シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

「聖められる道を歩もう」

2005-11-29 00:00:25 | 礼拝メッセージ

「聖められる道を歩もう」 第2コリント6章14~7章1節 2005/11/27  

不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。

 「わたしは彼らの間に住み、また、歩む。
 わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。
 それゆえ、彼らの中から出て行き、 彼らと分離せよ、と主は言われる。
 汚れたものに触れないようにせよ。 そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、 わたしはあなたがたの父となり、 あなたがたはわたしの息子、娘となる、 と全能の主が言われる。」

 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。

  パウロは第1の手紙でちょっと言い過ぎたかなぁという気もありました。しかし、苦しみ、辛さ、戦い、恐れを伴いながらも、コリント教会の兄弟姉妹が主の前に悔い改めて教会の中から罪を除き去ったことで信仰が回復し、教会が回復して行ったのです。 パウロの心も悲しみから喜び、落胆から慰め、後悔から喜び、不信から信頼へと変わって行きました。パウロとコリント教会相互の信頼と愛が増し加わり、主への熱意がともに燃え上がって来たのです。  コリントの兄弟姉妹がパウロのことばを人のお節介なことばとして捉えていたならば、悔い改めに導かれることはなかったでしょう。パウロも「なんで、俺の言うことを聞かないんだ。」と人間的な思いで言っていたのであれば決裂していたでしょう。彼らは主のことば、イエス様のことばを尊重して受け入れ、聖められる道を選んで祝福されたのです。 みことばは今も生きて働いています。祝福の道はあなた用に用意されています。感謝して受け取りましょう。


「信仰の先輩に感謝し、イエス様を愛しましょう」

2005-11-21 23:52:01 | 礼拝メッセージ

第1コリント16章13~24節
2005/11/20

 「兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ステパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒のために熱心に奉仕してくれました。あなたがたは、このような人たちに、また、ともに働き、労しているすべての人たちに服従しなさい。ステパナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。なぜなら、彼らは、あなたがたの足りない分を補ってくれたからです。彼らは、わたしの心をも、あなたがたの心をも安心させてくれました。このような人々の労をねぎらいなさい。」

1.信仰の先輩に感謝しましょう。

 私たち1人ひとりは多くの信仰の先輩の祈りと捧げ物と犠牲によって救われてきたのです。特に苫小牧めぐみキリスト教会はニュージーランドからの宣教者の方々によって開拓伝道され、兄弟姉妹が救われ、教会が今まで守られてきました。ニュージーランドの送り出して下さった教会の兄弟姉妹の熱い祈りと尊い献金が捧げられてきたのです。
 すでに帰国されましたが信仰に導いて下さった宣教者の方々と送り出して下さった兄弟姉妹のために私たちは日々感謝してお祈りしましょう。そして、何らかの形で感謝を表わしましょう。また、主の立ててくださった信仰の指導者を心から感謝して受け入れ従いましょう。
  ○グドール兄姉
  ○ハービー兄姉
  ○ダストゥ兄姉
  ○ライト姉・マーガレット姉
 これら宣教者の労に感謝し、主の祝福をお祈りしましょう。
 パウロは私たちの心を安心させてくれた人々の労をねぎらうように勧めています。


2.「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ来てください。」(22節)「主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」(23節)

 コリント人への第1の手紙はパウロの厳しいことばとやさしいことばで閉じられています。聖書は博愛主義ではありません。イエス様を愛し、信じ、従う者が祝福されます。イエス様を認めていない者は、主の前に悔い改めて罪を赦していただき、イエス様を愛する者になりましょう。


「自分の救いを完成しなさい」 ピリピ2章12~16節

2005-11-14 22:16:44 | 礼拝メッセージ
メッセージ:高木和秀 伝道者(救い主イエス・キリストの伝道所ハーベストチャーチ(宮崎市))

 「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、わたしのいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」

1.信仰の先輩、教会を悪く言ってはならない。かえって感謝しましょう。
 私たち1人ひとりは多くの信仰の先輩の祈りと捧げ物と犠牲によって救われてきたのです。特に苫小牧めぐみキリスト教会はニュージーランドからの宣教師の方々によって開拓伝道され、兄弟姉妹が救われ、教会が守られてきました。ニュージーランドの送り出して下さった教会の兄弟姉妹の熱い祈りと献金が捧げられてきたのです。
 すでに帰国されましたが信仰に導いて下さった宣教師の方々と送り出して下さった兄弟姉妹のために私たちは日々感謝してお祈りしましょう。そして、何らかの形で感謝を表わしましょう。また、信仰の指導者を心から感謝して受け入れ従いましょう。

2.自分の救いを達成しよう。
 主は私たちに志を立てさせて実行に導いて下さいます。主は「私たちが主に従わない罪の生活を送るのではなく、主の集まりに集い、共に祈り、教会と兄弟姉妹を大切にし、人々を救いに導くことができる。それができる。可能だ。」と言って下さるのです。

3.平安の実
 私たちがへりくだって聖霊様に祈るなら、兄弟姉妹や隣人と結びつけられ多くの実を結ぶことができます。
 Ⅱ歴代誌7章14節「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」

世を照らすまことの光~◆ヨハネ 1:4~9

2005-11-06 23:54:29 | 礼拝メッセージ
1.試練

 私たちは、信仰生活上でしばしば困難な状況に直面することがあります。しかし、神は私たちに耐えることの出来ない試練にあわせることはない、と聖書に書いてあります。
 そんなことあるか!とおっしゃるかもしれませんが、聖書に書いてある以上、これは真実なのです。耐えられない、とサジを投げる前に、一度立ち止まり、聖書に耳を傾けてみましょう。

◆Ⅰコリ 10: 13
 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。


2.いのちのことば=聖書

 私たちは生きるために水が必要ですが、それとは別に、御言葉(聖書の言葉=いのちの水)も必要です。信仰生活をおくるためには、水=御言葉を切らしてはなりません。必ず補給しましょう。


3.自己を見失った時

 自分が一体どんな状態にあるか?ということは、自分自身ではなかなか知ることが出来ません。人間は自分で自分を客観的に見ることは出来ないものです。したがって、信仰生活をおくる上では、聖書を調べ、そこから解答を得る事が大事です。
 よく「聖霊様に聞きましょう」と言われます。もちろん、これも大事なことですが、祈りの中で、あるいは何かの時に「聖霊の細い声」を聞いたとしても、それが本当に聖霊の言葉なのかは、聖書に照らしてでなければ確認出来ません。なぜならば、聖書は聖霊が書いたものと言えるからです。聖霊のおっしゃることと聖書は絶対に矛盾しません。そういうわけですから、私たちは聖書を良く学び、理解し、自分のうちに蓄えておかなければなりません。

 また、イエス・キリストは私たちの光です。
 何かの問題で道を失った時、私たちはこの光(=聖書)を探しましょう。
 見つけたならば、必ず、行く先を照らしてくださいます。

◆ヨハネ 1: 4~5
 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

◆ヨハネ 1: 9
 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

「最もたいせつなこと」 第1コリント15章

2005-11-04 01:10:21 | 礼拝メッセージ
 「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは私があなたがたに宣 べ伝えたもの、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。・・ ・・・・・私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであっ て、次のことです。キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 また、葬られたこと、また、聖書に従って3日目によみがえられたこと、また、ケパに 現われ、それから12弟子に現れたことです。・・・・・・・そして、最後に月足らず で生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。・・・・・・・・
  ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どう して、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。・・・
  思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目を さまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていな い人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。」第1コリント15章1~34節
 
 パウロはコリントの町で1年半にわたって開拓伝道の働きをしました。パウロの宣べ伝えた福音によって大勢の人々が悔い改めてイエス様を救い主として信じ、そこに教会が建て上げられました。パウロは長老たちに教会を委ねて次の町へとイエス様を宣べ伝えて行ったのです。
 しかし、コリント教会に手紙を書く必要が生じました。その手紙は16章にわたるとても長い手紙です。今は恋人同士でもそんなに長い手紙を書くことはないでしょう。パウロはこの長い手紙の最後のほうで、なぜこんな基本的なことを書いているのでしょう。クリスチャンにとって分かり切ったことです。
 その答えは、『高慢』にありました。自分たちを救いに導き、仕えてくれた「霊の父」パウロの教えから離れて、人々を裁き派閥争いに陥って行ったからです。みことばを正しく理解して従う兄弟姉妹から離れて、みことばを軽んじて派閥を作る人たちに惑わされていました。
 その結果、自分たちを救いに導いた最も大切な「イエス様の十字架と復活」をも否定してしまい、「派閥争い」「近親相姦」「兄弟姉妹同士の訴訟合戦」「聖餐式での宴会騒ぎ」「兄弟姉妹間での差別」の罪の中にありました。それでも聖霊様の賜物が豊かに与えられているから大丈夫と思っていたのです。
 パウロは聖霊様の賜物の正しい理解と用い方、愛の大切さ、結婚について、性について、偶像との関わりについて、いろんな事を教えています。そして、最も大切なこととして最初にパウロが伝えた「十字架の死と復活」「罪から離れて正しい生活を送る良い習慣」に立ち返るように勧めています。
 私たちもしっかりみことばを信じて従っていなければ、罪の語りかけに惑わされてみことばを軽んじ、自分を救ってくれた「イエス様の十字架と復活」さえも否定して罪の支配の中にある自分を正当化してしまうのです。思い違いをしないようにしましょう。