シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

私の民は主の定めを知らない

2006-08-27 18:34:33 | 礼拝メッセージ
 あなたは、彼らに言え。主はこう仰せられる。「倒れたら、起き上がらないのだろうか。背信者となったら、悔い改めないのだろうか。なぜ、この民エルサレムは、背信者となり、背信を続けているのか。彼らは欺きにすがりつき、帰って来ようとしない。 わたしは注意して聞いたが、彼らは正しくないことを語り、『私はなんということをしたのか。』と言って、自分の悪行を悔いる者は、ひとりもいない。彼らはみな、戦いに突入する馬のように、自分の走路に走り去る。空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。                   エレミヤ 8章4~7節

 主は、若い祭司の一人エレミヤに声をかけられました(エレミヤ書1章)。主は、エレミヤを胎内に形造る前から聖別してご自分の預言者として定めていました。預言者は人々が反対しても、受け入れなくても、嫌がったり、脅してきたりしてもまっすぐに神様のことばを語らねばなりません。 世界制覇を目指す三大大国アッシリヤ、バビロン、エジプトの間にあってエルサレムはバビロンからの侵略に直面していました。本当は神様の声を聞いて彼らは悔い改めなければなりませんでした。しかし、彼らは悔い改めずに偶像礼拝を続け、宗教家、律法学者、祭司たちは私利私欲に明け暮れていた。 エレミヤは、孤独と激しい反対の中、主からのことばを語りました。「悔い改めなさい。」と。 空の鳥でさえ自分の季節を知り、自分の帰る時を守っているのに。なぜ、わたしの愛するイスラエルの民は自分のことを知らないのだろうか。わたしのもとに悔い改めて立ち返りなさい。わたしたちの主は、いつもわたしたちに語りかけてくださっています。

  あなたは主の定めを知っていますか。
  あなたは主の定めを求めていますか。 
  あなたは主の定めを受け入れていますか。 
  あなたは主の定めを信じていますか。 
  あなたは主の定めに従っていますか。

あきらめる必要はない。

2006-08-20 17:51:47 | 礼拝メッセージ
 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」
 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。
 しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
             ルカの福音書18章1~8節

 イエス様は、心やさしくわたしたちにわかりやすくたとえ話を通して語ってくださいました。
 たとえ話に出てくる裁判官はとても現実的にはいそうもない人ですけど、そんな冷血無慈悲な裁判官でも執拗な願いには仕方なしに依頼者を守るために裁きを着けてくれます。
 「わたしは、十字架上であなたの罪を背負って死に、すべてのサタン、悪霊、罪、死、病に勝利しました。わたしに信頼して失望しないで祈りつづけなさい。わたしがことを成し遂げます。」イエス様はそのように言われ、祈りを待っておられます。
 祈り続けましょう。目に見える現実が希望通り動いていそうでなくても。最後にイエス様は信仰が見られるかどうか心配しています。
 最後の最後までイエス様を信じ続けて行きましょう。そこに命と喜びと感謝があります。

神の国はどこにある

2006-08-13 17:43:46 | 礼拝メッセージ
  さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
                               ルカの福音書 17章20~21節


 古今東西、多くの人々が求め続けてきたもの、それは「神の国」です。現在も多くの人々が求め続けています。
 旅を通して見つけようとする人、あるもの(道)を極めて求めようとする人、今の社会体制を破壊して実現しようとする人、自分の現在の思考を再構築して実現しようとする人、あきらめて実現不可能と決めてします人、存在を否定して自由気ままに生きる人。
 パリサイ人はイスラエルが繁栄を極めたかつての栄光を求めていたのかもしれません。しかし、イエス様は、神の国は人の目で見えるようには来ないと言われました。神の国とは、あなたやわたしの内側にあるといわれたのです。それは、神様の支配を意味します。
 あなたやわたしが神様を自分の主として受け入れ、神様の与えてくださった聖書(神様の言葉)を信じてそれに従うことです。自分の考えを基準にするのではなく聖書を基準として生きることです。それが神様の支配、神様の国なのです。
 聖書を無視し、イエス様の言うことを聞かないことが不信仰であり、そこには神の国はありません。すべての問題、すべての悪がそこから発生するのです。
 イエス様を信じて洗礼を受けた人でも、イエス様に従っていなければ神様の支配はありません。神の国とは次のことです。

 ①聖書をすべて神様の誤りのない言葉と信じる。
 ②神様が天地万物すべてのものを創造されたと信じる。進化論は信じない。
 ③イエス様を自分の救い主として信じて従う。
 ④イエス様の十字架の死と復活を歴史的事実として信じる。
 ⑤聖書の教える教えを守って罪から離れて生きる。
 ⑥聖霊なる神様が信じる者に与えられ、ともにいてくださることを信じる。
 ⑦教会の礼拝に出席して神様をほめたたえる。
 ⑧収入の十分の一を神様にお返しする。感謝献金をする。
 ⑨隣人に悪さをしない。
 ⑩両親を敬う。

 神の国があなたに実現したら、けんかや争いや病気も問題もなくなりますね。これが「神の国」神様の支配です。

知れ。主こそ神。

2006-08-06 20:59:37 | 礼拝メッセージ
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。詩篇 100篇3~5節
 

 
神様を自分の主(ご主人)として信頼できる者はなんと幸せ者でしょう。聖書は、私たちを造られたのは神様で、私たちは神様のものだと言っています。私たちに命を与え、すべての恵みを施して養っていてくださいます。
 それなのに、「私は進化論の言うとおり偶然に自然発生して進化してきました。神様の世話にはなっていません。自分の力で生きてます。」と言って生きていくのは辛いものです。
 神様に感謝しつつ神様の大庭に入れるとは幸いですね。神様と親しくなれるわけですからいいですね。でも、すべての人は神様に逆らった生き方をして罪を犯しています。罪を赦していただくために十字架で私たちのために身代わりとして死んでよみがえってくださったイエス様に仲介してもらう必要があります。
 イエス様のいつくしみ深さと恵みは尽きることがありません。イエス様を知ることは神様を知ることです。イエス様を求め続けましょう。
 イエス様を賛美しましょう。イエス様をほめたたえすぎることはありません。イエス様にお会いした時そのすばらしさに圧倒されて、「もっとほめたたえておけばよかった。」と思うでしょう。心の目が開かれますように。