シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

夕べのささげ物

2010-09-12 17:31:43 | 礼拝メッセージ
 主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。
 私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。
 主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。
 私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。
 正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。
 彼らのさばきづかさらが岩のかたわらに投げ落とされたとき、彼らは私のいかにも喜ばしいことばを聞くことでしょう。
 人が地を掘り起こして砕くときのように、私たちの骨はよみの入口にまき散らされました。
 私の主、神よ。まことに、私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けます。私を放り出さないでください。
 どうか、彼らが私に仕掛けたわなから、不法を行なう者の落とし穴から、私を守ってください。
 私が通り過ぎるそのときに、悪者はおのれ自身の網に落ち込みますように。              
                                   詩篇141: 1~7

 詩篇141篇はダビデの賛歌です。
  ダビデは今の緊迫した状況の中で主を呼び求めています。ダビデは主にまったき信頼を寄せ、自分自身の思いのすべてを主にぶつけています。
 自身の祈りが、ささげられる香やいけにえのように主の前に立ち上って受け入れられるように願っています。
 自分が信仰のない者や罪の道に歩まないように、かえって、信仰のある正しい者からの叱責を喜んで受ける者になりたいと祈っています。たとえ、多くの人が悪の道に進み、信仰者が不信仰の道を慕って行ったとしても、自分は主に信頼して祈り求めると告白しています。
 自分自身の骨がバラバラにされて地獄の入り口に捨てられているような絶望的な状況にあっても、それでも私は主に信頼して主を待ち望むといっています。
 ただただ真実なる主を求め、主の正しさのもとにへりくだることを必死に求めています。なんと、ダビデは純粋で単純な信仰の持ち主なのでしょうか。


 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。  
                                     ローマ 12: 1,2

 あなたは自分の思いを心の底から主に打ち明けていますか。 心からの祈りと自分自身を主にささげ尽くしていますか。心の底にあるモヤモヤを溜め込んでいると、不平不満となって兄弟姉妹や大切な家族、教会、イエス様に当ってしまいます。
 私たちは、自分で決心し、主に信頼することによって状況を一変させることができます。主が自由に働かれるからです。
 肉による礼拝ではなく、霊的な礼拝を主は求めておられます。

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