いつも教会のソファーに静かにすわる「シャロンちゃん」(勝手に命名しました)。
ときどき、おともだちに放り投げられたりしますがだいじょうぶ。
寒い人がいたら体の中からひざ掛けを出して暖めてあげます。
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。
だまされてはいけません。
不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。
しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。
ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。
からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。
神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。
キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。
そんなことは絶対に許されません。
遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。
「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。
しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
Ⅰコリント 6: 9~20
人は、罪をそのままにしていては天国に行けません。
「神はいない。罪を犯してもかまわない。誰でも死んだら天国に行ける。」と考え、思い込んでも地獄に行ってしまいます。罪が解決されていないからです。
しかし、同じように罪があっても、罪を悔い改めて救い主イエス様を信じる人は、罪赦されます。罪がイエス様によって解決されているからです。
罪赦された人は、自分の体を神様の宮として大切にします。
暴飲暴食や不品行に走りません。
イエス様の命をもって買い取られたからです。
もう、自分のものではなく、イエス様のものですからイエス様に喜ばれる生き方をします。
そこに、本当の喜びと平安があります。
ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。
そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。
あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。
それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。
これは神から出たことです。
あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。
ピリピ 1:27~29
イエス様に従って行こうとする時に、イエス様を嫌ったり、信仰を馬鹿にしたりする人が現れます。
でも、兄弟姉妹が霊と、心において一致していれば揺るがされることはありません。
さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
からだは一つ、御霊は一つです。
あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
エペソ 4: 1~6
神様の前に、イエス様の前に、兄弟姉妹の前に、隣人の前にへりくだって一致を求める人が、祝福を受けます。
ときどき、おともだちに放り投げられたりしますがだいじょうぶ。
寒い人がいたら体の中からひざ掛けを出して暖めてあげます。
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。
だまされてはいけません。
不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。
しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。
ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。
からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。
神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。
キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。
そんなことは絶対に許されません。
遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。
「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。
しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
Ⅰコリント 6: 9~20
人は、罪をそのままにしていては天国に行けません。
「神はいない。罪を犯してもかまわない。誰でも死んだら天国に行ける。」と考え、思い込んでも地獄に行ってしまいます。罪が解決されていないからです。
しかし、同じように罪があっても、罪を悔い改めて救い主イエス様を信じる人は、罪赦されます。罪がイエス様によって解決されているからです。
罪赦された人は、自分の体を神様の宮として大切にします。
暴飲暴食や不品行に走りません。
イエス様の命をもって買い取られたからです。
もう、自分のものではなく、イエス様のものですからイエス様に喜ばれる生き方をします。
そこに、本当の喜びと平安があります。
ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。
そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。
あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。
それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。
これは神から出たことです。
あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。
ピリピ 1:27~29
イエス様に従って行こうとする時に、イエス様を嫌ったり、信仰を馬鹿にしたりする人が現れます。
でも、兄弟姉妹が霊と、心において一致していれば揺るがされることはありません。
さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
からだは一つ、御霊は一つです。
あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
エペソ 4: 1~6
神様の前に、イエス様の前に、兄弟姉妹の前に、隣人の前にへりくだって一致を求める人が、祝福を受けます。
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