このトラクトは、誰もが知りたい疑問「自分の存在理由?」に答えを与えるものです。
日本では1998年に初めて自殺者数が3万人を突破して以来、11年連続で3万人を超えています。
このトラクトを通して、1人でも多くの方々が「自分自身の存在理由」と「罪からの救い」を知ってほしいと思います。
苫小牧西部地区に各戸配布されます。
主に用いられますように。
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大暑が過ぎました。
苫小牧は例年より暑いですが、ぐずついた天気が続いて最高気温が21~23℃です。
近くの小糸魚川の周りには野の花がいろいろ咲いています。
エゾニュウ
エゾニュウ
オオウバユリ
名前のわからないピンクの花。蝶が集まっていました。
名前の分らない紫の花。なかなか可憐な花です。
今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。主に服従しなさい。主がとこしえに聖別された聖所にはいり、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。
あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」 Ⅱ歴代誌 30: 8, 9
ヒゼキヤ王は、分裂王国時代にあって主に立ち返った善王でした。偶像によって荒れ果てていた主の宮を修理し、悔い改めを促し、過越しの祭りを回復させました。
しかし、全国に告げられた悔い改めと過越しの祭り回復のメッセージに対して傲慢になって従わない者たちもいました。へりくだった者だけが主のあわれみとゆるしと喜びをいただきました。
こうして、近衛兵は、エフライムとマナセから、ゼブルンの地に至るまで、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを物笑いにし、あざけった。
ただ、アシェル、マナセおよびゼブルンのある人々はへりくだって、エルサレムに上って来た。
また、ユダには、神の御手が臨み、人々は心を一つにして、主のことばのとおりに王とそのつかさたちの命令を行なった。
Ⅱ列王記 30:10~12
エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。
それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。
Ⅱ列王記30:26~27
捧げ物をするためには大きな出費をし、はるか遠いエルサレムまで出かけなければなりませんでした。しかし、これらのことをいとわず、主の前にへりくだった者は、過越しの捧げ物をして主を喜び、主からの祝福をいただきました。
過越しの祭りとは、イスラエル民族が奴隷状態にあったエジプトから、小羊の血によって裁きが過ぎ去り、救い出されたことを記念する祭りです。自分たちの救いの源を覚えるために、種を入れないパンとにが菜を食しました。
罪を悔い改めて立ち返る者を主は必ずあわれみ、窮地から救ってくださいます。
わたしたちも罪によって主から離れているところはないでしょうか。イエス様の犠牲による救いと復活を覚え、パンとぶどう酒に与るために礼拝を第一にして勝ち取りましょう。