シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

試されている私たちの人生

2010-07-25 18:24:40 | 礼拝メッセージ
 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかったが、彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。
  しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。                      Ⅱ歴代誌 32:24~26

 バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。                  
                                 Ⅱ歴代誌 32:31

 先週見たようにヒゼキヤ王は、分裂王国時代にあって主に立ち返った善王でした。しかし、彼は晩年、主の恵みに対して感謝してへりくだるどころか高ぶってしまって自国に災いを招いてしまいました。
 主は、ヒゼキヤ王を試みて捨て置かれました。
 私たちも主に見捨てられたような状況に置かれることがあります。主に忠実に歩んでいるつもりなのにことがうまく行かない。
 そんな時、投げやりになって主に不平を言って不信仰になるか、主の真実さを信じてあくまでも忠実に歩むかで結果は大きく変わってきます。
 


 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」                             
                                   エステル 4:13,14

 エステルは自分の民族を守るために自分の命をかける決断しなければなりませんでした。今、自分がそこに置かれている意義を主の前に確認しなければなりませんでした。「自分の民族を見捨てて自分だけ助かる道か、自分の民族といっしょに滅びる道か」彼女にとって大変大きな試練でした。彼女は信仰によってその試練を乗り越えました。  

 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。                    
                                   ヤコブ 1: 2~4


 私たちの短い人生はいろいろな意味で主によって試されています。
 試練は大変いやなことですが、主の前に成長し完全な者となることができる唯一の道です。これを喜びとしましょう。
 試練に耐えて徹底的に主に従いましょう。私たちの人生はこの世だけで終わるものではありません。イエス様からたくさんのご褒美をいただけるように歩みましょう。

天に届いた祈り

2010-07-18 12:52:02 | 礼拝メッセージ

 今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。主に服従しなさい。主がとこしえに聖別された聖所にはいり、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。 
 あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたの兄弟や子たちは、彼らをとりこにした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう。あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」                            Ⅱ歴代誌 30: 8, 9

 ヒゼキヤ王は、分裂王国時代にあって主に立ち返った善王でした。偶像によって荒れ果てていた主の宮を修理し、悔い改めを促し、過越しの祭りを回復させました。
 しかし、全国に告げられた悔い改めと過越しの祭り回復のメッセージに対して傲慢になって従わない者たちもいました。へりくだった者だけが主のあわれみとゆるしと喜びをいただきました。
 

 こうして、近衛兵は、エフライムとマナセから、ゼブルンの地に至るまで、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを物笑いにし、あざけった。  
 ただ、アシェル、マナセおよびゼブルンのある人々はへりくだって、エルサレムに上って来た。  
 また、ユダには、神の御手が臨み、人々は心を一つにして、主のことばのとおりに王とそのつかさたちの命令を行なった。
                                Ⅱ列王記 30:10~12

 エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。  
 それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた。            
                                Ⅱ列王記30:26~27

 捧げ物をするためには大きな出費をし、はるか遠いエルサレムまで出かけなければなりませんでした。しかし、これらのことをいとわず、主の前にへりくだった者は、過越しの捧げ物をして主を喜び、主からの祝福をいただきました。
 過越しの祭りとは、イスラエル民族が奴隷状態にあったエジプトから、小羊の血によって裁きが過ぎ去り、救い出されたことを記念する祭りです。自分たちの救いの源を覚えるために、種を入れないパンとにが菜を食しました。
 
 罪を悔い改めて立ち返る者を主は必ずあわれみ、窮地から救ってくださいます。

 わたしたちも罪によって主から離れているところはないでしょうか。イエス様の犠牲による救いと復活を覚え、パンとぶどう酒に与るために礼拝を第一にして勝ち取りましょう。


受けるよりも与えるほうが幸いである。

2010-07-11 14:52:49 | 礼拝メッセージ
 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。                                使徒 20:20,21

 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。  
 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。                           使徒 20:29~32

 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。                       
                                     使徒 20:35,36

 
 元々パウロ兄弟は、生粋のヘブル人で、律法教育(ユダヤ教保守派パリサイ派)と共にギリシヤ的教養を身につけ、サンヘドリン(高等法院)の議員であり、ローマ市民でもありました。
 彼はクリスチャンを撲滅させるため活動していましたが、天からの光を受けてイエス様と出会い、回心しました。
 それからは、イエス様の忠実なしもべとして、イエス様に仕え、教会に仕えました。
 パウロ兄弟は、各地に建てた教会に対しても未信者に対しても神様の計画を全て知らせ、仕えてきたと断言しました。
 今、各教会の兄弟姉妹と別れるにあたって、告別のことばを述べました。  

 ①益になることを知らせた。 
 ②神に対する悔い改めとイエス様に対する信仰を主張した。 
 ③神の計画を全て知らせた。 
 ④群れを荒らす者が入り込むことに対する警告 
 ⑤ニセ兄弟出現に対する警告 
 ⑥涙をもって訓戒し続けた。 
 ⑦クリスチャンとしての生き方を示し続けた。  

 パウロ兄弟の知らせてくれたことと彼の生き方は、今の私たちにもとっても大切な事柄です。
 これらを信じ受け入れて、自分のものとしましょう。

神様の恵みから放縦へ

2010-07-04 12:56:12 | 礼拝メッセージ
<神の恵みから放縦に>
 
 というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。           ユダ 4


 人の心は移りやすいものです。自分のために命を懸けてくださった救い主イエス様をいとも簡単に否定してしまうのです。 
 大きな恵みと慈しみをもって救いに招き入れてくださったのに、流行のファッションのように捨て去り、救いを既得権のように考えて感謝もなく従うこともなく好きなように歩む人がいます。



<健全な教えから自己中心、真理から空想話>
 
 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。  みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。  
 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。                    Ⅱテモテ 4: 1~4

 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。    テトス 1:14~2: 1

 
 今の時代こそ、健全な教えに忠実に歩むことが求められています。 主の集会を軽んじて、「仕方ないから行く、行きたいから行く、行きたくないから行かない。」などと主の恵みを放縦に変えてはいけません。
 自分に都合の良いことを言ってもらおうと教会を渡り歩くようになってもいけません。
 イエス様に仕えるように兄弟姉妹に仕えることが主の恵みに生きるということです。
 「頑固だ。偏屈だ。」と言われても、頑ななまでもみことばにこだわり、イエス様に従い続ける者が祝福され、平安な義の実を結び続けます。

イエス様の弟子になる。

2010-06-27 16:57:23 | 礼拝メッセージ
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」                    
                                    マタイ 28:19,20

 国語辞典によると「弟子」とは「師について、学問や技芸の教えを受ける人。」とあります。 
 イエス様は、大宣教命令を弟子たちに与えました。三位一体の神の名によるバプテスマと主の教えを守ることを教えられるのが弟子です。
 

 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。                
                                   使徒 2:40~42

 福音を信じて弟子となった者は、使徒たちの教えを堅く守っていました。  

 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。             
                                    エペソ 4:11~13

 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。                    
                                  Ⅱテモテ 3:16,17

 私たちは、弟子となるために救われました。弟子とは、師に従う者です。師と生活を共にする者です。整えられることを求め続ける者です。
 「戒め、矯正、訓練」はやさしいものではありません。辛いことや大変なこともたくさんあります。でも、先生であるイエス様に従うところに幸いがあり、道が開けてきます。
 自分勝手な道を歩む者は弟子とは言えません。

みことばに聞き従う

2010-06-20 15:55:23 | 礼拝メッセージ
 そこで、ピラトはもう一度官邸にはいって、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」  
 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」  
 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」   
 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」 
 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」
 イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」 
                                  ヨハネ 18:33~37

 イエス様は真理を全ての人に知らせるために来てくださいました。イエス様を救い主として信じて、真理を受け入れた者は、イエス様の声に聞き従います。聖書で命じられていることを追い求めます。 
 イエス様に従うことを追い求めていますか。 
 イエス様が何をあなたに求めておられるかわかりますか。 
 イエス様に命じられていることよりも、自分のしたいことや自分の都合だけで生活していませんか。
 

 神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」               
                                     ヨハネ 8:47

 イエス様は次のように言っています。  

 悪魔を父とする者 → 神様のことばに聞き従わない。
             → 悪魔の欲望を成し遂げようとする。 

 神様を父とする者 → 神様のことばに聞き従う。
             → イエス様を愛する。


 私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
                                   Ⅰヨハネ 4: 6

 口先だけで「イエス様を信じています。愛しています。」と言っても、聖書のことば(神様のことば、イエス様のことば、弟子たちの言い伝え)を軽んじて信じない者は、自分の欲望を満足させるために生活しているだけです。

 イエス様に従うことを追い求めましょう。 
 イエス様があなたに何を求めておられるお聞きしましょう。 
 イエス様に命じられていることを自分の都合よりも優先させましょう。

 イエス様とともに収穫の喜びを分かち合えます。

イエス様をもっと知りたいですか。

2010-06-13 18:05:13 | 礼拝メッセージ
 今、主の集会、全イスラエルの前で、私たちの神が聞いてくださるこの所で、あなたがたは、あなたがたの神、主の命令をことごとく守り、求めなさい。それは、あなたがたがこの良い地を所有し、あなたがたの後、とこしえまでもあなたがたの子たちにゆずりとして与えるためである。
 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。             
                                  Ⅰ歴代誌 28: 8,9

 イエス様を本当の意味で知らなければ喜んで仕えることはできません。   
 イエス様は、私たちの①心を探られる方、②思いの向かっているところを読み取られる方です。 
 完全な心と喜びをもってイエス様に仕えましょう。 
 イエス様に退けられないようにしましょう。
 

 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。                               エペソ 1:17~19

 父なる神様は、求める者にご自身とイエス様を知るための知恵と啓示の御霊様を与えて下さいます。 
 そうすれば、私たちはますますイエス様のすばらしさが分かって、救われた私たちの希望、受け継ぐものの栄光、信仰を持っている者に働くイエス様の力を知ることができます。 
 あなたは今「知恵と啓示の御霊様」を求めますか。求めませんか。
 イエス様からなすべきことが与えられたら喜んで従いますか。それとも自分の望んでいない答えなら拒否しますか。それはあなたがイエス様に服従しているのではなく、あなたがイエス様を従わせていることになります。
  

 ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』
                                    エレミヤ 7:23


 イエス様に聞き従って幸いを得ましょう。              

イエス様ががっかりした信仰

2010-06-06 14:13:03 | 礼拝メッセージ
 それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。
 すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」 こうして、彼らはイエスにつまずいた。
 しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。                            
                                  マタイ 13:54~58

 イエス様は、郷里や家族の不信仰を嘆かれました。
 彼らはイエス様のわざや主張していることや聖書を信じないで、ただの人間としか見ませんでした。 
 彼らがイエス様につまづいたことによって、イエス様の栄光を見ることはできず、すばらしい経験を逃してしまいました。不信仰がイエス様の与えて下さる喜び・平安・祝福を奪い去っています。信じない者にならないで信じる者になりましょう。
 


 そこでこのふたりも、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかった。  
 しかしそれから後になって、イエスは、その11人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。                              マルコ 16:13,14


 イエス様は、「見ずに信じる者は幸いである。」とおっしゃいました。今、イエス様を救い主、よみがえりの主と信じている私たちは幸いな者です。
 使徒たちの教え、書簡、聖書を信じる者は幸いです。また、仲間である兄弟姉妹を信じて歩めることは幸いです。兄弟姉妹に対して「愛がない。交わりがない。」と言って心がかたくなになったら不幸です。
 


 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」                            ルカ 18: 8


 イエス様は、死に至るまで忠実であるように勧めておられます。私たちは、生きた信仰を目指しましょう。日々新たにされる信仰を求めましょう。

 イエス様のおことばである聖書を字面だけ追って読んでいては生きた信仰になりません。イエス様のおことばに応答して生かされていきましょう。以下に、応答するみことばの読み方を記します。


 
応答するみことばの読み方

1. 約束に対して・・・・・「私はこの約束をいただけるのですね。この約束を                
              求めます。イエス様、感謝します。」

2. 戒めに対して・・・・・「私はこの戒めを守ることができるのですね。この
             戒めを守ります。」「私はこのようにはなりません。こう
             なる必要はないのですね。感謝します。」

3. 奨めに対して・・・・・「私はこうできるのですね。こうします。ありがとうご
              ざいます。」

4. 罪に対して・・・・・・「この罪を捨てることができるのですね。この罪を捨
             てます。イエス様の十字架の血潮によって赦して下さ        
             い。」

イエス様がほめる信仰

2010-05-30 14:04:33 | 礼拝メッセージ
 イエスは、彼らといっしょに行かれた。そして、百人隊長の家からあまり遠くない所に来られたとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」  
 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」 使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていた。                    ルカ 7: 6~10

 イエス様がほめた信仰を見てみましょう。 
 イエス様は、百人隊長のイエス様に対するへりくだりとイエス様が持っておられる権威を認める心を立派な信仰と讃えました。
 

 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。  
 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。  
 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」  
 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。                              マタイ 15:25~28

 イエス様は、その女性の執拗な願い、祝福に対する貪欲さをほめました。 
 あなたは、イエス様が与えて下さる霊的な祝福に対して「どうしてもほしい」「絶対ほしい」「何が何でもほしい」という貪欲さを持っていますか。
 「今の生活でまぁいいか。少しイエス様に求めてだめたったらそれでいいやぁ。」と思っていませんか。
 イエス様から「りっぱな信仰です。」と言われるような信仰を熱心に求める心がありますか。
 イエス様は信仰のうすい者、不信仰の者を叱責されます。
 
 イエス様は信頼してほしい、頼ってほしいのです。愛なる関係がほしいのです。なぜなら、神は愛だからです。
 イエス様に信頼して、イエス様とともにこの人生の旅路を歩いていきましょう。
 
 

私たちを楽しませてくださる主。

2010-05-23 20:35:51 | 礼拝メッセージ
 講演会Ⅰ  

 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。                     
                                    Ⅰテモテ 6:17

 イエス様は、私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる方です。そのことを信じて求めましょう。求めなければ与えられません。どんなことでもイエス様に聞いていきましょう。
 

 講演会Ⅱ  

 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。
 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。                エペソ 1:15~19

 イエス様は、私たちに神様を知るための知恵と啓示の御霊を与えて下さる方です。聖霊様によってみことばを知り、自分のなすべきこと、相手に対する対応の仕方を教えていただきましょう。
 

 特別学び会  

 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
                                       ピリピ 4:19

 イエス様は、私たちに必要なものすべてを与え満たしてくださいます。全宇宙を所有しておられる御方が、その全所有物を用いて満たして下さいます。主に貪欲に求めて満たしていただきましょう。


 礼拝メッセージ

 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。
                                    ヨハネ14:16,17

 イエス様は、あなたを助けてくださる助け主です。そして、もうひとりの助け主は、聖霊様です。聖霊様は主を愛する人を助けてくださいます。


 講演会Ⅲ

 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
                                    ローマ 12:21

 
イエス様を愛し信じる人は、仕返しをしてはいけません。悪の仕打ちを耐え忍ぶ人を聖霊様は助けてくださり、悪を善に変えてくださいます。イエス様に従いましょう。
   

心を砕き、しっかりやりなさい

2010-05-16 19:18:51 | 礼拝メッセージ

 私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。
 長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。  
 これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。  
 自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。                  
                                  Ⅰテモテ 4:13~16

 イエス様は、怠惰な生き方を勧めません。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。」と言われます。
 イエス様ご自身がまず私たちのために全力を尽くして下さいました。
 神の国の福音を伝えるために、みことばを語り、人々を養い、教え、戒め、祝福し、祈り、いやし、枕するところもありませんでした。
 だから、私たちにも全力で愛してほしいと言われます。 

 テモテに勧められていることがらは、次のことです。  

 ①惑わす霊と悪霊の教えに心奪われないように教える。 
 ②神のことばと祈りによる聖めを教える。 
 ③信仰のことばと良い教えのことばを教える。 
 ④空想話を避ける。 
 ⑤敬虔のために自分を鍛錬する。 
 ⑥肉体の鍛錬をする。 
 ⑦ことば、態度、愛、信仰、純潔において模範になる。 
 ⑧聖書の朗読と勧めと教えに専念する。 
 ⑨自分に与えられている聖霊の賜物を軽んじない。  

 これらを継続することによって、自分自身と教えを受ける人たちを救い、益を受けさせることができます。
 自分自身の信仰を吟味して継続することが大切です。途中で投げてはいけません。
 みことばに反する不信仰や間違った教えを口にしてはいけません。

 


自分こそ知者だなどと思ってはなりません。

2010-05-09 19:44:32 | 礼拝メッセージ
 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
 
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」             
                                   ローマ 12: 9~19

 イエス様は、私たち一人ひとりのすべてをご存知です。すべてを知った上で、みことばを語ってくださいます。
 「自分こそ知者だなどと思ってはなりません。」
 「自分は何でも知っている。自分の判断と行動が正しい。」と思っていれば、上記のみことばを読んではいても従いません。
 


 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。  
 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。  
                                    ヨブ 38: 1~6

 主はさらに、ヨブに答えて仰せられた。 非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それを言いたててみよ。
 ヨブは主に答えて言った。 ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。 一度、私は語りましたが、もう口答えしません。二度と、私はくり返しません。
 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
 あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。
                                     ヨブ 40: 1~8

  ヨブは主に答えて言った。 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。
 まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。 どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。
 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。
                                    ヨブ 42: 1~6

 ヨブと3人の友人は主の主権を認めずに延々と議論をしていました。
 主から叱責を受けて悔い改めたヨブは、今まで以上の祝福をいただきました。 
 私たちは、何かを知っているようで知っていません。自分の経験や知識が正しいと思って、自己義を振り回しやすいものです。
 「自分は間違いやすく、みことばを正しく理解できません。主よ私を教えてください。」へりくだってみことばに聞きましょう。
 隣人に対しても、その人の現状と心をくみ取れる人になりたいものです。うわべや状況だけ見て裁かないようにしましょう。

力を落としてはならない

2010-05-02 18:37:07 | 礼拝メッセージ

 すると、神の霊がオデデの子アザルヤの上に臨んだ。
 そこで、彼はアサの前に出て行き、彼に言った。
 「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。
 長年の間、イスラエルにはまことの神なく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。しかし、その悩みのときに、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を尋ね求めたところ、彼らにご自身を示してくださいました。  
 この時期には、出て行く者にも、はいって来る者にも平安がありませんでした。国々に住むすべての人々に大きな恐慌があったからです。  
 そして彼らは、民は民に、町は町に相逆らい、共に打ち砕かれてしまいました。神があらゆる苦しみをもって、彼らをかき乱されたからです。  
 しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。
                             
Ⅱ歴代誌 15: 1~7

 1.みことばの約束 
 ①私たちが主と共にいるならば、主は共にいて下さる。 
 ②私たちが主を求めるならば、主はご自身を示して下さる。 
 ③私たちが主を捨て去るならば、主は私たちを捨て去る。

 2.イスラエルになかったもの 
 ①まことの神(偶像礼拝を優先) 
 ②教師となる祭司(霊的な指導者) 
 ③律法(みことばを重んじる心)

  3.イスラエルにあったもの 
 ①不安 
 ②大きな恐慌
 ③争いと破壊
 ④苦しみと混乱  

 こんな悩みの時、主に立ち返り主を求めたところ、主はご自身を示してくださった。
 何と言う主のやさしさ、憐れみでしょうか。
 彼らの悔い改め(以下の5項目)
 ①偶像を取り除き、主の祭壇の新設:8節・・・・・礼拝の回復
 ②
主の集会への集まり:9節・・・・・信仰の回復、交わりの回復
 ③主への捧げ物:11節・・・・・・礼拝と献金の回復
 ④主との契約:12,13節・・・・・・主との信頼関係の回復
 ⑤主への賛美:14節・・・・・礼拝と賛美の回復
  に、主はご自身を現し、誠実に応えて彼らに安息を与えられました。 

 主は、私たちを励ましてくださいます。
 どんなに世の中が暗く、イエス様に心を閉ざしているように見えても、私たちの働きが無駄なように見えても、主の目にはそうではない。
 「力を落としてはならない。あなたの働きには報いが伴っています。」  


イエス様を愛さない人

2010-04-25 18:10:56 | 礼拝メッセージ
 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。                             ヨハネ 14:15

 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。                          ヨハネ 14:21  

 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。  
 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。                          ヨハネ 14:23、24

 イエス様を愛するとはどういうことなのでしょうか。 
 私たちが良い気分になったり、平安になったり、喜びに満たされることでしょうか。 
 もちろんそれらは与えられますが、本当はイエス様に服従するということです。自分の平安のために求めて行くと必ず不平不満と問題が発生します。
 みことばに帰り、信仰の原点に返る必要があります。
 


 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」 
 ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」 
 イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
                                    ヨハネ 21:15

 ペテロはイエス様を見捨ててしまったことを大変後悔しました。まさに号泣して悔い改めたのでした。復活のイエス様にお会いして、今までのお言葉の真実さが身にしみて理解できました。
 イエス様を信じて、お言葉に従って行こうと決心しました。そんなペテロにイエス様は兄弟姉妹をお任せになりました。
 イエス様は「あなたはわたしの羊を愛しますか。」とも「上手に伝道ができますか」とも「きちんと羊の世話ができますか」とも聞きませんでした。 
 ペンテコステの日に聖霊様をいただいて力を受け、その働きはスタートして行きました。 
 原点は、イエス様を愛することです。
 あなたも私もイエス様を愛することができます。
 イエス様を愛さない自己中心、自己喜ばせ人にはならないようにしましょう。

どこまで付きあうのか

2010-04-18 13:28:16 | 礼拝メッセージ
 ある雑誌に次の文を見つけました。
 『ジョセフ・コンラッドという著名な作家がかつて次のように語りました。「人は、心を奪われてしまった宝から離れることができない」
 また、別の人は、人が(ある対象と)どこまでつき合うことになるかを決めるのはその人の価値観だと言いました。
 ある対象に対して、私たちがどこまでつき合うことになるのか、どれほどのものを注ぎ込むことになるのかは常に、私たちがそれにどれだけの価値を見出すかによって決まるのだというわけです。』  

 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。  
 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。     
                                   ガラテヤ 3: 2,3
 

 私たちは今、何から離れることができないでいるでしょうか。 
 イエス様、聖霊様、聖書(みことば)、祈り、教会、兄弟姉妹、主の集会、伝道、それとも、罪、自分の計画、自分の考え、プライド、仕事、お金、家族、娯楽・・・・・etc  
 せっかくイエス様を信じて救われたのに、ほかのものに心を奪われてしまって、離れられなくなっているものはありませんか。
 御霊によって始まったのに、肉によって満足を得て完成させようと思ってはいませんか。 
 今、不安・不満、満たされない心、喜びのない心になっているとすればへりくだる必要があります。へりくだってみことばに従わなければその不安からは開放されません。  

 それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのためにあかししますが、あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ったではありませんか。          
                                   ガラテヤ 4:15

 私たちは、すべてのものに対して無意識に、瞬時に価値判断しています。自分にとって損か得かを見極めています。
 みことばで何と言われているか、どうするように勧められているかを度外視してつき合い方を決めています。 
 
 ガラテヤの人たちも心からイエス様の使者であるパウロを受け入れて仕えていたのに、みことばから離れた時に、パウロを拒絶し、喜びが失われてしまいました。
 みことばと霊的指導者に従うより、ニセ教師、律法主義の間違った信仰に価値を見出してしまったのです。


 さあ、今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。
『主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの行ないとわざとを改めよ。』
 しかし、彼らは言う。『だめだ。私たちは自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行なうのだから。』と。
                                  エレミヤ 18:11,12


 自分の計画に価値を置くことをやめて、イエス様の前に悔い改めましょう。
 大損をしないために。