しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。 Ⅱ歴代誌 32:24~26
バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。
Ⅱ歴代誌 32:31
先週見たようにヒゼキヤ王は、分裂王国時代にあって主に立ち返った善王でした。しかし、彼は晩年、主の恵みに対して感謝してへりくだるどころか高ぶってしまって自国に災いを招いてしまいました。
主は、ヒゼキヤ王を試みて捨て置かれました。
私たちも主に見捨てられたような状況に置かれることがあります。主に忠実に歩んでいるつもりなのにことがうまく行かない。
そんな時、投げやりになって主に不平を言って不信仰になるか、主の真実さを信じてあくまでも忠実に歩むかで結果は大きく変わってきます。
モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
エステル 4:13,14
エステルは自分の民族を守るために自分の命をかける決断しなければなりませんでした。今、自分がそこに置かれている意義を主の前に確認しなければなりませんでした。「自分の民族を見捨てて自分だけ助かる道か、自分の民族といっしょに滅びる道か」彼女にとって大変大きな試練でした。彼女は信仰によってその試練を乗り越えました。
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
ヤコブ 1: 2~4
私たちの短い人生はいろいろな意味で主によって試されています。
試練は大変いやなことですが、主の前に成長し完全な者となることができる唯一の道です。これを喜びとしましょう。
試練に耐えて徹底的に主に従いましょう。私たちの人生はこの世だけで終わるものではありません。イエス様からたくさんのご褒美をいただけるように歩みましょう。