工場の紅白の煙突が見えます。
 

 こちらは白老駅(室蘭駅)方面です。(逆光になってしまいました。)
 

信仰によって生きる

2010-04-04 14:46:29 | 礼拝メッセージ
 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 
 いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
                         ガラテヤ人への手紙 2章20節

 今年度、主から当教会に与えられたみことばです。
 この一年、特にこのみことばの事実に生かしていただきましょう。
 わたしたちが信じなければならないことは次のことです。   

 ①私はキリストとともに十字架につけられた。自分は生きていない。           (ローマ6:1~11)  
 自分自身は、罪に対して死んだ者であり、神に対してはイエス様にあって生きた者だと思いましょう。(ローマ6:11)  

 ②キリストが私の中で生きている。  
 イエスさまはよみがえられました。信じる私たちもよみがえりに与れます。
 主は、私たちの中に内住してくださっている聖霊様によって私たちの体をもよみがえらせてくださる。(ローマ8:11)  

 ③信仰によって生きている。  
 私たちは、自分自身の考えと力によって生きるのではなく、イエス様を信じる信仰によってしか生きられません。  
 へりくだる者が、恵みを受けて立つことができます。立つことができないほど弱っているならば、へりくだることです (イエス様に従うことです)。
 どんな信仰者でも、教会でも、ふるわされるようなことに直面します。病気、人間関係のトラブル、仕事上のトラブル、事故、信仰の試練、惑わす教え、信仰の破船に会う者。
 ふるわされても揺るがない者とはへりくだって従っている人です。  


 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。            
                        ガラテヤ人への手紙 2章21節


 ④神の恵みをむだにしない。  
 イエス様の恵みが注がれているのに、自分の義を振り回したり、教会や兄弟姉妹に仕えないで自分勝手な道に歩むことはやめましょう。

ジョイジョイイースター

2010-04-04 14:33:47 | ジョイジョイクラブ
 今日は、「イースター」、私たちの罪のために十字架で死んで、3日目によみがえられたイエス様を喜びましょう。

 今日は、みんなでイースターエッグを作りました。
 
 

 今日のみことばは「わたしは、よみがえりです。いのちです。ヨハネ11:25」     です。

 イエス様が私たちの身代わりとして十字架について死なれました。でも、イエス様は死も罪も打ち破って生き返りました。

 イエス様を信じる人は、永遠のいのちをいただくことができます。