一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。 彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。 しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。 ヘブル人への手紙6章4~8節
私たちは神様から尊い命をいただいて生かされています。すべてのものを無償でいただいて生活が成り立っています。 愛するイエス様によって、すべての罪ととがを無償で赦していただき、地獄行きから天国行きへ変えていただきました。だれも与えることのできないすばらしい救いをいただきました。心から喜び、感謝しましょう。
今日のみことばは厳粛なみことばです(聖書のみことばは全部厳粛ですけどね)。 「イエス様をもう一度十字架にかける」とは、あなたを命がけで救ってくださったイエス様に対して、「俺の罪のためにもう一回十字架にかかって俺を救ってみろ」と言っていることです。「イエス様を愛して従います」とイエス様と約束したのに、イエス様の救いを信じないで約束を一方的に破棄することです。
イエス様を自分の救い主、主として受け入れました。「主」と簡単にことばにできますが、自分自身の「ご主人様」ということです。尊敬し、ほめたたえ、従い、言うことを聞くということです。自分自身が「主」なのではありません。
神様から命とめぐみをいただいて生かされているのに、いばらやアザミのような無用なものを生じさせている土地になっていませんか。
土地とは、あなたの人生、生き方、考え方です。
無用なものとは、神様を神様と認めない。感謝をしない。偶像礼拝をする。占いを信じる。人の悪口陰口を言う。うそをつく。人のものを盗む。人を落とし入れる。親を大事にしない。自分を粗末に扱う。等々です。
神様にとって隣人にとって有用な作物を生ずる土地になりましょう。
有用な食物とは、神様イエス様を信じて感謝する。イエス様に従う。教会の集まりに集まる。隣人や家族、自分を大切にする。正直になる。もらうより与える人になる。人をゆるす。等々です。
神様から永遠に滅ぼされないように自分の生き方に注意しましょう。
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。
しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
第1テモテ4章1~4節
あなたもわたしも、すべての人がスピリチュアルな存在です。
肉体と心だけではありません。霊的な存在です。肉体と心だけであれば、食べて寝ていれば満足するでしょう。しかし、人はそれだけでは満足しないのです。心から信じて霊的に満足しなければ生きていけないのです。
「スピリチュアル」― 霊的なことに疎い私たちは、何が真実の「スピリチュアル」で何が偽りの「スピリチュアル」なのか判断する力がないのです。聖書はそれを判断するチェックリストを教えてくれます。あなたもチェックしてみましょう。
① 結婚することを禁じる。
② ある食べ物を絶つことを命じる。
③ 偽善と良心に反することがある。
これが偽りの「スピリチュアル」の特徴です。あなたも偽りの「スピリチュアル」に気をつけましょう。テレビの番組だから、出版物だからといって無防備に信じないようにしましょう。必ず「裏」があります。何が真実なのか見極めましょう。
こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。
福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
ヘブル人への手紙4章1、2節
イエス様は十字架で命をかけてわたしたちのために救いを完成してくださいました。その真実なイエス様の愛を受け入れて信仰によって結び付けましょう。それが、大きな利益を得る道です。
しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
第1テモテ4章1~4節
あなたもわたしも、すべての人がスピリチュアルな存在です。
肉体と心だけではありません。霊的な存在です。肉体と心だけであれば、食べて寝ていれば満足するでしょう。しかし、人はそれだけでは満足しないのです。心から信じて霊的に満足しなければ生きていけないのです。
「スピリチュアル」― 霊的なことに疎い私たちは、何が真実の「スピリチュアル」で何が偽りの「スピリチュアル」なのか判断する力がないのです。聖書はそれを判断するチェックリストを教えてくれます。あなたもチェックしてみましょう。
① 結婚することを禁じる。
② ある食べ物を絶つことを命じる。
③ 偽善と良心に反することがある。
これが偽りの「スピリチュアル」の特徴です。あなたも偽りの「スピリチュアル」に気をつけましょう。テレビの番組だから、出版物だからといって無防備に信じないようにしましょう。必ず「裏」があります。何が真実なのか見極めましょう。
こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれにはいれないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。
福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
ヘブル人への手紙4章1、2節
イエス様は十字架で命をかけてわたしたちのために救いを完成してくださいました。その真実なイエス様の愛を受け入れて信仰によって結び付けましょう。それが、大きな利益を得る道です。
今話題になっている「PowerForLiving(生きる力)」が手元に届きました。
テレビや新聞で大々的に宣伝をしているので知っている方も多いと思います。ヒルマン監督や久保田早紀など有名人が出ているので、ある宗教の広告塔のように思っている人も多いようですが、「ミソも○ソもいっしょ」にしないようにしましょう。先入観を持たずにまずは手にとって読んでみて下さい。イメージより中身が問題です。読んでみてうさん臭いと思ったらリサイクルに出せばいいだけです。タダで送ってくれますから。その後どうのこうのと言うわずらわしさもありません。実に、あっさりしています。それだけ受け取り側に責任があるということです。
中を見てみると社会的に有名で、一般の人からうらやましがられるような8人の人の話しが載っています。しかし、どの人も自分自身がわからなくなり、自分探しをしてイエス様のところにたどり着き、幸せになったことが記されています。
「自分探し」、だれもがこの旅に出るのですが掴みきれずにさまよっています。あるいは、間違ったものを掴んで戸惑っています。
ぜひ、PowerForLiving(生きる力)で「自分探し」をしてください。
あなたが幸いを得られるようにお祈りしています。
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。 ヘブル人への手紙3章6節
兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 ヘブル人への手紙3章12,13章
サタン・悪霊は実在します。サタン・悪霊は人間をイエス様・神様から引き離し、最初は良く見せておいて最後には人間を退廃させ、イエス様を不必要と思わせます。
聖書は告げます。私たちは本当は一人ひとり神様の家なのです。イエス様が守り愛しておられる神の家なのです。それなのに自分から、造り主である神様を捨て無視してきてしまったのです。そこからすべての不幸が始まってしまいました。自分の存在理由がわからないのです。なぜ生まれ、なぜ死んでいくのか。どこから来てどこに行くのか。最も根本的なことがわからないのです。糸の切れた風船のようです。
ですから、イエス様は聖書を通して「悪い不信仰の心にならないよう」「生ける神様から離れないよう」注意しなさいとおっしゃいます。そのためには「日々励まし合いなさい。」と言われています。教会に行くことです。まだイエス様を信じてない方はぜひぜひ教会に行ってください。(ここでこんなことを書かなければならないのは本当に悲しいことなんですが)キリスト教会と言っても聖書をきちんと神様の唯一の言葉と信じていない教会がありますので注意してください。(「そんな教会はキリスト教会と名乗るな!」私の心の叫びです。失礼しました。)
クリスチャンの方は、主の集会である教会の集まり(礼拝、福音集会、祈り会、聖書学び会)を休まないようにしましょう。
教会に行っていないクリスチャンは教会に属しましょう。「教会に属さないこと」それは、イエス様の御心ではありません。悪い不信仰の心にならないためであり、神様から離れないためです。罪に惑わされて心がかたくなにならないためです。自己中心の信仰にならないためです。不信仰者は神様の安息に入れません。へりくだって教会生活を送らなければ、最後まで「確信と希望による誇り」を持ち続けることができません。サタン・悪霊は実在してクリスチャンを食い尽くそうとしています。クリスチャンに対する神様の祝福を奪い去ろうとしています。(教会に行きたくても事情が許さず行けない方はイエス様に祈り求めましょう。兄弟姉妹に祈りの要請をしましょう。)
イエス様は教会のかしらです。イエス様に従いましょう。(くれぐれもイエス様を従わせようとはなさらないようにご注意下さい。)
兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 ヘブル人への手紙3章12,13章
サタン・悪霊は実在します。サタン・悪霊は人間をイエス様・神様から引き離し、最初は良く見せておいて最後には人間を退廃させ、イエス様を不必要と思わせます。
聖書は告げます。私たちは本当は一人ひとり神様の家なのです。イエス様が守り愛しておられる神の家なのです。それなのに自分から、造り主である神様を捨て無視してきてしまったのです。そこからすべての不幸が始まってしまいました。自分の存在理由がわからないのです。なぜ生まれ、なぜ死んでいくのか。どこから来てどこに行くのか。最も根本的なことがわからないのです。糸の切れた風船のようです。
ですから、イエス様は聖書を通して「悪い不信仰の心にならないよう」「生ける神様から離れないよう」注意しなさいとおっしゃいます。そのためには「日々励まし合いなさい。」と言われています。教会に行くことです。まだイエス様を信じてない方はぜひぜひ教会に行ってください。(ここでこんなことを書かなければならないのは本当に悲しいことなんですが)キリスト教会と言っても聖書をきちんと神様の唯一の言葉と信じていない教会がありますので注意してください。(「そんな教会はキリスト教会と名乗るな!」私の心の叫びです。失礼しました。)
クリスチャンの方は、主の集会である教会の集まり(礼拝、福音集会、祈り会、聖書学び会)を休まないようにしましょう。
教会に行っていないクリスチャンは教会に属しましょう。「教会に属さないこと」それは、イエス様の御心ではありません。悪い不信仰の心にならないためであり、神様から離れないためです。罪に惑わされて心がかたくなにならないためです。自己中心の信仰にならないためです。不信仰者は神様の安息に入れません。へりくだって教会生活を送らなければ、最後まで「確信と希望による誇り」を持ち続けることができません。サタン・悪霊は実在してクリスチャンを食い尽くそうとしています。クリスチャンに対する神様の祝福を奪い去ろうとしています。(教会に行きたくても事情が許さず行けない方はイエス様に祈り求めましょう。兄弟姉妹に祈りの要請をしましょう。)
イエス様は教会のかしらです。イエス様に従いましょう。(くれぐれもイエス様を従わせようとはなさらないようにご注意下さい。)
ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。
この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。 ヘブル人への手紙2章1~4節
聖書は告げます。「聖書が伝えているイエス・キリスト様の救いを受け入れずに拒否するならば、誰であろうが神様からの処罰を逃れることができない。」
イエス・キリスト様は天と地を創造された神様ですが、私たち人間を救うために人間と同じ姿をとってこの地上に現れてくださいました。人間を支配したり、裁いたりするために来たのではなく、ご自身の命を私たちの身代わりとして捧げるために人間に仕えてくださったのです。
こんなにすばらしいイエス・キリストの救いを受け入れずに「自分の罪は自分で解決します。善行を積んで罪を消します。」とがんばったところで、自分の心の奥底にある醜さを消すことはできませんし、自分が過去に犯してしまった悪は消し去ることはできないのです。聖書は、イエス・キリスト様に聞き従わないことが罪だと言っています。
永遠に残るものは「信仰・希望・愛」だけです。私たちは永遠に残るもののために働かなければなりません。この世のものはすべてなくなるのです。
あなたもわたしも裸で生まれ、裸でこの世を去っていくのです。これは、王様、大統領、億万長者、サラリーマン、僧侶、ホームレス、芸能人・・・・すべての人に共通のことです。
イエス・キリスト様は言われました。「天に宝を積みなさい。」「永遠に残るもののために働きなさい。」それは、貧しい人に施すことであり、イエス・キリスト様のおっしゃることに聞き従うことです。
インチキな占い師や霊能力者、聖書を否定するでたらめな映画や本、イエス・キリスト様を創造神・唯一の救い主と信じない不信仰な人たちの言葉に押し流されないようにしましょう。
イエス・キリスト様はすべての人に悔い改めを命じておられます。機会を逸しないように悔い改めて救いを受け入れましょう。これは、その辺の一人の人間が勝手に言っていることではありません。神様のお言葉です。
もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。
この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。 ヘブル人への手紙2章1~4節
聖書は告げます。「聖書が伝えているイエス・キリスト様の救いを受け入れずに拒否するならば、誰であろうが神様からの処罰を逃れることができない。」
イエス・キリスト様は天と地を創造された神様ですが、私たち人間を救うために人間と同じ姿をとってこの地上に現れてくださいました。人間を支配したり、裁いたりするために来たのではなく、ご自身の命を私たちの身代わりとして捧げるために人間に仕えてくださったのです。
こんなにすばらしいイエス・キリストの救いを受け入れずに「自分の罪は自分で解決します。善行を積んで罪を消します。」とがんばったところで、自分の心の奥底にある醜さを消すことはできませんし、自分が過去に犯してしまった悪は消し去ることはできないのです。聖書は、イエス・キリスト様に聞き従わないことが罪だと言っています。
永遠に残るものは「信仰・希望・愛」だけです。私たちは永遠に残るもののために働かなければなりません。この世のものはすべてなくなるのです。
あなたもわたしも裸で生まれ、裸でこの世を去っていくのです。これは、王様、大統領、億万長者、サラリーマン、僧侶、ホームレス、芸能人・・・・すべての人に共通のことです。
イエス・キリスト様は言われました。「天に宝を積みなさい。」「永遠に残るもののために働きなさい。」それは、貧しい人に施すことであり、イエス・キリスト様のおっしゃることに聞き従うことです。
インチキな占い師や霊能力者、聖書を否定するでたらめな映画や本、イエス・キリスト様を創造神・唯一の救い主と信じない不信仰な人たちの言葉に押し流されないようにしましょう。
イエス・キリスト様はすべての人に悔い改めを命じておられます。機会を逸しないように悔い改めて救いを受け入れましょう。これは、その辺の一人の人間が勝手に言っていることではありません。神様のお言葉です。