シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

いま、何によって生きていますか。

2008-08-31 16:44:51 | 礼拝メッセージ
 私はキリストとともに十字架につけられました。
 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
 いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
                                  ガラテヤ 2:20  

 パウロは、いま自分が生きているのは、イエス様を信じる信仰、イエス様に与えられた新しい命によっていると告白しています。
 イエス様に出会うまでの生き方は、自分中心、自己満足、偽りの生き方だと言うのです。
 ガラテヤの兄弟姉妹は、ニセ教師、ニセクリスチャンによって惑わされてしまって、今まで自分たちに救いを与えることができなかった「律法」に逆戻りしてしまったのです。
 そして、なんとあのペテロとバルナバまでもが「律法主義者・形式主義者」の教えに惑わされて自分たちの本心を偽った行動を取ってしまったのです。
 パウロは彼らより年齢的にも信仰的にも立場的にも後輩ではありましたが、ペテロたちを厳しく責めました。
 律法によって救われるのであれば、イエス様の十字架の死は無意味です。
 私たちもイエス様の死を無意味なものにしないようにしましょう。
 せっかくイエス様の身代わりの死によって救いをいただいたのに、以前より悪い生活、喜びや感謝のない生活、「クリスチャンじゃなかったらもっと楽しかったのに」と言う生活。
 それがイエス様の死を犬死にすることです。

ちょっとさびしいブルーベリー

2008-08-30 15:05:45 | エッセイ
 今年のブルーベリーは、実の付き具合が悪いです。

 枝の剪定の仕方もわからず、そのままにしていたのがまずかったのでしょうか。

 いつもの年の1/3ぐらいしかないようです。

 それでも甘くておいしいです。

 目が良くなったような気がします。

 さて、明日は日曜日、イエス様を礼拝するために教会へ行きましょう。
 (自分の気分を優先させて欠席しないように。それはサタンの誘惑です。)


 ジョイジョイクラブもパワーアップして楽しいこと満載です。

 おともだちのみんな。集まろう。

永遠の愛

2008-08-24 17:48:35 | 案内
 主は遠くから、私に現われた。
 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
 それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
 おとめイスラエルよ。 
 わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。
 再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。
 再びあなたはサマリヤの山々にぶどう畑を作り、植える者たちは植えて、その実を食べることができる。
 エフライムの山では見張る者たちが、『さあ、シオンに上って、私たちの神、主のもとに行こう。』と呼ばわる日が来るからだ。」
                             エレミヤ 31:3~6  


 イエス様はなんとすばらしいお方でしょうか。
 
 イエス様があなたに下さったものは次のものです。  

 ①永遠の愛 
 ②誠実
 ③建て直し
 ④飾り
 ⑤喜び
 ⑥笑い
 ⑦畑(財産)
 ⑧労働
 ⑨収穫
 ⑩教会
 ⑪礼拝
 ⑫兄弟姉妹

 イエス様の十字架は、神様が永遠の変わらない愛をもって、あなたを愛してくださった愛そのものです。
 イエス様から永遠の愛をもって愛していただいているのであれば、それ以外なにが必要でしょうか。

 心から感謝して、イエス様を愛し従いましょう。

ズッキーニとゴーヤー

2008-08-23 12:17:13 | エッセイ
 ズッキーニーとゴーヤーが大きくなってきました。

 ズッキーニーは春に園芸屋さんから緑のラベルがついた苗を2つ買ってきて植えました。

 でも、実が生ってみると片方は黄色でした。

 両方食べられるから結果オーライ。

 夫婦2人じゃ食べ切れなくて教会の人やご近所に配って喜ばれています。


 さて、明日は日曜日、イエス様を礼拝できるし兄弟姉妹にも会えるし楽しみです。

 それに、明日は特別に、室蘭聖書教会から佐々木兄弟姉妹が来てくれます。

 うれし~です。

 みなさんも教会へ行きましょう。



子どもと大人

2008-08-17 23:02:30 | 礼拝メッセージ
 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。
 ところが、弟子たちは彼らをしかった。
 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。
 「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
                              マルコ 10:13~15

 なんと、イエス様の助けをしてイエス様のもとに人々を連れてくるはずの弟子たちが、逆にイエス様のところに来ようとしている子どもたちを軽く見てじゃまをしました。そしてイエス様から大目玉を食らってしまいました。
 純粋にイエス様に救いを求めている人がイエス様のもと、教会に来ようとしているのを妨げていないでしょうか。
 私たちクリスチャンは、ことばで言わないにしても態度や行動でそれと同じことをしていないでしょうか。
 しつけ(躾)とは「し続けること」だそうです。
 いくら子どもに良い事を言ったとしても、子どもは親の背中を見て育つので、親の行いが子どもに影響を与えます。
 あなたは家族や親戚や友だちが、教会に来て福音を聞き、イエス様と出会って救われてほしいですか。
 もちろんそうですよね。
 でも、あなたの行動が次のようであれば、弟子たちとまったく同じ行動をしていることになります。

 ・教会は気が向いた時にだけ行く。
 ・用事があれば教会に行かない。
 ・教会を休む時に連絡をしない。
 ・教会に対する不平不満を言う。
 ・兄弟姉妹に対する不平不満を言う。
 ・いやいやながら教会へ行く。

 そんなところにだれも行きたくないですよね。
 子どものように心からイエス様の救いを喜んで、イエス様と兄弟姉妹に仕えることを第一としていれば、背中でイエス様の素晴らしさを表すことになります。

 聖書の言うとおりに子どもの部分と大人の部分をしっかり区分けして身に着けましょう。

 ・Ⅰコリント14:20  
 悪事について・・・・・子ども 
 物事の考え方・・・・・・・・大人

 ・エペソ4:14  
 人の悪巧み、間違った教えに対して・・・・大人

 ・Ⅰペテロ2:2  
 みことばを求めること・・・・・赤ちゃん


 イエス様やみことばに対しては子どものように素直になりましょう。

庭への訪問者

2008-08-16 10:20:17 | エッセイ
今朝、アゲハチョウがうちの庭にやってきました。

花から花へ飛びかっていました。

不思議ですね。

このような虫たちがいないと植物の花は受粉できないですよね。

受粉ができないと植物は滅びてしまいます。

神様が天地創造の時、3日目に植物を造られ、5日目に昆虫たちを造られたのもうなずけますね。

生物の進化に何億年もかかっていたら、植物は昆虫の進化を待てずに消滅しています。

改めて聖書ってすごいなぁと思います。

この天地を造られたお方、救い主イエス様を明日教会へ行って礼拝しましょう。

ジョイジョイクラブも楽しいことがたくさんあります。

待ってま~す。

イエス様の献身

2008-08-10 19:31:24 | 礼拝メッセージ
 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこう言われた。
 「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。
 「シモン。眠っているのか。一時間でも目を覚ましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
                             マルコ 14:34~38

 イエス様は言葉に現せない苦しみに直面していました。

 1.愛する父から関係を立たれる。
 2.すべての人の罪、とが、病を背負わなければならない。
 3.永遠の刑罰を経験しなければならない。

 イエス様は苦しみの道を逃れたかったが、父なる神様の思いのとおりになるようにと自分自身を明け渡された。
 弟子たちはイエス様の直面している緊迫した状況をよそに、眠りほうけていた。
 イエス様がここを離れないで目を覚ましていてほしいと、お願いしたにもかかわらずに。

 イエス様は私たちに「いくら心が燃えていても、誘惑に対して肉体は弱い」と教えています。
 1時間の祈りによって誘惑から守られるようにしましょう。
 また、イエス様は「ここを離れないで、目を覚ましていなさい。」と言われます。
 こことは、イエス様のそばであり、あなたが導かれ救いをいただいた教会、あなたが今植えられている教会です。
 教会を渡り歩くことは家族を捨てることです。
 へりくだってイエス様に仕え、兄弟姉妹に仕えましょう。

苫小牧の野の花

2008-08-09 21:07:17 | エッセイ

苫小牧港西港近くの野原で見つけた野の花です。

これは、ムシトリナデシコです。

名前はわかりません。葉が肉厚で白い毛が付いていました。  

これは、ねじ花です。
 

タンポポのような花です。名前はわかりません。


可憐な花がいろいろ咲いています。

神様のデザイン力ってすごいですね。


明日は日曜日、神様を求め、イエス様の救いを求めて教会へ行きましょう。

午後からはバイブル&コーヒーアワーがあります。

お気軽においで下さい。


明日のジョイジョイクラブでは冷たいゼリーを食べます。

みんなあつまろう。


今日の樽前山

2008-08-05 18:53:28 | エッセイ
 久々に晴天になったので樽前山を撮ってみました。

 苫小牧の今日の気温は23℃、暑くて大変でした。
 (内地の方には申し訳ありません)

 盛夏ですが日没が早くなったような気がします。

 暑い夏を楽しみたいものです。

心も体も健康になる秘訣

2008-08-03 18:53:17 | 礼拝メッセージ
 わが子よ。私のことばをよく聞け。
 私の言うことに耳を傾けよ。
 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
 いのちの泉はこれからわく。
 偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。
                          箴言 4:20~24 箴言


 4章では両親から教えられたことばや戒めを大事にするように言っています。
 それが私たちを悪の道から守ってくれるのです。
 もし、私たちが両親の教えを大切に守っていたらどんなに正しい道を歩めたことでしょう。
 また、神様はいろいろな方法を通してご自身のことばと教えを私たちに与えて下さっています。
 この神様のことば、イエスさまの教え、聖書のことばをこころから信じて自分のものにしていくならば、心も体も健やかになることができます

 「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。」
と言われています。

 中途半端な気持で良いわけではありません。
 信じても信じなくても良いというのでもありません。
 救われたから多少罪を犯しても赦されているからかまわないと言うことでもありません。
 自分の心が聖書から離れていないか、不信仰な心になっていないか、自分の思いが自分を支配していないか、こころをいつも見張る必要があります。
 日々、イエス様に罪を取っていただき、きよめられることを求めましょう。
 罪に支配されたままではいけません。
 心身ともに病気になってしまいます。

 「右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。 」
                                   箴言 4:27

 
私たち人間が生きる本当の道はひとつしかありません。
 それは、イエス様に従う道です。
 平安と喜びと感謝の道です。