「聖められる道を歩もう」 第2コリント6章14~7章1節 2005/11/27
不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。
「わたしは彼らの間に住み、また、歩む。
わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。
それゆえ、彼らの中から出て行き、 彼らと分離せよ、と主は言われる。
汚れたものに触れないようにせよ。 そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、 わたしはあなたがたの父となり、 あなたがたはわたしの息子、娘となる、 と全能の主が言われる。」
愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
パウロは第1の手紙でちょっと言い過ぎたかなぁという気もありました。しかし、苦しみ、辛さ、戦い、恐れを伴いながらも、コリント教会の兄弟姉妹が主の前に悔い改めて教会の中から罪を除き去ったことで信仰が回復し、教会が回復して行ったのです。 パウロの心も悲しみから喜び、落胆から慰め、後悔から喜び、不信から信頼へと変わって行きました。パウロとコリント教会相互の信頼と愛が増し加わり、主への熱意がともに燃え上がって来たのです。 コリントの兄弟姉妹がパウロのことばを人のお節介なことばとして捉えていたならば、悔い改めに導かれることはなかったでしょう。パウロも「なんで、俺の言うことを聞かないんだ。」と人間的な思いで言っていたのであれば決裂していたでしょう。彼らは主のことば、イエス様のことばを尊重して受け入れ、聖められる道を選んで祝福されたのです。 みことばは今も生きて働いています。祝福の道はあなた用に用意されています。感謝して受け取りましょう。