シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

キリストの潔(いさぎよ)さ

2007-05-30 23:16:21 | エッセイ
 もう、この時期、桜は忘れられようとしていますが、今、苫小牧では八重桜が満開です(ちょっとすぎたかな)。
 日本人は桜が大好きですね。なぜここまで桜が大好きなのでしょうか。ぱっと咲いてぱっと散るからでしょうか。
 イエス様の散り際も美しいですね。大和魂かもしれませんね。
 よくイエス・キリストは博愛主義者のように言われますが、全然違いますね。

 「人の子(イエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」       マルコ 10:45

 
イエス様は目的を持ってこの世に来て下さいました。それは、十字架で死んでその命を私たちに与えるためでした。イエス様の身代わりによって私たちの罪は赦されるのです。
 ただし、罪が赦される人は限られています。イエス様を自分の救い主として信じて、イエス様の言いなりになる人です。
 イエス様が一番潔い方です。      さくらのよう・・・・。

日曜学校 ジョイジョイクラブへようこそ

2007-05-28 22:33:18 | 案内

 私たちの教会では、毎週日曜日にたのしい日曜学校をやっています。
 その名も「ジョイジョイクラブ」です。「ジョイ」とは「たのしい」という意味です。
 みんなで元気にからだをつかうゲームや、あたまをつかうおもしろいゲームをしています。
 そして、神さまをさんびする歌をうたったり、せいしょのおはなしをきいたり、とてもたのしくてためになります。
 おともだちといっしょにきてくださいね。
 6月10日は父の日のためのプレゼントカード作りをしますよ。
 おたのしみに。(かならずお家の人にいってから来てね。)


だれもかれも腐り果てている。

2007-05-27 23:27:37 | 礼拝メッセージ
 愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行なっている。
 善を行なう者はいない。神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。
 善を行なう者はいない。ひとりもいない。          詩篇53章1~3節

 この聖書のことばは今から3000年ほど前に書かれたものです。現在の世の中も不正や殺人がはびこり大変な状態ですが、当時も神様を無視し自分勝手に生活する人間であふれていた様子がわかります。
 へりくだって創造主である神様を認めない人間は腐り果ててしまっていました。

 しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった。
 イスラエルよ。あなたはわたしのために労苦しなかった。
 あなたはわたしに、全焼のいけにえの羊を携えて来ず、いけにえをささげて、わたしをあがめようともしなかった。
 わたしは穀物のささげ物のことで、あなたに苦労をさせず、乳香のことであなたを煩わせもしなかった。
 あなたはわたしのために、金を払って菖蒲を買わず、いけにえの脂肪で、わたしを満足させなかった。
 かえって、あなたの罪で、わたしに苦労をさせ、あなたの不義で、わたしを煩わせただけだ。                                 イザヤ書43章22~24節

 神様はすべての人がへりくだって神様を認め、イエス様の救いを受け入れることを願っておられます。そして、へりくだって神様にささげものをお返しすることを求めておられます。
 クリスチャンだから神様に献金(返金)をするのではなく、人間はみな、神様から神様におささげする分をいただいているので、それを神様にお返しするべきです。
 神様は私たちの収入の十分の一を返すように求めておられます。これを返さなければ神様のものを盗んでいることになります。いくらクリスチャンでも神様のものを盗んでいたら祝福されません。
 わたしたちはそのほかに神様に感謝献金をささげて心からの感謝を示すべきです。
 せっかくイエス様の救いをいただいたのであれば、献金のことや罪・不義で神様を煩わせないようにしましょう。
 主を信頼する者を主は尊んでくださいます。ハレルヤ。感謝します。

「弱肉強食」という妄想の悲劇

2007-05-26 18:59:25 | エッセイ
 「この世は弱肉強食の世界だから強者は弱者を殺してもよい。自分と同じように他人にも価値はない」

 
これは、神戸児童殺傷事件の犯人である少年が言ったことばです。
 わたしたちは、こどもの頃から学校で「創造者(神)はいない。」「人間は偶然に発生し、偶然に進化した。」「進化の過程では、強いものが生き残り、弱いものが滅びていった。」と教えられてきました。
 国を挙げて「神は非科学的」「科学ですべてが証明される。」、科学万能主義の中で教育されてきました。まさに少年の主張は国と学校が教育してきたとおりの考え方に教育されたことを証明しています。
 確かに私たちは科学の恩恵を受けて生活しています。しかし、科学で解明されたことはほんの一部に過ぎないのです。わからないことだらけなのです。
 謙虚になって私たちを造ってくださった創造主(神)に立ち返らなければ解決はありません。
 庭にスズランが咲き始めました。人間はこのスズランを踏み潰して、根こそぎにして来年から咲かせなくすることはできるでしょう。でもこのスズランを造り出すことはできません。

 聖書の一節を紹介します

『あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。・・・・・・「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」   イザヤ書43章4節』

 
「あなたもわたしも価値のある存在です。」これがほんとうのことなのです。

庭のライラックは蕾

2007-05-25 20:09:37 | エッセイ

 今日は、曇り。午後から少し雨模様、夕方から強風と雨になりました。
 札幌ではライラック祭りですが。庭のライラックはまだまだ蕾です。
 咲き始めると花が垂れ下がるくらい大きく咲きます。きれいですよ。咲いたらアップしますね。

 聖書の1節

「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。 
ヤコブの手紙2章17節」

 
本当の信仰とは、誰かが困っていたら必要なものを差し上げることです。  口で私には信仰があると言い、心で私には信仰があると思っていても、その信仰が行動として現れていなければ、その信仰は空言(事)です。ないも同然のものです。
 神様も「天地を造った」「あなたを愛している」を言っただけなら私たちにはわかりません。
 でも、美しいライラックを咲かせ、水と空気と食物を与えて私たちを養い、わが子イエス様を十字架で私たちの身代わりとした様子を見て、私たちは、神様のすばらしさと私たちに対する愛の深さを知ることができます。
 感謝しましょう。


今日の樽前山

2007-05-24 20:46:52 | エッセイ
今日も快晴でした。気温19℃、すがすがしい気候です。
ハスカップの花も咲き始めたらしいです。

聖書の1節

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。詩篇19篇1節」

自然がすばらしい苫小牧に一度お越し下さい。おいしいものもたくさんありますよ。
明日の夜からは雨になるようです。

苫小牧秀峰樽前山ほんのちょっと残雪

2007-05-23 22:37:47 | エッセイ

 今日は気温が20℃まで上がりました。樽前山の残雪も完全になくなりそうです。新緑がだんだん映えてきました。
 
 聖書のことばを一つ

 「に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
 
をおのれの喜びとせよ。
 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。       詩篇37篇3,4節」


 聖書のことばは生きて働きます。
 (真の神様、天地の主)を信頼して従いましょう。間違ってもを都合の良い召使にしないようにしましょう。


苫小牧市・樽前山夜景

2007-05-22 21:10:55 | エッセイ
 樽前山の残雪がもうすべて消えそうです。昼間写そうとしたのですが、もやがひどくて断念しました。
 夜になってJRの陸橋から町の夜景とともに撮りました。樽前山のシルエットもなかなか美しいですね。
 樽前山の裾野の新緑も映えてきました。昼間の画像も近々アップします。

家庭菜園開始。成長させてくださるのはダレ?

2007-05-21 23:28:35 | エッセイ

 ゴールデンウィークに耕運機(畑仲間の方から借りました)で耕した家庭菜園。昨日、ミニトマト、ナス、カラーピーマン、シシトウ、キュウリの苗を買ってきてビニルハウスに植えました。いつも、病気や害虫で収穫は少ないのですが、今年こそと思って植えてみました。

 聖書に次のような言葉があります

 「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださるのは神なのです。
 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。      Ⅰコリント3章6~8節」

 
私たちが何か働きをしたからといって高慢になる必要はありません。哀れみと恵みによって成長させてくださる神様が素晴らしいのです。
 私たちは一人ひとりに与えられている、神様からの使命を忠実に一所懸命果たしていけばいいのです。あとは神様が成長させてくださいます。
 力んだり、人と比べて落ち込んだり、絶望したり、さげすんだりする必要はないのです。神様がすべてを見ていてくださるのです。
 イエス様に信頼して生きるとはなんと楽な生き方なんでしょうか。

 さあ、我が家の野菜たちに水を注いで大豊作を期待しましょう。


「イエス様はさばき主」ということを勿忘草

2007-05-20 22:47:12 | 礼拝メッセージ
 すべての者にさばきを行ない、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」
 彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。          ユダの手紙1章15、16節
 
 神様(イエス様)は愚かな者ではありません。人間の神様(イエス様)に対する無礼を見過ごしたり、赦したりするほどいい加減でおひとよしではありません。すべての罪を厳然と裁かれるお方です。そうでなければ、世の中をうまく立ち回って自分のやりたい放題をやった人が1番幸せ者です。
 でも真実は、隠れたことも、私たちの心の中もすべて神様(イエス様)によって裁かれるということです。そして、その裁きから救ってくださるのが、イエス様の十字架、イエス様のあわれみです。


 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。             ユダの手紙1章20、21節

 ですから、イエス様に対する信頼、信仰を汚されないようにしましょう。それこそが私たちを永遠の命に至らせるのです。イエス様を信頼して聖書のことばに従いましょう。祈りとみことばの生活です。主の集会を休まず、教会の指導者に従い、兄弟姉妹に仕える生活です。もう、自分勝手な生き方はやめましょう。
 へりくだる者は神様(イエス様)によって高められます。
 この真理を勿忘草。
 (庭に咲いている勿忘草です。小さいですが可憐ですね。倍賞千恵子の歌を思い出しますね。古い?)

チューリップと福島高3母親殺害事件

2007-05-19 21:59:22 | エッセイ
 庭にチューリップがきれいに咲きそろいました。実に調和のとれた美しい姿です。こころが和みますね。
 偶然にできたとは考えられない。やはり神様の知恵としか考えられませんね。

 「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。(創世記 1章31節)」

 
聖書に書かれているように、神様が造った宇宙も地球も生物も人間も全部非常に良いものでした。しかし、アダムとエバが神様に対して逆らってから罪が人間の中に入ってしまいました。そして、アダムとエバの長男カインが人類最初の殺人事件を起こしてしまいました。しかもそれは、弟アベルを殺すという尊属殺人だったのです。
 カインはアベルを殺す前に神様から「罪が戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と言われました。しかし、カインは殺人の道に突っ走ったのです。
 イエス様を裏切ったイスカリオテのユダは、みんなのお金を預かる会計係でしたが、その一部をちょろまかしていました。聖書には「ユダに、サタンがはいった。(ルカの福音書22章3節)」と記されています。
 「サタン・悪霊・罪」は悪の三点セットです。人は霊的な存在ですから「サタン・悪霊・罪」と契約を結ぶことも治めることもできるのです。
 福島の母親殺人事件は背筋が寒くなるような悲惨な事件です。しかし、わたしのこころにもあなたのこころにも、自分を通して人を抹殺しようとする罪のこころがあります。
 神様は愛と哀れみを私たちに示してくださいました。それは、神様のひとり子イエス様を十字架につけてわたしたちの身代わりとし、信じる私たちを罪から救ってくださったことです。
 救い主イエス様によって、神様がすべてを造ったときと同じように「非常に良かった」という状態にまで回復してくださるのです。
 もうだめだとあきらめかけた人でも、「わたしなんか・・・」となげやりになっている人でも神様は愛してくださって、ご自分との関係を回復してくださるのです。感謝しましょう。

スイセン満開

2007-05-18 20:12:42 | エッセイ
 1ヶ月前に芽が出てきたのに遅い雪に見舞われて凍えていたスイセンが満開になりました。数種類あって競って咲いています。
 私たちの目を楽しませ、心を和ませてくれます。実に美しいですね。
 聖書はこの花は偶然にできたのではなく、神様(イエス様)が造り、着飾って下さっていると言っています。
 神様(イエス様)は私たちに必要なものをすべて備えていて下さっています。感謝しましょう。
 私たちは一呼吸の空気も、一杯の水も、ましてやこの花の一輪でさえも造ることはできないのですから。神様(イエス様)はいつも私たち一人ひとりに対して一番良いことをして下さいます。

静内川河口のアオサギ

2007-05-17 18:49:26 | エッセイ
 静内川河口でアオサギを発見、近くに白いサギ(コサギかなぁ)もいたのでツーショットが撮れると思ったのですが逃げられてしまいました。
 アオサギも警戒心が強いようでズームを利かしてようやく撮りました。見えますか。河岸に沿って上っていくといろんな小鳥が見られますよ。(冬はハクチョウで大賑わいです。)

静内川鉄橋を走る日高線のディーゼルカー

2007-05-16 21:59:35 | エッセイ
 ローカル線JR日高線静内川鉄橋を走る1両のディーゼルカーです。海の上のように見えますが、静内川の河口です。様似に向かっ走っていきました。
 昔はSL(たしかC11)も急行エリモも走っていて、活気がありました。今は、ちょっとさびしいですね。
 元ふきのとうの山木康世さん(代表作「白い冬」「南風の頃」「思えば遠くへ来たもんだ」など)が日高線を歌った「ようこそ春の日日高路」という歌があるそうですね。一度聞いてみたいですね。