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松村直登のブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」
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〒979-0401福島県双葉郡広野町大字上北迫字岩沢29-38
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皆様、ご支援をよろしくお願いいたします。
NO748
昨日、朝早く起きて富岡に向かった。
松ちゃんの所に着いた時、彼の所には大事なお客様が見えていて、彼も忙しそうだったし僕は浪江に向かった。
震災後、浪江に何度か行った事があるが、津波被害の大きかった請戸漁港に初めて行った。
大勢の方が亡くなっていて嫌だと言うか?娘の高校の同級生も亡くなっていて、請戸に行く気になれなかった。
しかし、昨日は行かねばならなくなった。
そこで見た請戸の姿に凹んだ。
あれから4年が経つというのに見渡す限り広がる吹きさらしの荒野。
戦争で空爆を受けたような請戸の姿に愕然とした。
家の土台のコンクリートのみがずっと続く姿。
半壊したコンクリートの建物などなどがそのまま残されていた。

あちこちに横たわる船の姿。
今もあの時のままだ。
おそらく船主がいなくてこのままなのだろう。

喪失感からか?一気に気持ちが沈んだ。
港に停泊するべき船が何艘も陸地に傾きながら佇んでいる。
異様な光景に言葉がなかった。
あれから4年だ!それでこれか・・・。
復興・復興って言うけど、線量が低い浪江の請戸がこの姿か・・・。
もう、4年が経とうとしているのに・・・。
何処に復興があるものか!と苛立だった。

僕は車を走らせ請戸に来た事を後悔した。
見に来なければ良かった。
本当に茫然とした。
そして力が抜けた瞬間だった。
昨日は一日嫌な気持ちでいたが、請戸の姿を見てあの時の津波の大きさ、怖さを同時に知った。
あの津波は一つの町を壊滅させた。

石碑が無くなったお墓ばかり。
お天道様に文句は言えないが、明るさがやけに気になった。
違う!青空じゃない!ここはもっと多くの雲で覆ってくれと・・・。

津波で一家全員お亡くなりになったのか?
修復されず集められた石碑は横になり並べられたままだった。
浪江にはとても良くしてくれた伯父、叔母がいて好きな町だった。
以前勤めていた会社の本社が浪江にあった。
だから余計に思い入れがあるのは認めるが・・・。
浪江の友人が「来年、仙台に引っ越す予定なんだ」と言い、引き留めようとしたが、「町はもう復興しない。娘が仙台にいるから、そこで家族みんなで暮らすよ」と。
浪江もみんなが帰って来ない町になったのか?と思うと、沸々と込み上げるものがあった。
国に対してなのか?
誰にもぶつけられないやり場のない怒り?
僕は抑えるように、これが4年目を迎える浪江町の請戸の姿なんだと自分に言い聞かせた。
多くの犠牲者が出た福島県双葉郡浪江町請戸地区。
今も深くて鈍い痛みを抱えているような気持ちです。
まだ見つかっていない行方不明者の方も多いと思います。
浪江町民の方には、もっと辛い気持ちでおられる方がたくさんいる事と思います。
僕は今、震災でお亡くなりになった浪江町の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
合掌。
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震災後、浪江に何度か行った事があるが、津波被害の大きかった請戸漁港に初めて行った。
大勢の方が亡くなっていて嫌だと言うか?娘の高校の同級生も亡くなっていて、請戸に行く気になれなかった。
しかし、昨日は行かねばならなくなった。
そこで見た請戸の姿に凹んだ。
あれから4年が経つというのに見渡す限り広がる吹きさらしの荒野。
戦争で空爆を受けたような請戸の姿に愕然とした。
家の土台のコンクリートのみがずっと続く姿。
半壊したコンクリートの建物などなどがそのまま残されていた。

あちこちに横たわる船の姿。
今もあの時のままだ。
おそらく船主がいなくてこのままなのだろう。

喪失感からか?一気に気持ちが沈んだ。
港に停泊するべき船が何艘も陸地に傾きながら佇んでいる。
異様な光景に言葉がなかった。
あれから4年だ!それでこれか・・・。
復興・復興って言うけど、線量が低い浪江の請戸がこの姿か・・・。
もう、4年が経とうとしているのに・・・。
何処に復興があるものか!と苛立だった。

僕は車を走らせ請戸に来た事を後悔した。
見に来なければ良かった。
本当に茫然とした。
そして力が抜けた瞬間だった。
昨日は一日嫌な気持ちでいたが、請戸の姿を見てあの時の津波の大きさ、怖さを同時に知った。
あの津波は一つの町を壊滅させた。

石碑が無くなったお墓ばかり。
お天道様に文句は言えないが、明るさがやけに気になった。
違う!青空じゃない!ここはもっと多くの雲で覆ってくれと・・・。

津波で一家全員お亡くなりになったのか?
修復されず集められた石碑は横になり並べられたままだった。
浪江にはとても良くしてくれた伯父、叔母がいて好きな町だった。
以前勤めていた会社の本社が浪江にあった。
だから余計に思い入れがあるのは認めるが・・・。
浪江の友人が「来年、仙台に引っ越す予定なんだ」と言い、引き留めようとしたが、「町はもう復興しない。娘が仙台にいるから、そこで家族みんなで暮らすよ」と。
浪江もみんなが帰って来ない町になったのか?と思うと、沸々と込み上げるものがあった。
国に対してなのか?
誰にもぶつけられないやり場のない怒り?
僕は抑えるように、これが4年目を迎える浪江町の請戸の姿なんだと自分に言い聞かせた。
多くの犠牲者が出た福島県双葉郡浪江町請戸地区。
今も深くて鈍い痛みを抱えているような気持ちです。
まだ見つかっていない行方不明者の方も多いと思います。
浪江町民の方には、もっと辛い気持ちでおられる方がたくさんいる事と思います。
僕は今、震災でお亡くなりになった浪江町の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
合掌。