小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
ルカ 16:10
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』 マタイ 25:21
イエス様は、小さな事を大切にする人を祝福して用いてくださいます。
小さな事とは、約束の時間を守る、掃除当番をすっぽかさない、気付いたゴミを拾う、自分の責任を果たす、兄弟姉妹にウソをつかない、ことなどです。
神様に感謝をささげることは、はじめの一歩です。主の前に行く時、必ずささげるものを持って行きましょう。
主にささげる小さなことを大切にして忠実に歩む者は、主が最も喜ばれる自分自身をささげることができます。
1、手ぶらでも感謝のことばと賛美の歌があれば
私たちはくちびるの果実をささげます。
ホセア 14:2
感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。
詩篇 50:23
2、主の宮のために進んでお金や品物をささげる。
(十分の一献金、感謝献金)
そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。彼らの回りの人々はみな、銀の器具、金、財貨、家畜、えりすぐりの品々、そのほか進んでささげるあらゆるささげ物をもって彼らを力づけた。
エズラ 1:5,6
3、自分自身を主にささげよう
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。 それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
ローマ 12:1
自分自身を主にささげることによって、主はあなたを通してすばらしいわざを行ってくださいます。あなたを通してイエス様の救いといやしと開放のわざが行われ、回りの人たちが祝福を受けるのです。
1.「人にほめられた。ラッキー!」
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。
ガラテヤ 1:10
なんと私たちは、人からの評判や気に入ってもらうことに心が動きやすい者でしょうか。その人とは、自分自身をも含みます。神様のしもべでありながら自分を満足させることに気持が行ってしまいがちです。人にほめられたら気をつけましょう。
2.「教会に行かなくてもいい理由ができてラッキー!」
だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。
ピリピ 2:21
世界では、教会に行きたくても行けない。集まりたくても集まれない。命懸けでなければ集まれない兄弟姉妹が大勢います。
なのに、「仕事だから、家族やお友達との約束があるから。町内会の行事があるから。疲れたから。気分が乗らないから。導かれていないから。などなど」イエス様を礼拝することから離れてもホッとしている人がいます。
恐ろしいことです。
ある姉妹の告白を聞きました。「私は、教会の集まりに出たくないので勤めに出ることにしました。」
衰退しきっています。
イエス様の涙もどこ吹く風です。
心を変えてもらえなくなる前に悔い改めましょう。
3.「もう罪赦されたし、救われたから何をしてもOK。ラッキー!」
どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。
Ⅱテサロニケ 2:16,17
恐ろしいことです。罪赦されたのにまた罪に逆戻りしようとする心があります。良い行いによっては救われませんが、良い行いができるようになったのです。罪に逆戻りしてしまうならば、早晩、信仰は行き詰まります。
4.「祈りは聞かれる。自分のために祈ろう。ラッキー!」
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
エペソ 6:18
私たちは兄弟姉妹に仕えるために救われて教会に植えられたのです。兄弟姉妹のために自分を犠牲にしましょう。
それにはまず、①あいさつをする。②感謝する。③ほめる。④助ける。⑤祈る。ことです。
自分にとってのいろんなラッキーがあります。
十分注意しましょう。
それは、本当はアンラッキーなんです。
木々があざやかに紅葉しています。
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明日は、日曜日、私たちに命を与えてくださっているイエス様に感謝を捧げ、礼拝しましょう。
私たちの体も人生もすべてのものが私たち自身のものではなく、神様から授かり、管理を任されているのですね。
ですから、自分のものだから自分勝手に使っていいと言うのはまちがいです。
大切に、神様が喜ばれるように使いましょう。
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神様のお心がわかるためには教会へ行って聖書のお話を聞きましょう。
明日は、楽しいジョイジョイクラブもありますよ。
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イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。
マタイ 10:1
さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
マタイ 20:17~19
わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。
なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
ヨハネ 15:15,16
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネ 14:26
イエス様に用いられた弟子たちは、
①イエス様から権威をいただいた。
②イエス様から大切な秘密を教えられた。
③イエス様の友だちにしていただいた。
④イエス様が選んでくださった。
⑤聖霊様が特別に教えてくださる。
私たちが自分で選んでクリスチャンになったんだとすれば、自分の選択を誇ったり、いやになったからやめてしまおうと思ったりするかもしれません。
しかし、本当はイエス様ご自身が私たちを選び、任命してくださったのです。
そして、狼の中に送り出される羊のような私たちに、権威と力と勝利を与えた下さったのです。
喜んでイエス様からいただいた使命を全うしましょう。
今日の写真は、エンゼルトランペットです。(別名ダチュラ。タランチュラの親戚みたいで怖い名前ですね。エンゼルトランペットの方がかわいい。)
すごく大きな木で、大きな花を咲かせています。
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先月11日9時21分の十勝沖地震(M7.0、最大震度5弱)の時に50cmほど隆起しました。
昨日、ちょうど通りかかったので写真を撮ってみました。
ちょっとわかりにくいですけど、泥が噴出した跡がわかりますよね。
面白い自然現象ですね。
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これは少しアップで撮ってみました。
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となりの泥火山には馬が放牧されていました。
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さて、明日は日曜日、みんなでイエス様を礼拝しに教会へ行きましょう。
たのしいジョイジョイクラブもあります。
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午後からは、コーヒーをいただきながら聖書のお話しを聞きましょう。
お待ちしています。
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彼らは湖で網を打っていた。
漁師だったからである。
イエスは彼らに言われた。
「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。
マタイ 4:18~22
彼らはなんと素直で単純な人たちでしょうか。
なぜこれほど簡単にイエス様に従ったのでしょうか。
彼らは自分の安定した職業を捨ててしまいました。
これからの生活、月給、ボーナス、退職金、年金など心配はなかったのでしょうか。
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イエス様はこの素直で単純な人たちに大切な福音を託したのです。
そして、この数人の漁師たちによって世界はイエス様の救いの中にひっくり返されて行ったのです。
しかし、この素直で単純な人たちは、それほど立派といえる人たちでもないようです。
だれが一番偉いかで争ったり、最後にはイエス様を見捨てて逃げたりして失敗ばかりでした。
でも、イエス様はこの人たちを用いたのです。
収税人のマタイやパリサイ人のサウロも素直に単純にイエス様に応答して従った人です。
それぞれ弱さや足りないところはありましたが、イエス様を主として単純に従った人々が用いられました。
救いと祝福が彼らから周りの人たちにあふれ出て行ったのです。
あなたは、イエス様に用いられたいですか。
そうでもないですか。
用いられたくない場合は、
①理屈をこねて従わない。 (律法学者やパリサイ人のように)
②イエス様のことばを疑ってかかる
③イエス様のことより自分のことを第一にする。
これにかぎります。
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