シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

今日の樽前山(苫小牧市)

2007-11-29 22:53:59 | エッセイ
 今日は目の覚めるような素晴らしい快晴でした。
 近くの跨線橋から写してみました。
 雄大で美しい姿です。

 山が立てられる前に、丘より先に、私はすでに生まれていた。
 神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。
 神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。
                             箴言8章25~27節

 
この聖書のことばは、イエス様のことですね。
 もう少しでクリスマスですけれど、天地を造られた神様が人となって来て下さいました。
 これがイエス様の誕生であり、クリスマスの意味です。
 なぜ、わざわざこの地上に来てくださったのでしょう。
 その答えは聖書に書かれています。

私のうちに住みついている罪

2007-11-25 16:36:08 | 礼拝メッセージ
 私には、自分のしていることがわかりません。
 私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。
 私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
                             ローマ7章15~20節

 パウロは立派なイエス様の弟子ですが、自分の心の中に善が住んでいなくて罪が住みついていると告白しています。
 その罪が自分をしたくはない行動に駆り立てるのです。
 あなたはどうでしょうか。「自分の中に善はない、罪がある。(罪とは律法に逆らうことであり、イエス様の言うことを聞かないことです。)」と認めるでしょうか。
 律法によって罪を認め、イエス様に救いを求めることができます。


 マリヤは男の子を産みます。
 その名をイエスとつけなさい。
 この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。
                         マタイ1章21節

 イエス様こそ、あなたを罪から救ってくださる方です。
 罪から救われた者は、罪から離れて生きることができ、永遠の救いをいただくことができます。
 

 今日の写真は、なんだかわかりますか。(2年ぶりに講習会で東京に行って来ました。
 東京ファッションタウンビルの広場の噴水です。
 下から吹き上がる噴水ではなく、吹き抜けの天井から滝のように落下する噴水でした。
 なかなか幻想的な風景でした。 


苫小牧の秀峰・樽前山は雪化粧

2007-11-24 23:17:57 | エッセイ
 11月としては例年にない寒さが続いています。
 市街地に積雪はありませんが、やはり樽前山が白くなると吹き下ろす風が急に冷たくなるような気がします。

 さて、明日は日曜日。
 教会に行って神様の言葉、聖書に聴きましょう。

 聖書はあなたに罪の赦し、救い、いやし、開放、人生の意味、喜び、感謝、幸い、正しい生き方など良いものをたくさん与えてくださいます。

 子どもさんは日曜学校に行きましょう。
 幼い時からイエス様に対する信仰を持つことはとても良いことです。
 将来が明るくなります。

義の奴隷

2007-11-18 21:06:15 | 礼拝メッセージ
 あなたがたはこのことを知らないのですか。
 あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
 あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。
                     ローマ6章16~19節

 聖書は「あなたは義の奴隷となった」と断言します。
 あなたはこれを信じていますか。
 ちょっと信じられなくても信じましょう。
 聖書よりも自分の考えの方が正しいことはないでしょうから。
 わたしたちは、かつてサタン・悪霊・罪の言うことを聞いて従っていましたが、今は伝えられた聖書の教えに心から服従して義の奴隷となったのです。
 今、聖書の教えに心から服従しているかどうかが問題です。
 従っていないところがあったら、早めに修正しましょう。
 イエス様が喜ばれます。
 サタン・悪霊・罪に従っていたらイエス様は泣いています。
 手足をイエス様にささげましょう。

あなたは何の奴隷

2007-11-18 00:48:34 | エッセイ
 イエスは彼らに答えられた。
 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。」
                         ヨハネ8章34節

 お酒、たばこ、パチンコ、家族、ペット、車、趣味、仕事、お金、スポーツなどなど、あなたは何の奴隷ですか。
 何でも自由に自分の好きなようにやってんだから「わたしは自由だ!」と叫んでみても、その物に捕らわれてやめられなくなっていたら、それはりっぱな奴隷です。

 イエス様は言われます。
 「罪の奴隷ではなく、わたしを信じて義の奴隷になりなさい。」

 明日は日曜日、教会に行ってイエス様にお会いしましょう。
 (あっ!もう12時が過ぎて明日になってしまった。早く寝ようっと。おやすみさない。)

樽前山初冠雪

2007-11-16 03:01:49 | エッセイ
とうとうやって来ましたね。
曇りとピンボケですっきりしませんが樽前山の初冠雪です。
平地にも雪がやって来ますかね。

インフルエンザが例年になく早い時期から発生しているようですね。

外から帰ったら「うがい、手洗い」忘れずに。

心の一新によって

2007-11-11 22:07:27 | 礼拝メッセージ
 そういうわけですから、兄弟たち。
 私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。
 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。
 それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
 この世と調子を合わせてはいけません。
 いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。                               ローマ人への手紙12章1,2節

  あなたはこの世と調子を合わせますか。
 神様のみこころである聖書に調子を合わせますか。
 イエス様はこの世と調子を合わせる生き方ではなく、心の一新によってイエス様のお心を選び取るあなたを望んでおられます。
 その選択にしかあなたを真に生かす道はありません。
 そこにしかあなたの満足する道はないのです。

 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。
 だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。
 いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。        ローマ人への手紙12章3節

 あなたもわたしもイエス様から与えられた恵みによって生かされています。
  「人を自分よりまさっている」と思いましょう。

教会とは?

2007-11-10 22:45:43 | エッセイ
 明日は日曜日、イエス様を礼拝する日です。
 みんなで教会に行きましょう。
 教会に行って主の集会に参加することはイエス様の喜ばれることです。
 行っても行かなくてもいいようなものではありません。
 気分が向いたら行くところでもありません。
 仲間同士の集まりやサークル活動や町内会の集まりとは違います。
 救い主イエス様を礼拝し、イエス様に仕え、兄弟姉妹に仕える集まりです。
 喜びを分かち合い、悩みや苦しみをゆだねる時です。
 イエス様からみことばをいただき、取り扱っていただいて信仰を正す時です。

 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。    エペソ人への手紙1章22,23節

 
教会の主はイエス様です。
 イエス様に会いに行きましょう。

死んだ人が救ってくれるのか、生きている人が救ってあげるのか。

2007-11-09 23:41:16 | エッセイ

 先週、父の一周忌のため実家に行って来ました。
 仏教式です。
 80人ほど集まりました。
 お昼のご馳走を目の前にして、お坊さんのお経が42分間続きました。
 みんな、あまりの長さに居眠りをしたりあくびをしたり、いつ終わるのだろうかと待ちました。
 お坊さんのお話、「生きている人が熱心におつとめをすれば、亡くなった人が高い位にいける。」「亡くなった人が生きている人を守ってくれる。」という内容でした。
 死んだ人が生きている人を助けることができるのか、生きている人が死んだ人を助けるのか。(もしかしたら、みんながお坊さんを助けていたりして)
 不可思議な話しでした。

 聖書のことば

 「義人はいない。ひとりもいない。
 悟りのある人はいない。
 神を求める人はいない。
 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
 善を行う人はいない。
 ひとりもいない。」             ローマ3章10~12節
 
 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず。 
 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」                  ローマ3章23,24節

 
あなたは人を救えますか。
 心はきれいですか。
 心の中すべてをほかの人に見せられますか。
 
正しい生き方ですか。

 自分の心の中を見ると、ほかの人を救うのは無理だとわかります。
 聖書のことばの方が正しいと思えます。


 今日の 写真は霜が降りた白菜です。寒くなりましたね。


患難の向こうに希望を見出せますか。

2007-11-04 18:44:05 | 礼拝メッセージ
 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
 それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。
 なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
                           ローマ人への手紙5章2~5節

  わたしたちの良い行いや、立派さによってではなく、イエス様のあわれみとめぐみによって、イエス様に対する信仰が与えられました。
 そして、神様のすばらしさを大喜びしています。
 ではどうでしょうか。
 神様のすばらしさと同様に「患難」を喜んでいるでしょうか。
 どうして患難を喜べないのでしょうか。
 
 考えられる理由は、

 1.自分の思いどおりに行かないから。
 2.苦しみたくないから。
 3.苦しみに重要な意味があるとは思えないから。

 いろいろあります。
 しかし、聖霊様によってイエス様の愛が心に注がれており、霊の目が開かれていれば、次の希望の連鎖が理解できます。

  患難→忍耐→品性→希望

 イエス様はわたしたち一人ひとりをご自分に似せようと努力しておられます。
 6節以降を読むとイエス様の愛の大きさを実感します。

 1.イエス様は弱く不敬虔で罪人であるわたしのために死んでくださった。
 2.イエス様によって神様の怒りから救われた。
 3.イエス様によって敵対していた神様と仲直りができた。

 わたしたちが砕かれて整えられなければならない点、離れなければならない罪、へりくだってイエス様に頼らなければならない点などなど、信仰の試練と患難によって取り扱っていてくださいます。
 患難の向こうにイエス様が持っておられた忍耐、品性、希望が必ずあることを信じましょう。
 こんなに腐れきった自分がイエス様に似た者へと変えられようとしていることに感謝しましょう。

霜柱

2007-11-03 23:33:03 | エッセイ
 昨日の朝の霜柱です。
 子供の頃に畑や田んぼで霜柱を踏んで遊んだことを思い出します。

 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。
 そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。
 邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
                         マタイの福音書12章43~45節

 
イエス様のすばらしさを知りながら、イエス様を無視して従わなければ、イエス様を知る前よりも悪い状態になります。
 お互い注意しましょう。
 明日はイエス様を礼拝する日です。
 自分勝手に過ごさないようにしましょう。

霜が降りました。

2007-11-02 21:43:12 | エッセイ

 けさ、霜が降りました。
 今シーズン、2~3回目です。
 黄色い花(ルドベキア)にきれいな霜の花です。
 札幌や室蘭では初雪が降ったそうです。

 氷はだれの胎から生まれ出たか。
 空の白い霜はだれが生んだか。
                        
ヨブ記38章29節

 神様がヨブに語られたことばです。

 人間はいろんなことを研究し、解明してどんなことでもわかり、どんなことでもできるようになった気でいます。
 しかし、ほとんど何もわかってはいないのです。
 自分自身のことさえもわかってはいないのです。
 ただ、神様のめぐみの中に生かされているのです。
 神様に聴かなければ本当のことはわからないのです。
 へりくだって聖書を開き、「イエス様、聖霊様教えてください。」と祈りながら読みましょう。
 あなたの考えるべきこと、歩むべき道が示されます。