私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。
エペソ 1: 3~9
私たちは、イエス様によって測り知れない祝福をいただいています。
それは、創造主である神様が天地創造の前から私たちを愛し、救いに選んで下さった恵みです。
①天にある全ての霊的祝福をすでにいただいている。
②天地創造の前から私たちはイエス様にあって愛によって選ばれていた。
③汚れた罪人の私たちの罪を赦して御自分の前に回復させようとされた。
④サタンの子であった私たちをイエス様によって御自分の子にしようとされた。
⑤イエス様の血による贖い、罪の赦しを受けている。
⑥神様の存在や救い主イエス様について奥義となっていたことを知らせてくださった。
⑦天国を受け継ぐ者となった。
私たちは、このようにたくさんの祝福をいただいています。「神様祝福を下さい。」と祈る必要はありません。すでに、いただいているのです。聖書のおことばをありのまま受け入れ、祝福されていることを感謝しましょう。
主に対する罪や不平不満が妨げになっていることがあります。悔い改めて、心の目が開かれるように祈りましょう。
この聖書の箇所でもうひとつ注意することは、あくまでもほめたたえられるべき主体は、父なる神様でありイエス様であると言うことです。祝福をいただいた私たちがほめたたえられるのではなく、神様ご自身、神様の救いと愛の業がほめたたえられるべきです。
すべての中心は父なる神様とイエス様がほめたたえられることであることを忘れないようにしましょう。自分中心に考えないように。
神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。
コロサイ 1:27~29
なんと、神様は私たちの内に栄光のイエス様が内住してくださっていることをみんなに知らせようとされています。私たちは測り知れないお方と祝福をいただいています。その祝福を独り占めしないで受けた光を世に現しましょう。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。
エペソ 1: 3~9
私たちは、イエス様によって測り知れない祝福をいただいています。
それは、創造主である神様が天地創造の前から私たちを愛し、救いに選んで下さった恵みです。
①天にある全ての霊的祝福をすでにいただいている。
②天地創造の前から私たちはイエス様にあって愛によって選ばれていた。
③汚れた罪人の私たちの罪を赦して御自分の前に回復させようとされた。
④サタンの子であった私たちをイエス様によって御自分の子にしようとされた。
⑤イエス様の血による贖い、罪の赦しを受けている。
⑥神様の存在や救い主イエス様について奥義となっていたことを知らせてくださった。
⑦天国を受け継ぐ者となった。
私たちは、このようにたくさんの祝福をいただいています。「神様祝福を下さい。」と祈る必要はありません。すでに、いただいているのです。聖書のおことばをありのまま受け入れ、祝福されていることを感謝しましょう。
主に対する罪や不平不満が妨げになっていることがあります。悔い改めて、心の目が開かれるように祈りましょう。
この聖書の箇所でもうひとつ注意することは、あくまでもほめたたえられるべき主体は、父なる神様でありイエス様であると言うことです。祝福をいただいた私たちがほめたたえられるのではなく、神様ご自身、神様の救いと愛の業がほめたたえられるべきです。
すべての中心は父なる神様とイエス様がほめたたえられることであることを忘れないようにしましょう。自分中心に考えないように。
神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。
コロサイ 1:27~29
なんと、神様は私たちの内に栄光のイエス様が内住してくださっていることをみんなに知らせようとされています。私たちは測り知れないお方と祝福をいただいています。その祝福を独り占めしないで受けた光を世に現しましょう。