シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

いやーな自分にさようなら。

2007-10-21 21:51:34 | 福音メッセージ
 今日の写真は、昭和新山です。
 平坦な畑が隆起してできたと言うから不思議な山ですね。

 
 
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
 それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
 キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
                              Ⅰペテロ2章22~25節

 うれしいことにイエス・キリスト様は私たちが罪の悪い心から離れて、正しい生き方ができるように十字架で死んでよみがえってくださいました。
 イエス様は私たちとは正反対で、罪のないお方でしたから、私たちの罪を代わりに負うことができたのです。
 私たちは次に記す、マルコの福音書にあるように心の底から悪いもので満ちており、その悪が外に現れて相手も自分も汚してしまうのです。

 
「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
                              マルコ7章20~23節

 これらの罪はすべての人が持っています。
 いくら聖人君子のように振舞っても、こころの中は汚れで満ちています。
  しかし、イエス様はこれらの罪から私たちを解放してくださるのです。
 監督者であるイエス様のもとに帰りましょう。
 そして、監督の言うことを聞いて従いましょう。
 イエス様が解決してくださいます。
 イエス様の十字架の打ち傷によっていやされたのです。
 聖書を否定して「イエス様の打ち傷によってはいやされません。私は無理です。」という真逆の信仰は捨て去りましょう。

 

クリスマスの意味

2006-12-17 23:31:57 | 福音メッセージ
 クリスマスは何かしら楽しいウキウキ気分になりますね。どことなく平和で、やさしい気持ちになれそうな気がします。
 では、クリスマスの本当の意味とは何でしょう。クリスマスの本家本元聖書はこう言っています。

しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。ヘブル 7:24」

 
①  イエス・キリストはただの人ではなく、永遠の神様  が人となって生まれて下さったのです。驚くべき奇跡ですね。だから、世界中の人たちがみんなでお祝いするんですね。祭司とは、神様と人との間を取り持ってくれる人のことです。

 
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。1テモテ 2:6」

 
② クリスマスの意味はイエス・キリストが十字架で死ぬために生まれたということです。罪がないのに私たちの身代わりに、死ぬために生まれてきたということは、過酷で厳粛な生き方ですね。
 わたしたちも「クリスマスだ~」と浮かれてばかりいないで、イエス様の死を無駄にしないように、真剣にイエス様と向き合ってイエス様の救いをいただきましょう。そこに、本当の生き方、人生、家庭、社会があるのです。