あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
Ⅰペテロ 1: 5~9
信仰の試練はいやなものですが、純粋な信仰は是非自分のものにしたいですね。「信仰の試練」は「信仰の純粋さ」とも訳されます。純粋な信仰は高価な金よりも尊く、天地の主イエス様から称賛されるものです。純粋な信仰とはなんでしょうか。
だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現われるとき立っていられよう。まことに、この方は、精練する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。
この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、主を喜ばせる。
マラキ 3: 2~4
私たちの信仰を純粋なものにしてくださるのは主の働きです。信仰が純粋にされた者は、主に聖いささげものをする者へと変えられます。
主に対する態度を悔いて次のように改めるなら純粋な信仰へと変えられていきます。
・主イエス様のもとに立ち返る。 マラキ 3: 7
・十分の一返金。 マラキ 3:10
・主に仕える。 マラキ 3:13~18
人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。
あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
マラキ 3: 8~10
イエス様の教会と働き人のために各自収入の十分の一は、主にお返ししなければなりません。これをないがしろにして主から盗んでいるので祝福がなく、純粋な信仰から遠ざかってしまっています。
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
Ⅰペテロ 1: 5~9
信仰の試練はいやなものですが、純粋な信仰は是非自分のものにしたいですね。「信仰の試練」は「信仰の純粋さ」とも訳されます。純粋な信仰は高価な金よりも尊く、天地の主イエス様から称賛されるものです。純粋な信仰とはなんでしょうか。
だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現われるとき立っていられよう。まことに、この方は、精練する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。
この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、主を喜ばせる。
マラキ 3: 2~4
私たちの信仰を純粋なものにしてくださるのは主の働きです。信仰が純粋にされた者は、主に聖いささげものをする者へと変えられます。
主に対する態度を悔いて次のように改めるなら純粋な信仰へと変えられていきます。
・主イエス様のもとに立ち返る。 マラキ 3: 7
・十分の一返金。 マラキ 3:10
・主に仕える。 マラキ 3:13~18
人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。
あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
マラキ 3: 8~10
イエス様の教会と働き人のために各自収入の十分の一は、主にお返ししなければなりません。これをないがしろにして主から盗んでいるので祝福がなく、純粋な信仰から遠ざかってしまっています。
あなたがたは言う。「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行なっても栄え、神を試みても罰を免れる。」と。 マラキ 3:14、15
あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。 マラキ 3:18
神に仕えず、不信仰な人々が平安で繁栄しているのを見て、主に仕えることを虚しいことと決め付けているクリスチャンがいます。しかし、主は、その結末に大きな違いを与えられます。すべてを裁かれるのはイエス様です。
私たちも、試練を通してテモテのような純粋な信仰をいただきましょう(Ⅱテモテ1:5)。