シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

「神様は真実な方」ってことを信じていますか。

2006-03-26 21:33:08 | 礼拝メッセージ

  あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙第1 10章13節
 

  ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 ローマ人への手紙8章32節
  

  あなたは神様が真実で正しい方であることを心から受け入れ、心から信じて同意していますか。 教会に通い、主を礼拝し、お祈りをし、献金をし、人々にイエス様の救いを伝え、兄弟姉妹と交わりを持っていても「神様、イエス様は真実で正しい方」ということを心から信じていなければ、いつも、不平・不満とむなしさの中に生き、浮き沈みの激しい不安定な信仰生活を歩むことになります。 この思いが継続し、不平・不満が蓄積していくと不信仰につながり、罪(イエス様、みことばに同意しない)の生活に入っていきます。 私たちは、神様が真実で正しい方ならば試練に会わせないだろうと考えますが、みことばは「神は真実な方ですから、あなたがたに試練と脱出の道を与えます。」と告げます。  

  信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちていく金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。 ペテロの手紙第1 1章7節  

  私たちは、自分の考えではなく、みことばの言っていることを尊重して信じ、従いましょう。信仰の試練は私たちにとって必要不可欠のものです。このことと、神様、イエス様が真実な方であることを信じましょう。 イエス様から誉められ、ごほうびをいただけるようにつとめましょう。


「イエス様を知っていることのすばらしさ」

2006-03-21 23:58:47 | 礼拝メッセージ
ピリピ人への手紙3章7~14節
 私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

  政治家や芸能人と知り合いだったり、有名人と親戚関係だったとしたらちょっと自慢できます。そのことで自分が立派な良い人になった気になってしまいます(勘違いですね)。でも、時の人ともてはやされて有名人になっても次の日には犯罪者として捕らえられてしまうこともあります。 イエス様を知っているということは、有名人を知っていることとは比べることができません。  
・天地を造られたイエス様 
・計り知れない愛と恵みに満ちたイエス様 
・罪の赦しを与えるイエス様 
・すべてをさばかれるイエス様 
・永遠のいのちを与えるイエス様 
・十字架の死と復活を経験されたイエス様 
・日々の糧と自然の恵みを与えてくださるイエス様 
・聖霊様を与えてくださったイエス様  

     こんなにすばらしいイエス様を私たちはよく知っており、しかもイエス様は救いを得るようにと私たちを捕らえてくださったのです。私たちはなんと幸いな者でしょう。イエス様に感謝して生活しましょう。ルンルン

イエス様の日に誇る者

2006-03-13 23:52:15 | 礼拝メッセージ

ピリピ2章13~16節

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私たちは、自分の努力したことがむだではなく。苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

 16節は2005年度に教会に与えられたみことばです。1年間を通じて、みことばを信じてイエス様に従うことがどれ程大切なことか教えられてきました。イエス様は私たちにとって最善の道を用意しておられるのです。
 私たち人間は自分の意志や希望で生まれてくることはできません。人種、親、土地、環境、時代、性別、容姿、性格など何一つ自分では選べません。すべてイエス様が愛と計画をもって生みだしてくださいました。
 イエス様はご自分の計画のままに私たちのうちに働いてくださいます。ただし、イエス様を心から受け入れ、イエス様に心から従う思いがなければイエス様は私たちに働きかけることはできません。私たちは自由に「祝福」か「のろい」かを選ぶことができるのです。
 私たちがイエス様を心から信じ、自分の意に添わないことがあってもつぶやかず、疑わずにイエス様のみことばに従って行くならば純真な神の子どもになれるのです。私たちに必要なことはイエス様を信じ続け、従い続ける忍耐なのです。
 1.自分の思い通りにならない。
 2.イエス様を信じているがゆえに人から嫌がられる。
 3.偶像礼拝をしないので人から白い目で見られる。
 4.いっしょに人の悪口や下品な冗談を言わないのでしらけられる。
 5.いっしょに不正をしないので嫌がられる。
 6.教会や兄弟姉妹を大事にするので嫌がられる。
 上記のようにイエス様に従い、みことばを信じているために嫌な思いをすることがあります。しかし、イエス様が再び来られたときに、最後のさばきの時にイエス様を信じて従ってきたことが最も正しく、最善の生き方だったことを知って、イエス様をほめたたえることができるのです。
 「わたしは投げやりになりません。」と決心しましょう。


「誘惑に陥らないように」

2006-03-07 00:24:37 | 礼拝メッセージ

マルコの福音書14章32~38節

 ゲッセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。
 イエスは深く恐れもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください。」
 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。1時間でも目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

 
 イエス様は今まさに捕らえられ、十字架にかけられようとしていました。全人類、わたしとあなたのすべての罪をただお一人で背負おうとしておられました。
 最も愛する父なる神様、今まで一度も心離れたことがなく、最も親密な関係であったのに、そのお方から裁かれ、罪に定められて切り離される。その恐ろしさ、心引き裂かれる思いだったでしょう。私たち、人間の親子でも親子の縁を切るとなったら心が痛み、耐えきれないでしょう。もう話しかけることもできないのです。
 そんなイエス様の苦悩の心をよそに、弟子たちは揃いも揃って眠りこけていました。イエス様から頼まれ、念を押されたにもかかわらずです。「人の痛みは3年我慢ができる」人とはそういう存在です。
 弟子たちの姿は、私たちの姿です。イエス様は、「わたしの気持ちを理解して欲しい。知って欲しい。わたしのそばにいて同じ心でいてほしい。」と言っておられます。
 誘惑に陥らないように祈り続けましょう。あなたもわたしも、もし心が燃えていても肉体は弱いからです。
 祈りが私たちの信仰を支え、罪や不信仰から私たちを守り、聖く保ってくれます。


「神はすべての人に悔い改めを命じておられる。」

2006-03-01 00:55:04 | 礼拝メッセージ

使徒の働き17章29~31節

 神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。

米国の調査機関ギャロップによる「日本人の宗教観調査」
 ・調査年:2001年
 ・対象者:大人、若者(ティーンエイジャー)、児童
 ・対象人数:3,500人

 〈調査結果の一部〉
「自分の存在理由が分からない」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85%
「善悪の基準が状況によって変化し、絶対的な基準はない」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・73%
「悪い行為とは」-殺人、賄賂、不倫
「悪い行為ではない」-飲酒、婚前の性交渉
「自分自身が被害をこうむる行為よりも、所属するグループへ迷惑をかける行為に罪悪感を持つ」
「正夢、幽霊などの神秘現象に関心が強い」 宗教は拒否するが、霊的なものには関心が強い。
「誰も聞いているとは思わないが自分が落ち着くために祈る」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大人67%、若年59%
「本当に生きている超自然的な存在がいて、祈りを聞いてくれる」・・・・・・・・・・・・・・・・・・大人13%、若年17%
「キリスト教を知っている。好印象を持っている。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50%
「多様な文化を取り込む一方で、日本人らしさへのこだわりが強い。」
(リバイバル新聞3月5日号より)

 とても興味深い調査結果です。学校で進化論をあたかも科学的事実であるかのように教えてきたことの大いなるつけが現れています。「偶然に発生し、自然淘汰によって生き残った猿のなれの果てがあなたです。絶対的な基準はありません。人の自由です。価値観の多様性を認めましょう。」このような教育と社会の中で自分の存在理由や価値を見いだせないのは当然のことです。確かな基準のない人生は不安定な心を育てます。
 聖書に「神は人の心に永遠への思いを与えられた。」(伝道者の書3章11節)と記されています。人は心のどこかで絶対的存在、神様を意識して生きています。
 「神様なんかいない。神様に対して責任なんかないんだ。自分は自分らしく生きればいいんだ。」と無理に神様の存在を否定して生きようとしますが、なかなかそうはいきません。
 神様は、イエス様をとおしてご自身を見えるかたちで現してくださいました。イエス様を見ると天地万物を造られた全能者である神様を知ることができます。そして、救い主イエス様によって罪赦され、神様のもとに立ち返ることができるのです。感謝しましょう。