特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第434話 悪女からのプレゼント!

2008年09月08日 20時03分29秒 | Weblog
脚本 矢島正雄、監督 辻理
1985年9月25日放送

【あらすじ】
銀行の女子寮で若い行員が自殺を遂げた。「彼女が自殺するはずはない」行員の親友の言葉をもとに捜査を開始する吉野だが、女子寮に出向いたところベテラン行員の女に撃退される。芯の通った女の姿勢に、吉野は惹かれるものを感じた。
その頃、特命課は若い女性に屑ダイヤを売りつけて荒稼ぎするマルチ企業を追っていた。法の網を巧みにかいくぐる手口に、手を出しかねていた特命課は、その資金源を追及。マルチ企業のメインバンクが、自殺した若い行員が勤めていた銀行だと知った吉野は「自殺の原因がマルチ商法に関連しているのでは?」と推測。疑惑を問い質そうと、女にカマを掛けた吉野だが、目の前で泣かれてしまい自己嫌悪に陥る。
吉野は不正融資の証拠をつかむべく、銀行が主催する夏祭りのための阿波踊りの練習に飛び入りで参加。再会した女にお詫びの気持ちを込めて、郷里の父親が送ってきた梨を送ったことをきっかけに、女と接近する吉野。30前の女は「自分には若さがない」と卑下するが、吉野は「貴方は若いし、綺麗だ。これからですよ」と励まし、互いに意識しあうようになる。だが、不正融資の手掛かりがつかめぬことに焦った吉野は、思い余って銀行とマルチ企業との関係を問い質したため、女から別れを告げられる。
そんななか、吉野の父親が九州から予告抜きに上京してくる。それとなく見合いを勧めに来た父親だったが、いつもの通り、意地の張り合いで終わってしまう。
一方、特命課は、女がマルチ企業の社長の情婦だという情報をつかみ、女がマルチ企業と銀行の橋渡しをしているのではないかと睨む。動揺を隠せない吉野は、深夜に女を待ち伏せするが「明日になれば話す」と言った女は、翌日、銀行から姿を消した。支店長にマルチ企業との関係を追及する吉野だが、もちろん何の証拠もなかった。
その間、吉野不在のアパートを女が訪ねてくる。応対した父親の素朴さにほだされた女は、誘われるまま食事を共にし、吉野と父親の仲を気遣う言葉を残して立ち去る。
神代は最後の手段として銀行の本社を動かし、疑惑の支店に対して抜き打ち監査を行う。「貴方の仕業ね」と吉野をなじる女。吉野は改めて行員の自殺の原因を追及するが、女はあっさり「自分がダイヤを売りつけたから」と認め、開き直ったように女性ベテラン行員の悲哀を語る。社長はそんな女に金と結婚をちらつかせ、言葉巧みにマルチ商法に加担させたのだという。
やがて、監査の結果、巨額の不正融資が明らかになるが、本社は「事を荒立てずに処理したい」と支店とマルチ企業の告訴を拒否。その代わりとして、同時に発覚した女の横領を告訴する。「それはマルチ企業の社長に騙されたからだろう!」と憤る吉野だが、マルチ企業の社長は、横領への関わりを否定する。
そして祭りの日、阿波踊りで練り歩く行員の列では、若い行員が人目につく位置に配置され、女を含むベテラン行員たちは目立たぬよう列の中心部に配置されていた。女を連行すべく列に近づく吉野は、見物客の中に父親の姿を発見。女を吉野の恋人と思い込んでいる父親は、帰郷する前に、女の踊る姿を見に来たのだ。横領の事実を告げる吉野に、父親は「踊り終わるまで待ってやればよかろう。そんなこともわからんのか」と叱責する。吉野は女を列の先頭に連れ出し「ここで踊ってくれ。俺の親爺がな、あんたの踊りを見たいと言ってるんだ」と頼む。「あんた、綺麗だよ。他の誰よりも」吉野の言葉に、堂々と列の先頭で踊り続ける女を、父親は満足げに見つめていた。
祭りの後、女はすべてを明かし、マルチ企業を壊滅させることができた。だが、吉野の胸に喜びはなく、深い喪失感だけが残っていた。

【感想など】
失われていく若さを嘆き、周囲の心無い対応に傷つく女心。そこに付け込む卑劣な男もいれば、若さとともに失われぬことのない女性本来の魅力に気づく男もいる。好感・吉野が演じてきた数多くの悲恋ドラマの最後のお相手は、銀行という組織の中で排斥される悲しみを抱えたベテラン女行員でした。「銀行にベテラン女子社員なんていらないの。若くてきれいな女がいればいいのよ」「女なんて年がすべて。職場では、新しく入った若い女ばかりちやほやして、私のようなおばさんには、早く辞めろといわんばかり」30前の女が漏らす本音は、女性ばかりでなく、我々男性の胸にも鋭く突き刺さりますが、正直なところ「だからどうしろと言うの?」という本音も隠せません。

また、こうしたドラマの本筋よりも、次回への伏線として上京してきた吉野の父親の存在感が際立っており、本筋との脈絡の乏しさもあって、どうにも取り留めのない印象が残る一本となっています。母親の名を借りて吉野に梨を送る父親と、父親の名を借りて母親にプレゼントを贈る吉野。似たもの同士の親子の姿が微笑ましいだけに、本筋との乖離が残念に思われてなりません。

父親の存在を抜きにしても、事件の推移とドラマの展開とで時系列が錯綜しているように感じられ、吉野と女の感情の動きが把握しづらいことが気になりました。脚本の問題なのか、演出の問題なのか、それとも両方に問題があるのか、いずれにしても、一気に見てしまった次回の吉野殉職編の印象が強く、あえて深く考察する気力もありません。ただ、一つはっきりしているのは、あらすじで省略した(と言うより抹殺した)被害者の親友の拙すぎる演技がすべてを台無しにしていること。ストーリー的にもあまり意味のない人物なので、編集時にばっさりと消せなかったものかと(もちろん無理だと判っていますが)思ってしまいます。