特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第425話 あるサラリーマンの死!

2008年08月01日 02時51分01秒 | Weblog
脚本 宮下隼一、監督 天野利彦
1985年7月24日放送

【あらすじ】
勤務先のビルの屋上から、一人の男が飛び降り自殺を遂げた。その報せを受けて、橘は顔色を変える。男の勤務先は、プラント輸出に関わる贈賄が取り沙汰されている総合商社であり、男は橘の説得を受け、内部告発の決意を固めたばかりだった。屋上には遺書ではなく辞表が残されていたことから、橘は男の自殺に疑念を抱く。
屋上への出入りの記録を確認した結果、男は別の階から突き落とされ、何者かが自殺に見せかけるため辞表を屋上に置いたことが判明。特命課は内部告発を阻止するための殺人と見て、経営陣のアリバイを調べる。
そんななか、橘の息子、信一が家庭教師を務める少女が万引きを働いて補導される。所轄署に駆けつけた橘は、少女をかばう信一を説得し、身許を明かさせる。少女の父親は、商社の常務であり、マスコミから「倉田」社長への忠誠ぶりを「チビ倉」と揶揄されていた。「この忙しいときに、お前って奴は!」少女の頬を張り、マスコミ対策に腐心する常務。「忙しいとか、マスコミとか言う前に、親としての言葉をかけてやっては・・・」と諭す橘だが、常務親子の間に横たわる溝は深かった。
少女から「常務が事件当夜に外出した」との証言を得る橘。また、清掃婦の証言で、事件当夜に被害者が自部署で何者かと口論していたことが判明する。被害者は口論相手を「だから『チビ倉』なんて呼ばれるんだ!」と罵っていたという。常務を容疑者として取り調べる特命課。当初は犯行を否定していた常務だが、「チビ倉」証言を聞いたとたん、完全黙秘に転じる。橘は「常務は誰かをかばっている」と推測する。
マスコミから常務に殺人容疑がかけられていることを聞かされた少女は、ショックを受け、交通事故に遭遇。入院した少女を見舞った橘は、信一から「あの子は、自分の証言で父親が逮捕されたって思ってる。人を利用して傷つけるのが、父さんの仕事かよ!」と非難される。常務は釈放されたその足で病院に駆けつけるが、少女から「こんな人、お父さんじゃない!」と罵られる。常務は家庭を顧みずに仕事に没頭し、病床の妻の最期を看取るのも、娘任せだった。失意の常務に、自身の過去を重ね合わせる橘。「仕事というのは、男にとって何なんでしょう?」常務の問いに、橘は答える。「誇りじゃあないでしょうか?貴方が誰かをかばうのも、仕事に対する誇りなんでしょう?」
常務が商社に潰された会社の出身だと知った橘は、常務のかつての同僚を訪ね歩く。職を失った同僚たちからすれば、商社に引き抜かれた常務たち3人は裏切り者であり、やっかみ半分で「チビ倉三羽ガラス」と呼ばれていた。その3人とは、常務と被害者、そして秘書だった。死体近くで発見された社員バッチを証拠に、橘は秘書を逮捕。常務の無実は証明される。同じ「チビ倉」である常務には、会社を辞めて告発しようとした被害者の気持ちも、社長たちに内緒でそれを止めようとする秘書の気持ちも、痛いほど分かり、それゆえに沈黙を守るほかなかったのだ。
橘の説得を受け、被害者に代わって会社を告発する決意を固める常務。親として、人として新たな出発を果たすべく、法廷へと向かう常務を、少女や信一とともに見つめる橘。そんな橘に、神代は3日間の休暇を与え、息子と一緒に長崎への帰省を促すのだった。

【感想など】
仕事一筋に生きる余り、家族との時間を犠牲にしてしまう男たち。家族との絆と、仕事への誇りの狭間で揺れる哀しき男たちを描いた一本。「仕事人間の悲劇」と一言でまとめてしまえば、前話「渓谷に消えた女秘書」と同じテーマと言えますが、今回の方がはるかにまとまっており、特に矛盾点や不明点は見当たりません。しかし、にも関わらず、見ていて何も心に響いてこないのはなぜでしょうか?オカリナというありふれた小道具が陳腐に思えせいなのか?それとも、仕事熱心=家庭を顧みない=家族に恨まれる、という展開が余りにステレオタイプなせいなのか?

同じ男として、あえて常務を弁護させてもらえれば、男が仕事に必死になるのは、決して仕事にやり甲斐を感じているから「だけ」ではなく、家族を養うためでもあるのです。仕事を適当にこなし、家族との時間を大切にするようなサラリーマンが、果たしてどれだけ出世できるか、この娘さんは考えたことがあるのでしょうか?出世しなくても、そこそこ給料をもらえてさえいればいい、という意見もあるでしょうが、娘さんの将来、亡くなられた奥さんの治療費などを考えれば、より高給を得られるポジションを望むのも無理はありません。常務らを「チビ倉三羽ガラス」と蔑んだ方々は、果たして家族を満足させられるだけの収入を得ているのでしょうか?「お金よりも家族との時間を大切にして欲しい」というのは、お金のありがたみを知らない子供のたわごとか、単なる無いものねだりにしか聞こえないのは、私だけでしょうか?

そうした点を考えれば、今回のテーマは「家族の絆」ではなく、「親子間の価値観の相違」と言えるかもしれません。だとすれば、そうした親子の間の溝を埋めるのは、まさに信一君が言っていたように「逃げないで、時間をかけて向かい合うしかない」のでしょう。今回の事件を機に、常務と少女、そして橘と信一君の間の溝が少しずつでも埋まっていくことを、心から祈りたいものです。

2 コメント

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  (鬼親爺)
2008-08-01 10:24:20
2話つづけて、モーレツ社員の悲哀を描いた物語でした。
サラリーマンにたいする当て付けかよ! と思いましたが
まあ結局
男はみな仕事と家庭のあいだを死ぬまで揺れ続けていくしかない生き物なのだ
ということが言いたいのだな、と考えることにしました。
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同感です (袋小路)
2008-08-02 00:04:40
特捜視聴者には多くのサラリーマンが含まれていたと思いますが、その人たちはこの2話を見てどう思ったでしょうか?さぞ身につまされる人が多かったんでしょうね。
とはいえ、仕事と家庭の軋轢から逃れる人が増えているのが、昨今の少子化やニートの増加といった社会問題につながっているわけで、モーレツ社員というものが日本社会にどれだけの恵みをもたらしてきたのか、もう少し考えてあげてもいいかもしれません。
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