シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

イエス様への悪意=悪霊の支配

2007-03-25 21:37:15 | 礼拝メッセージ
 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。
 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。            ヤコブの手紙 3章14~17節

 聖書に「人はうわべを見るが、主は心を見る。」とあるように、神様は私たちの心を見られます。
 口先では良い事を言いながら心の中にねたみや敵対心(兄弟姉妹に対する悪意、親に対する恨み、隣人に対するつらみ)があるなら、それはイエス様が最も嫌われる偽善です。その偽善はサタン・悪霊に属することです。  
 「私は熱心なクリスチャンです。」と心の中で思っていても、偽善の罪を悔い改めて聖められていなければサタン・悪霊の支配下にあって、じきに秩序に対する反発(高慢)、邪悪な行いへと進展していきます。
 イエス様の御名によって偽善の罪を赦していただき、サタン・悪霊との関係を断ち切りましょう。相手(兄弟姉妹、両親、隣人)におわびをして赦していただきましょう。また、自分に悪意を持っている人を赦しましょう。
 そして、上からの知恵、聖霊様の助けと慰めと支配をいただきましょう。聖書を神様からのことばとして受け入れましょう。
 わたしたちは、偽善ではない真実な生活、良い実を結んでいくことができます。イエス様のようになれるのです。
 そのためには、あなたの口から出ることばに注意しましょう。あなたの口から出ることばは、自分や周囲を汚すことも聖めることもできます。そのことばは、あなたの人生を台無しにし、地獄での永遠の滅びへいざなうこともあるのです。
 口から出ることばはあなたの心の中から出てくるのです。それはイエス様に対する悪意です。心の奥底からイエス様の血潮によって聖めていただきましょう。


 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲへナの火によって焼かれます。                       ヤコブの手紙3章6節

死んだ信仰=サタンの信仰

2007-03-18 17:04:25 | 礼拝メッセージ
 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。                                                                                     ヤコブの手紙2章14~17節

 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。                                                                             ヤコブの手紙2章:26節  

 せっかくイエス様に対する信仰を持っていても、死んだ信仰ならば信仰を持っていないよりも悪いですね。自分は信心深く、信仰を持っているからだいじょうぶと思ってもそれは架空のものです。信仰からくる行いがなく、ただ口先だけのことであれば無意味です。信仰が死んでいるなら意味はないのです。
 聖書を読まず、祈らず、教会へも行かず、兄弟姉妹に仕えることをせず、イエス様の救いを伝えることもしない、占いはする、偶像礼拝はする、悪口陰口は言う、それで「私は信仰を持っています」と言ったところで、どのように自分の信仰を示すことができるのでしょうか。実はサタン・悪霊も同じ事をしているのです。


 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。                                                 ヤコブの手紙2章19節

 悪霊も信心深い者たちです。「神はおひとり、イエス様は神の子」そのように信じて身震いしています。私たちよりずっと信心深いですね。ただ、イエス様を信じてはいるけれども悔い改めて従っていないのです。
 行いのない信仰はそのようなものです。イエス様の憐れみによって罪赦された私たちは、イエス様を信じて従い、イエス様に支配していただき、信仰のとおりに行動しましょう。私たちの心の思いが私たちを動かしています。
 イエス様からいただいた赦しで人々を赦し、イエス様からいただいた憐れみで人々を憐れみ、イエス様からいただいた愛で人々を愛しましょう。
 イエス様は実行の人でした。あなたもわたしもそのような人になることができます。祝福をかき集める生き方ではなく、祝福を分け与える生き方です。

「忍耐」は古臭いことば?

2007-03-11 22:14:28 | 礼拝メッセージ
 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。          ヘブル人への手紙12章1~3節

 聖書はおもしろいですね。旧約聖書に書かれているアダム、アブラハム、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン、そのほかのたくさんの人々の生き方、信仰は今の私たちのためのものです。彼らの生き方、信仰とその結末を良く見て参考にするように言われています。
 今日のみことばは、その信仰の先輩たちが罪を捨てて祝福された道を歩んだように、あなたもその信仰の道を忍耐を持って走り続けるように勧めています。元気がなくなったり、疲れてしまったらイエス様のことを思い出してください。
 イエス様は反抗的な私たちの態度に耐えてくださり十字架で命をかけ私たちを救ってくださいました。イエス様から目を離さないようにしましょう。元気が出ますよ。


 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
                        ローマ人への手紙5章3~5節

 「忍耐」むかし観光地のおみやげ屋さんで売っていた壁掛けのことばを思い出しますね。今は、もう古臭いことばのように感じますね。でもこれが私たちを生かすとても大事なことばなんです。
 生きていく上では苦しいことや問題などたくさんのことがやってきます。しかし、患難によって忍耐が生まれます。忍耐がすばらしい希望につながっていきます。神様の懲らしめは私たちの益のため、罪から離れた聖い生活のためです(ヘブル人への手紙12章10節)。
 私たちは、ともすれば安易な道、堕落した道、低い方に流れやすいものです。神様から悪い道を正されて聖められる道を求めましょう。
 イエス様のことば、約束、勧めを受け入れて心からイエス様に信頼しましょう。途中で投げ出さないように忍耐を持って進みましょう。イエス様は励ましの神様です。

ハイビスカス外は雪

2007-03-08 00:41:59 | エッセイ

 暖冬で早くも春の到来。と思っていたら、外は雪景色。量は少ないですが外は吹雪です。真冬日になってしまいました。
 
うちの居間ではハイビスカスが次々に咲いています。つぼみはスクリューが折りたたまれて収納されているようです。花びらは収納から解かれるように広がり咲いていきます。美しいです。心を和ませてくれます。偶然では無理ですね。神様(イエス様)の御手のわざです。


駐車場あります。

2007-03-06 19:32:57 | 案内
 うちの教会では、駐車場を完備しています。
 昨年はアスファルト舗装とフェンスの設置をしました。
 どうぞ車でもお気軽にお越し下さい。
 駐車場の看板には有名な聖書のことばが入れてあります。

  集会は次のとおりです。

 日曜学校(ジョイジョイクラブ)  毎日曜日 午前 9:00~10:00
 日曜礼拝              毎日曜日 午前10:30~12:00
 バイブル&コーヒーアワー 第2、4日曜日 午後1:30~2:30
 聖書学び会・祈り会       毎水曜日 夜7:30~8:30
 婦人会               毎木曜日 午前10:15~11:30


 すべて入場無料です。お気軽にお越し下さい。

ねこやなぎ

2007-03-06 00:51:24 | エッセイ
 日高町厚賀で枝に雪を乗せたようなねこやなぎを見つけました。
 きれいですね。
 季節になると芽を吹くねこやなぎ。
 そのような遺伝子が組み込まれているのでしょうね。
 理性的に考えると自然に、偶然に組み込まれたとは考えられませんね。
 やはり、進化にはどっか無理がありますね。

イエス・キリストは世界一おろかな方?

2007-03-04 16:08:25 | 礼拝メッセージ
 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。     ヘブル人への手紙 9章26~28節



 イエス・キリスト様について、学校の歴史や倫理で教えられることや一般書の偉人伝などはかなり事実とはかけ離れているようです。聖書を見ると今までの間違った認識を捨てる必要に迫られます。
 本当は全然違っていたのです。聖書によると、

 ① イエス・キリストは私たち人間の罪を取り除くために、自分自身いけにえ(十字架で)となるためにこの地上に来て下さった。(クリスマス)

 ② 人間には死と死後のさばきが定まっている。だれひとり例外がない。

 ③ イエス・キリストはもう一度信じる者を救うためにこの地上に来られる。


  イエス・キリスト様は博愛主義の立派な人でも、キリスト教の教祖様でもないのです。この宇宙・地球、すべてのものを造られた神様が人間となって来てくださった。それがイエス・キリスト様です。
 そのお方が来て下さった目的は、私たちの罪を消し去るために自分が十字架で身代わりの死を遂げることでした。それほどまでに私たち人間を愛してくださったのです。
 なぜ、そこまで犠牲を払ったのでしょう。それは、②にあるように人間に死後さばきがすべての人にあるからです。人は死んで終わり、無に帰するのではありません。そうなれば楽なのでそのように教える宗教はたくさんありますが、実際はそうではありません。
 死後にさばきがないのであれば、イエス・キリスト様ほどバカな方はいないでしょう。ありもしない死後のさばきのために死んだことになるからです。  
 イエス・キリスト様はあなたを心から愛して身代わりとなって下さったのです。
 イエス・キリスト様は再びこの地上にやって来られます。この方を自分の救い主として迎えるか、裁き主として迎えるか、一人ひとりの決断にかかっています。
 心から感謝しいて救い主イエス・キリスト様を自分の救い主として受け入れて従いましょう。あなたにも罪と決別したすばらしい生活が待っています。

苫小牧めぐみキリスト教会玄関パンフ

2007-03-03 23:16:58 | 案内
 うちの教会の玄関にはフードがあって、聖書に関するパンフレットを備え付けてあります。
 三浦綾子さん、星野富弘さんの冊子や今話題のパワーフォーリビングもありますのでどなた様もご自由にお持ち帰り下さい。
 フリーペーパーにはステキな情報がいっぱいですよ。

 子どもさん向けの日曜学校(ジョイジョイクラブ)のポスターもはってあります。
 毎週日曜日朝9:00~10:00です。たくさんの子どもさんのお越しをお待ちしています。(ゲーム、おやつ、聖書のお話し、さんびかなどたのしいよ)