神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。
祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。
咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。 詩篇 65: 1~4
罪や咎が私たちを圧倒していても、私たちには悔い改めて近づく者を受け入れて赦してくださるイエス様がいらっしゃいます。イエス様は私たちの叫び祈る声を熱心に聞いてくださる方です。
多くの人が、孤独と寂しさの中で打ちひしがれています。家族があり、友人があり、同僚がありながら受け入れられていないと感じています。愛する家族、優しい友人、助けてくれる同僚がいても、人間には限界があります。
しかし、どんなに打ちひしがれた者でも、イエス様は受け入れ励ましてくださいます。
あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。
もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙――それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日――会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。
あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。
あなたがたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。 イザヤ 1:12~15
しかし、私たちがイエス様の下に行く時、二心であってはいけません。吐き出されてしまいます。形だけ整え、ポーズをとっていればイエス様が無条件で受け入れてくれるわけではありません。
真心からへりくだって真実な思いをイエス様に伝えましょう。
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。 ヘブル 5: 7
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。 ヤコブ 5:16
祈りは、神様を動かします。祈りによって大きな力が働いて主のみこころがなされます。イエス様でさえ大きな叫び声と涙をもって父なる神様に祈りました。私たちはなおさらへりくだって祈り続けましょう。イエス様が応えて下さいます。