シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

日高町の秋

2010-09-30 08:16:49 | エッセイ
 日高町へ行って来ました。

  ススキが風に揺れていました。

 
      

 山を歩いていると空からヘリコプターのように回転しながら落ちてくるものがありました。  

 拾ってみると葉にぶら下がった種でした。  

 調べてみると「オオバボダイジュ」の種でした。  

 風に飛ばされてより遠いところに落ちて発芽・成長しやすくしているようです。 

 神様であるイエス様の知恵と力は測り知れないです。  

 イエス様って楽しい方、私たちを喜ばせてくださる方ですね。  

 日曜日にジョイジョイクラブのおともだちに見せようと思います。

 
 
  

選びの恵み

2010-09-26 16:50:34 | 礼拝メッセージ
 人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。             
                                        ヨブ 7:17

 主は私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所。私の民を私に服させる方。  
 主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。
                                    詩篇 144: 2~4

 イエス様に私たちを恵み、養い、救う義務はないでしょう。イエス様は私たちが想像もできない程の偉大な方です。イエス様は創造者であり、私たちは造られた者です。イエス様はしみや汚れが一点もない聖いお方です。私たちは全身が汚れ、腐れきった者です。イエス様はあえて私たちを選び、御心を留めて救い出して下さいました。  


 今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
 まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。  私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
 私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
 私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。
                                Ⅰ歴代誌 29:13~17

 私たちが自分のものを感謝して主にささげようとしても、それは主からいただいたものをお返ししているにしか過ぎません。 私たちの望みは、イエス様だけです。主の恵みによる選びによって、私たちは選ばれました。主からささげるべきものさえもいただいているのです。
 選びとは、恵みであり特権であり与えられた使命の完成の保証です。主が選んでくださったということは、それぞれに与えられている働きを主が完成させてくださるという約束なのです。
 ソロモンは、主によって王に選ばれ、神殿を完成させる者として選ばれ、「勇気を出して実行しなさい。(Ⅰ歴代誌28:10)」と励ましをいただいています。
 

 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
 
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
                                    エペソ 1: 3~
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 私たちは、一人ひとりイエス様によって天地創造の前から選ばれていました。恵みと特権と与えられた使命の完成の保証をいただいています。感謝して主の働きを推し進めましょう。 


新ひだか町 三石へ行って来ました。

2010-09-20 18:06:54 | エッセイ
 新ひだか町三石の実家へ行ってきました。
 草刈や芋掘りの手伝いをしてきました。
 いつ行ってもホッとする風景です。
 稲が黄金色になって稲刈りが始まっていました。

 遠くに蓬莱山が見えます。

 

  

 
 草刈をしていたらアゲハチョウの幼虫を見つけました。きれいと言えばきれいです。(ちょっと気持悪い人もいるかもしれませんが。。。。)
 
 
 

 帰省時恒例、浦河町井寒台の船越谷さんで天ぷらかまぼこを大量購入してきました。(やっぱりおいしい!!)

人をだます者と自分をだます者

2010-09-19 12:34:32 | 礼拝メッセージ
 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。  良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。         
                                   マタイ 7:15~20

 にせ預言者とは、いかにも神様からのことばのように伝えながら、実は耳障りの良いことばを語って人々をだます者です。人々は知らないうちに神様のみこころから離れ、不信仰に陥ってしまいます。
 現在でも教会に入り込んで混乱を引き起こし、兄弟姉妹の信仰をダメにしようとする者がいます。最初は人あたりが良く、熱心な働きを見せてきます。十分注意してください。
 私たちもみことばに反することを口にしないように注意しましょう。「伝道しなくても良い。献金しなくても良い。聖書を読まなくても良い。祈らなくても良い。主の集会に出席しなくても良い。」これは、にせ預言者と同じです。
 


 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。  その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』            
                                   マタイ 7:21~23


 こちらは自分自身をだます者です。表向きは主の名を使い、主のみこころを行っているかのように自分で納得して行動しているが、実は、主に従っているのではなく自分の満足、自分の評判、自分の賞賛のために行なっているだけです。
 自分自身を信仰から離し、多少の罪は関係ないと考えて自分をだます者です。



  みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。
                                       ルカ 6:26   

 どちらも悲惨な結末を迎えます。悔い改めて従うだけです。イエス様の言いなりになりましょう。そうすれば、岩の上に家を建てた人のように、洪水や波風が押し寄せても大丈夫です。
 信仰の試練や罪の誘惑、間違った教え、兄弟姉妹の悪口、家族の反対、同僚のさげすみなどがあっても揺るがされない安定した信仰生活を送れます。

今日のジョイジョイクラブ

2010-09-12 18:20:34 | ジョイジョイクラブ
 今日のジョイジョイクラブです。

 今日は、チーム対抗で「しんぶん・チラシ文字さがしゲーム」をしました。
 白熱した試合になりました。
 
 

 今日のみことばは
 「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。詩篇23: 1」でした。

 イエス様は、弱い私たちを悪いものから守ってくださる、羊飼いのようなお方であることを信じて感謝しました。

ヤーコンの花

2010-09-12 18:14:54 | エッセイ
 家庭菜園でヤーコンを育てています。
 なんと、ヤーコンの花が咲いてきました。
 今まで、何年も育ててきましたが、初めて見ます。
 ヒマワリを小さくしたような花が咲いています。
 つぼみがたくさんあるので次々に咲きそうです。
 みなさんは、見たことがありますか。

  


   

夕べのささげ物

2010-09-12 17:31:43 | 礼拝メッセージ
 主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。
 私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。
 主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。
 私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。
 正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。
 彼らのさばきづかさらが岩のかたわらに投げ落とされたとき、彼らは私のいかにも喜ばしいことばを聞くことでしょう。
 人が地を掘り起こして砕くときのように、私たちの骨はよみの入口にまき散らされました。
 私の主、神よ。まことに、私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けます。私を放り出さないでください。
 どうか、彼らが私に仕掛けたわなから、不法を行なう者の落とし穴から、私を守ってください。
 私が通り過ぎるそのときに、悪者はおのれ自身の網に落ち込みますように。              
                                   詩篇141: 1~7

 詩篇141篇はダビデの賛歌です。
  ダビデは今の緊迫した状況の中で主を呼び求めています。ダビデは主にまったき信頼を寄せ、自分自身の思いのすべてを主にぶつけています。
 自身の祈りが、ささげられる香やいけにえのように主の前に立ち上って受け入れられるように願っています。
 自分が信仰のない者や罪の道に歩まないように、かえって、信仰のある正しい者からの叱責を喜んで受ける者になりたいと祈っています。たとえ、多くの人が悪の道に進み、信仰者が不信仰の道を慕って行ったとしても、自分は主に信頼して祈り求めると告白しています。
 自分自身の骨がバラバラにされて地獄の入り口に捨てられているような絶望的な状況にあっても、それでも私は主に信頼して主を待ち望むといっています。
 ただただ真実なる主を求め、主の正しさのもとにへりくだることを必死に求めています。なんと、ダビデは純粋で単純な信仰の持ち主なのでしょうか。


 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。  
                                     ローマ 12: 1,2

 あなたは自分の思いを心の底から主に打ち明けていますか。 心からの祈りと自分自身を主にささげ尽くしていますか。心の底にあるモヤモヤを溜め込んでいると、不平不満となって兄弟姉妹や大切な家族、教会、イエス様に当ってしまいます。
 私たちは、自分で決心し、主に信頼することによって状況を一変させることができます。主が自由に働かれるからです。
 肉による礼拝ではなく、霊的な礼拝を主は求めておられます。

心に留めて実行する

2010-09-05 12:57:26 | 礼拝メッセージ
 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。  
 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
                                      ピリピ 4: 8,9   

 パウロ兄弟とテモテ兄弟が手紙の最後に勧めています。 
 あなたは今、何に心を留めていますか。 
 私たちが心に留めるべき本当のものとは何でしょうか。  

 「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、すべての徳といわれること、すべての賞賛に値すること」とは、あらゆる分野おいて共通することです。それは、イエス様の価値観、お話しなさったこと、聖書の主張していることです。例えば、偶像礼拝をして人々から賞賛されても意味がありません。偶像礼拝をしないことこそ真に賞賛に値することなのです。

 あなたは今、平和の神様・イエス様とともにいたいと思っていますか。これからの人生をイエス様とともに歩みたいと思っていますか。すべてをイエス様に任せたいと思いますか。  
 もし、そのように望むのであれば、使徒たちから受けたことを実行しましょう。
 使徒たちが与えてくれたものとは具体的にどんなことでしょう。

 使徒の働き」や「手紙」を見ると使徒たちから「学んだこと」「受けたこと」「聞いたこと」「見たこと」を知ることができます。
 これらを、実行すればイエス様がともにいてくださいます。ただ心に留めているだけでは、イエス様はともにいてくださいません。実行することです。

 次のみことばも私たちの実行すべきことを示しています。


 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。                       ローマ 14:18~20

 平和と霊的成長に役立つことを求めましょう。争いを引き起こしたり、集会に出席することを留めてはいけません。

 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。
 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。
                                  Ⅰペテロ 2:11~15

 肉の欲を遠ざけ、法律と決まりを守りましょう。これが神様のみこころです。