シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

深入りしない生き方

2006-04-30 22:29:45 | 礼拝メッセージ
主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。
イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。
                                   詩篇131篇1~3節


 神様はことばをもってこの宇宙、地球、生物、人間を創造されました。私たちはこの全てを造り、全てを支配しておられる神様自身のこと、神様の知恵と知識を知り尽くすことはできません。また、神様に対して私たちにわかるように全てを明らかにすべきだと要求することはできません。
 私たちは神様によって造られ、様々な恵みをいただいて生かされている者です。この神様を人の目で見えるかたちで現してくださったのがイエス様です。私たちは聖書を通してイエス様の言われたこと、行われたことを見て神様がどのようなお方であるか、どのような考えを持っておられるか、私たちに何を望んでおられるかを知ることができるのです。
 霊の世界についても私たちは知り尽くすことができません。最近は、テレビなどで占いや霊媒によってもっともらしく霊の世界について語られ、人々を惹きつけています。しかし、私たちは聖書で語られている以外では霊の世界について正しく知ることはできません。占いや霊媒は正しくことを言い当てて幸福な道を示そうとしているように装っていますが、最終的には恐れによる束縛でしかありません。
 聖書では占いや霊媒を厳しく戒めています。なぜなら、それらは神様から出ているものではなくサタン・悪霊から出ているからです。聖書では預言が一度でも外れたらそれは偽預言者であり、恐れる必要はないと言っています。彼らはまた不思議な現象を見せて人を信じ込ませようとすることもあります。
 イエス様は私たちの罪を背負い、身代わりとなって十字架で死んでくださいました。そして、3日目によみがえってサタン・悪霊・死を打ち破って勝利を得てくださいました。このイエス様に信頼し、私たちが知る必要のない及びのつかないことや不思議なことに対して深入りしなければ幸いな道を歩むことができます。
 イエス様にすべてをゆだねましょう。平安をいただきましょう。そして、ゆっくりしましょう。

恐れる心を持ちましょう。

2006-04-23 20:40:27 | 礼拝メッセージ
 こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。ヘブル 4:1
 
 聖書では旧約聖書で書かれている人たちの状況を見て自分の歩み方を考えるように薦めています。私たちの生き方は自分が喜び、自分が満足し、自己実現ができれば良いのではありません。私たちは神様から命を与えられ、日々神様からのめぐみをいただいて生かされています。神様の前に正しく生きる責任があるのです。神様の御心に沿って生きなければ刑罰があるのです。 
 
 神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。ヘブル 4:7  
 
 
旧約時代の人たちも新約時代の私たちも神様からのことばをいただいているのは同じです。すべての人が神様の啓示(聖書・自然)をいただいているのです。ですから、神様の語りかけを聞いたときに拒まずに素直に受け入れましょう。 
 
 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。ヘブル 4:16  

 
 
イエス様は神様のことを私たちにわかりやすく身をもって示してくださいました。そして、私たちを同じ肉体を持つことで私たちの人生の辛さや難しさを知っておられて同情してくださり、折りにかなった助けを与えてくださるのです。救い主イエス様のお名前によって大胆に神様の恵みに近づきましょう。

イースターおめでとう!

2006-04-16 22:02:28 | 礼拝メッセージ

 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
              ヘブル人への手紙 2章14~18節
 

 今日はイースター(復活節)です。イエス様が十字架に付けられ死んで墓に葬られ、3日目に死を打ち破ってよみがえられた日です。イースターはクリスマスと違って毎年日付が変わります。それは、春分後の最初の満月の直後の日曜日とされているからです。これは、便宜上このように定められているだけで深い意味はありません。大切なのは歴史上の事実としてイエス様が死からよみがえられたということです。もしこの事実がないのであれば、イエス様の救いや聖書は信頼に値しないばかばかしい嘘っぱちです。このブログもすぐやめます。しかし、感謝すべきことにイエス様の復活は歴史が証明していますし、何よりも神の言葉「聖書」が証明しています。     

 今日の聖書の言葉

 1.イエス様が私たちを救うために創造神でありながら人間となってこの地上に来てくださった(クリスマス)。
 2.悪魔、死、罪に支配されていた人間を開放して下さった。
 3.試練の中にある私たちを同様に試練を経験したイエス様が助けてくださる。

  うれしいですね。イエス様が私たちを救うために人間となって来て下さり、罪を背負って十字架で死に、よみがえって下さいました。イエス様がよみがえらなければ救いの確証はなかったでしょうし、悪魔や死に対する勝利もなかったでしょう。試練の中でも、罪や死の恐怖の中でもがっかりする必要はありません。なぜなら、イエス様が復活して勝利を得てくださったからです。あなたもイエス様を自分の救い主として信じ従うなら救われます。


教会紹介

2006-04-09 23:03:22 | 案内

 わたしたちの教会を紹介します。これは礼拝堂の正面の様子です。毎週ここでイエス様を礼拝しています。礼拝は賛美、お祈り、聖餐式、聖書の朗読、聖書のお話しがあります。礼拝堂といっても、イスを片付けてジョイジョイクラブ(日曜学校)でボール遊びやゲームをして遊んでいますし、お昼には長テーブルを出してみんなでお昼ご飯を食べています。和気アイアイ、楽しい教会です。

クリスチャンの言うべきこと

2006-04-09 22:30:51 | 礼拝メッセージ
  「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。
 その恵みはとこしえまで。」    
 主にあがなわれた者はこのように言え。    
 主は彼らを敵の手から贖い。    
 彼らを国々から、    
 東から、西から、北から、南から、集められた。         
 彼らは荒野や荒地をさまよい、    
 住むべき町へ行く道を見つけなかった。    
 飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。  
 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
 主は彼らを苦悩から救い出された。    
 また彼らをまっすぐな道に導き、    
 住むべき町へ行かせられた。    
 彼らは、主の恵みと、    
 人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。    
 まことに主は渇いたたましいを満ちたらせ、
 飢えたたましいを良いもので満たされた。
                     詩篇107篇1~9節
  

 あなたは「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と言っていますか。主はイエス様の救いを受けた者はそのように言うように命じられています。あなたがそのように思わなくてもそのように告白しましょう。なぜならそれが真実で正しい言葉だからです。自分の思いを正していただきましょう。 このことは、あなたの親に対する心と似ています。親は無条件であなたを愛して育ててくださいました。聖書は無条件で両親を敬うように命じています。

あなたの父と母を敬え。    出エジプト記20章12節  

 詩篇107篇4節以降には主から心が離れ、ほかのものに従ってしまって苦しみに会い、主に向かって叫んで救い出される様子が描かれています。わたしたちも苦しみにあった時にへりくだって主に従いましょう。ほかのもので心を満たそうとしたり、解決を得ようとするとますます泥沼にはまってしまいます。主に叫び求めましょう。そして、いやでも主が命じられている言葉を告白しましょう。

春の樽前山

2006-04-09 00:16:42 | エッセイ
平地の雪はほとんど解けて、日陰に少し残っているくらいです。苫小牧のランドマーク樽前山はまだまだ真っ白です。積雪が10cm減るとその雪解け水は40mm程度の降雨量に相当するそうです。その水が大地を潤し、私たちの貴重な飲料水になるのですね。イエス様のめぐみはすごいですね。命の無い山を神とするのではなく、この美しい山を造られた真の神様、イエス様をほめたたえましょう。樽前山の雪が解けるころには家庭菜園に種をまき、花壇に花を植えます。

「本当の勝利者はわたしです。」ってことを信じていますか。

2006-04-03 00:06:43 | 礼拝メッセージ
神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。 罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。 二心の人たち。心を清くしなさい。 ヤコブの手紙4章7,8節  

  8節は2006年度に教会に与えられたみことばです。 イエス様は私たちクリスチャンに対して、清い生活を送るように勧めておられます。私たちが、悪魔の策略に惑わされたり、悪魔の言いなりになったり、悪魔に従ったりするのではなく、神様に従って悪魔を退けるように命じておられます。そのためには罪から離れた清い生活を身に付けるようにと言われます。  

神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。 ヨハネの手紙第1 5章3~5節  

あなたはイエス様を神の御子と信じておられますか。もちろん信じておられますよね。そうであれば、あなたは勝利者です。このことを心から信じましょう。聖書がそう言っているからです。 サタン・悪霊を必要以上に恐れる必要はありません。私たちの勝利は、私たちの信仰の基がイエス様の十字架の死と復活が根拠になっています。自分の力ではなく、イエス様の功績によって信じる私たちにもイエス様の勝利の力、サタンの業を打ち砕く力、義に生きる力が与えられているのです。 私たちは、自分の考えではなく、みことばの言っていることを尊重して信じ、従いましょう。