シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

「どうして・・・」トラクト完成

2010-07-31 19:33:36 | エッセイ
 苫小牧めぐみキリスト教会オリジナルトラクト第二弾「どうして・・・」が完成しました。(返信はがき付き)
 このトラクトは、誰もが知りたい疑問「自分の存在理由?」に答えを与えるものです。
 日本では1998年に初めて自殺者数が3万人を突破して以来、11年連続で3万人を超えています。
 このトラクトを通して、1人でも多くの方々が「自分自身の存在理由」と「罪からの救い」を知ってほしいと思います。
 苫小牧西部地区に各戸配布されます。
 主に用いられますように。

ジョイジョイキャンプたのしかったよ。

2010-07-31 17:33:57 | ジョイジョイクラブ
 ジョイジョイキャンプでみんなでカレーライスを作りました。

 野菜の皮むきからです。

 とてもおいしかったです。

 

 最後に、スイカ割りをしました。

 だれも命中しませんでした。

 

 「スイカ割りだよ。わたしをたたかないで~!」

 

 キャンプの暗唱聖句です。

 「はじめに神が天と地を造られた。」創世記1:1
 「イエスは罪人を救うために来られた。」Ⅰテモテ1:15


 来年が楽しみだなぁ。

野菜の生育(苫小牧)

2010-07-30 12:47:08 | エッセイ
 不順な天候が続いています。

 なかなか太陽が照ってくれません。

 それでも大きなトマトができました。

 


 スイカはまだ直径8cmくらいです。
 


  ゴーヤも実が着き出しました。
 

 
 ブルーベリーが色付きはじめました。

 これからジョイジョイキャンプに行ってきま~す。


 

ジョイジョイキャンプ

2010-07-25 21:36:40 | ジョイジョイクラブ
 今日のジョイジョイクラブです。

 風船はさみリレーの様子です。

 今日のみことばは、イエスはこどもたちをだき、彼らの上に手を置いて祝福された。マルコ10:16」でした。

 みんな、イエス様に愛されいることを感謝しました。

 

 いよいよ、今週末、30・31日(金・土)はジョイジョイキャンプです。

 教会にみんなで泊まります。
 たのしみだなぁ。

 まだ間に合うので申込の電話かFAXを下さい。

試されている私たちの人生

2010-07-25 18:24:40 | 礼拝メッセージ
 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかったが、彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。
  しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。                      Ⅱ歴代誌 32:24~26

 バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。                  
                                 Ⅱ歴代誌 32:31

 先週見たようにヒゼキヤ王は、分裂王国時代にあって主に立ち返った善王でした。しかし、彼は晩年、主の恵みに対して感謝してへりくだるどころか高ぶってしまって自国に災いを招いてしまいました。
 主は、ヒゼキヤ王を試みて捨て置かれました。
 私たちも主に見捨てられたような状況に置かれることがあります。主に忠実に歩んでいるつもりなのにことがうまく行かない。
 そんな時、投げやりになって主に不平を言って不信仰になるか、主の真実さを信じてあくまでも忠実に歩むかで結果は大きく変わってきます。
 


 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」                             
                                   エステル 4:13,14

 エステルは自分の民族を守るために自分の命をかける決断しなければなりませんでした。今、自分がそこに置かれている意義を主の前に確認しなければなりませんでした。「自分の民族を見捨てて自分だけ助かる道か、自分の民族といっしょに滅びる道か」彼女にとって大変大きな試練でした。彼女は信仰によってその試練を乗り越えました。  

 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。                    
                                   ヤコブ 1: 2~4


 私たちの短い人生はいろいろな意味で主によって試されています。
 試練は大変いやなことですが、主の前に成長し完全な者となることができる唯一の道です。これを喜びとしましょう。
 試練に耐えて徹底的に主に従いましょう。私たちの人生はこの世だけで終わるものではありません。イエス様からたくさんのご褒美をいただけるように歩みましょう。

苫小牧の野の花

2010-07-24 12:36:45 | エッセイ

大暑が過ぎました。
苫小牧は例年より暑いですが、ぐずついた天気が続いて最高気温が21~23℃です。
近くの小糸魚川の周りには野の花がいろいろ咲いています。

 エゾニュウ

 

 エゾニュウ

 

 オオウバユリ

 

 名前のわからないピンクの花。蝶が集まっていました。

 

 名前の分らない紫の花。なかなか可憐な花です。

 


天に届いた祈り

2010-07-18 12:52:02 | 礼拝メッセージ

 今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。主に服従しなさい。主がとこしえに聖別された聖所にはいり、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。 
 あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」                            Ⅱ歴代誌 30: 8, 9

 ヒゼキヤ王は、分裂王国時代にあって主に立ち返った善王でした。偶像によって荒れ果てていた主の宮を修理し、悔い改めを促し、過越しの祭りを回復させました。
 しかし、全国に告げられた悔い改めと過越しの祭り回復のメッセージに対して傲慢になって従わない者たちもいました。へりくだった者だけが主のあわれみとゆるしと喜びをいただきました。
 

 こうして、近衛兵は、エフライムとマナセから、ゼブルンの地に至るまで、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを物笑いにし、あざけった。  
 ただ、アシェル、マナセおよびゼブルンのある人々はへりくだって、エルサレムに上って来た。  
 また、ユダには、神の御手が臨み、人々は心を一つにして、主のことばのとおりに王とそのつかさたちの命令を行なった。
                                Ⅱ列王記 30:10~12

 エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。  
 それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。            
                                Ⅱ列王記30:26~27

 捧げ物をするためには大きな出費をし、はるか遠いエルサレムまで出かけなければなりませんでした。しかし、これらのことをいとわず、主の前にへりくだった者は、過越しの捧げ物をして主を喜び、主からの祝福をいただきました。
 過越しの祭りとは、イスラエル民族が奴隷状態にあったエジプトから、小羊の血によって裁きが過ぎ去り、救い出されたことを記念する祭りです。自分たちの救いの源を覚えるために、種を入れないパンとにが菜を食しました。
 
 罪を悔い改めて立ち返る者を主は必ずあわれみ、窮地から救ってくださいます。

 わたしたちも罪によって主から離れているところはないでしょうか。イエス様の犠牲による救いと復活を覚え、パンとぶどう酒に与るために礼拝を第一にして勝ち取りましょう。


受けるよりも与えるほうが幸いである。

2010-07-11 14:52:49 | 礼拝メッセージ
 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。                                使徒 20:20,21

 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。  
 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。                           使徒 20:29~32

 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。                       
                                     使徒 20:35,36

 
 元々パウロ兄弟は、生粋のヘブル人で、律法教育(ユダヤ教保守派パリサイ派)と共にギリシヤ的教養を身につけ、サンヘドリン(高等法院)の議員であり、ローマ市民でもありました。
 彼はクリスチャンを撲滅させるため活動していましたが、天からの光を受けてイエス様と出会い、回心しました。
 それからは、イエス様の忠実なしもべとして、イエス様に仕え、教会に仕えました。
 パウロ兄弟は、各地に建てた教会に対しても未信者に対しても神様の計画を全て知らせ、仕えてきたと断言しました。
 今、各教会の兄弟姉妹と別れるにあたって、告別のことばを述べました。  

 ①益になることを知らせた。 
 ②神に対する悔い改めとイエス様に対する信仰を主張した。 
 ③神の計画を全て知らせた。 
 ④群れを荒らす者が入り込むことに対する警告 
 ⑤ニセ兄弟出現に対する警告 
 ⑥涙をもって訓戒し続けた。 
 ⑦クリスチャンとしての生き方を示し続けた。  

 パウロ兄弟の知らせてくれたことと彼の生き方は、今の私たちにもとっても大切な事柄です。
 これらを信じ受け入れて、自分のものとしましょう。

神様の恵みから放縦へ

2010-07-04 12:56:12 | 礼拝メッセージ
<神の恵みから放縦に>
 
 というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。           ユダ 4


 人の心は移りやすいものです。自分のために命を懸けてくださった救い主イエス様をいとも簡単に否定してしまうのです。 
 大きな恵みと慈しみをもって救いに招き入れてくださったのに、流行のファッションのように捨て去り、救いを既得権のように考えて感謝もなく従うこともなく好きなように歩む人がいます。



<健全な教えから自己中心、真理から空想話>
 
 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。  みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。  
 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。                    Ⅱテモテ 4: 1~4

 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。    テトス 1:14~2: 1

 
 今の時代こそ、健全な教えに忠実に歩むことが求められています。 主の集会を軽んじて、「仕方ないから行く、行きたいから行く、行きたくないから行かない。」などと主の恵みを放縦に変えてはいけません。
 自分に都合の良いことを言ってもらおうと教会を渡り歩くようになってもいけません。
 イエス様に仕えるように兄弟姉妹に仕えることが主の恵みに生きるということです。
 「頑固だ。偏屈だ。」と言われても、頑ななまでもみことばにこだわり、イエス様に従い続ける者が祝福され、平安な義の実を結び続けます。

今日の苫小牧海岸

2010-07-03 17:29:28 | エッセイ
 先週の真夏のような気候と打って変わって苫小牧らしい霧の毎日です。

 苫小牧の海岸へ行ってきました。

 昔は直立護岸でしたが、今は、緩傾斜護岸になって市民の憩いの場となっています。

 水際まで降りられる橋があります。

 

 こちらは室蘭方向です。

 

 こちらは日高方向です。

 

 海岸にハマナスが咲いていました。