9月1日から、当地では新米の出荷が始まる。全国で新米の出荷が始まれば、とりあえず米不足は解消するかもしれない。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6157746.html
だが、中津川市の米作農家の平均年齢は、たぶん80歳に近く、もう昔ながらの手作り農業は体力的に無理なので、農協の「機械化青年団」に委嘱して「作ってもらう」スタイルをとる農家が大半になっている。しかし、後継者はあまりいない。
https://no-chi.com/agriculture-agent/
https://losszero.jp/blogs/column/col_268
全国の農家平均年齢は68歳になっているが、私もこの年齢を過ぎてみて、「年をとる」ということが、どれほど残酷なことかを散々思い知らされている。
竹中平蔵が、「日本国民を90歳まで働かせる」と言っているが、冗談じゃない。人間がまともに仕事できるのは、せいぜい60歳までなのだ。
https://www.smartnews.com/sp/4603489835871641356?placement=article-preview
私の場合は、もしかしたらアルツハイマーの初期症状なのかもしれないが、とにかく物忘れがひどい。このブログを書いてから数分後に、自分が何を書いたのか思い出せなくなってしまうほどだ。
こんな私を無理矢理、工場労働に駆り立ててみても、ミスの連続で障害になるだけだろう。
肺線維症を患っているせいもあるが、日課にしている1時間半ほどののろのろ山歩き以外、自宅の草刈りなんか、まるで手がつかないので、完全に幽霊屋敷になってしまった。周辺の住民は、怖がって寄り付きもしない。
息切れのため、洗濯や洗い物を一人でこなすのが精一杯で、部屋の掃除もままならない。おかげで寝ていて得体の知れない虫が室内を徘徊して、私の体を食べにくるのだ。べープリキッドで撃退しているが、間質性肺炎には良くないことがわかっている。
朝起きたとき全身が痛い。体が痛むので少しでも動きたくない。まさか老人になるということが、これほど辛いことだとは思わなかった。
今の若者たちも、いずれ老人になる現実と向き合ったほうがいい。それは、とても残酷なことなのだ。
歩ける内は辛うじて生きていられるが、歩けなくなったとき、人生は終わる。一人暮らしだから、誰にも気づかれずに、腐敗して白骨化するのだろう。
若い頃、こんな人生の終末を誰が予想するだろう?
そもそも、人間は一人暮らしをするようには設計されていない。20名前後の集団になって、助け合って生きてゆく「部族生活」の生物だったのだ。
人類史の初期には、必ず母系氏族社会が成立する。それは「母親の子」しか特定できなかったので、乳を与える母親の力が圧倒的に強くなったのだ。
部族生活では、誕生も死も、部族全体で吸収し、問題を解決してゆくように設計されている。生も死も他人事ではなく、みんなで共有される運命という意味だ。
その共有された思想は「利他主義」である。今の資本主義=新自由主義は、究極の「利己主義」といっていい。
利己主義の上に部族生活など決して成立できない。だから、みんなが本当に生き続けてゆける社会があるとすれば、それは利他主義を共有した社会である。
日本社会は、縄文時代から数千年~数万年の長い間、利他主義を共有する社会だった。日本国家と国家権力が成立した平安、鎌倉の時代には、部族=共同体のなかで生きる社会システムが確立していた。
そのときの共同体は、十数名で守る「部族=家」という共有された概念=価値観だった。
縄文時代=母系氏族社会は、奈良時代まで来ると、やがて男系家父長制社会へと遷移していった。その理由は、人口が増えて、自然採集に依存できる条件が小さくなると、食料不足から必然的に部族間の縄張り争いが起きる。このとき力の強い男性が有利になり、やがて部族の支配権が強い男性に移っていくからだ。
男系氏族社会が成立すると、大きな家が建てられ、家父長夫妻がいたものの、十数名の男女には一夫一婦制結婚という束縛はなかった。多夫多妻制だったのだ。
しかし、家父長だけは、自分の子を特定して権力を継承させたいため、妻を性的に束縛しようとし、他の女から独立させた。また妾を作りハーレムに仕立てた。
秀吉、家康の時代、長い共同体経験の上に、「五人組」という制度が作られ、10~20人くらいで連帯して生きてゆくシステムだった。
五人組ごとに寺が作られ、葬祭や教育を担った。また中央権力の末端機関の役割もあった。
それは明治になっても続き、戦前まで日本社会には「結い」「隣組」という共同体システムが生きていた。それは農業にあっては労働力の助け合いであり、家も共同で建て、冠婚葬祭も共同だった。
「村八分」というのは、そんな共同のうち葬儀を除いて縁を絶つものだった。
西日本の九州、山陽道や関西などでは、弥生文化(照葉樹林帯文明)から受け継がれた「夜這い」習慣があり、娘たちは「夜這い部屋=にじり戸のある茶室」に寝て、地域の若者たちの性欲を受け入れた。
産まれた子の父親を指名する権利は娘にあり、断れば村八分にされ村から追放されることになった。
基本的に、夜這い社会では子供は誰の子か分からないので、集落全体の子供だった。 いまでも、山陽道の80歳以上の人の父親は厳密に特定できない。だから必然的に特定できる母親の力が大きく、西日本では、母系氏族社会の痕跡を残した地域が多かった。
だが、権力を持った男は、自分の子供を特定して、我が子に権力と資産を継承したいと考えるので、ハーレムを作り、妻や妾を囲って貞操を要求する。それは武家社会にあって、家と名を重んずる習慣から生まれた家父長制=封建社会の伝統である。庶民には、そんな思想はなかった。
明治期、近代資本主義が勃興すると、資本家は労働者に工場勤務に都合の良い家族形態を求めた。転勤のためには、部族的生活、大家族の一員では困るので、小家族生活を求めた。これで人々は、所属する共同体、大家族から引き離され、都会の小家族スタイルに変化していった。
資本主義は、民衆に孤立化を求めた。その方が団結して争議を起こしにくいからだ。
日本社会から、資本主義とともに共同体・大家族が失われていった。
戦後、農村でも「結い」システムが結びつけていた絆が弱体化していった。そして、「金がすべて」という資本主義の原理が、農村にも浸透していった。
人々は労働の助け合いを失い、代わって機械化農業が浸透してきた。
「金にならないものは排除する」という新自由主義の論理が農村にも浸透したのは、竹中平蔵が日本に、新自由思想を蔓延させた2000年前後のことだ。
竹中平蔵の新自由主義思想が自民党を席巻してからというもの、何もかも合理化、効率化し、金にならないものは廃棄、淘汰という思想、政策が全国に浸透していった。
地方が生きるための命綱である公共交通機関が次々に「採算がとれない」という理由で廃止され、おまけに老人たちは事故多発を理由に、運転免許まで取り上げられることになった。
高額なタクシー料金を払えない老人たちは、結局、都会の施設に収容されるしかなくなった。
私も、中津川市に2003年移住して、当初、日10本あったバス便が、だんだん減ってゆき、2020年には廃止されてしまった。日8便を切ると、もう利便性が失われ、バスの利用価値がなくなってしまうので、日10本は生命線といっていい。
10本を維持するためには、公的な援助が不可欠だが、自民党は金にならない地方の利便性に協力はせず、廃止の道を選んだ。
それは「地方を切り捨て、殺す」という政策でもあった。
自民党の新自由主義思想によって、過疎の地方は次々に「殺されて」いった。
農業も見捨てられ、農業従事者の平均年齢は80歳に迫り、今や、企業的な機械化青年団に委嘱するしか稲作を続ける道がなくなった。
高額な委嘱料を支払えない農家は廃業するしかなくなった。
このことが、冒頭に書いた「米不足」の背景にある。米不足の本当の原因は、自民党による地方切り捨ての思想なのである。
稲作農業は、例え機械化したとしても相当に苛酷な重労働である。それを担えるのは、20~60歳くらいまでだ。60歳を過ぎると「老骨に鞭を打って」という表現になる。
だから、日本の稲作を守ろうとするなら、政府が若者たちを農業学校に集めて教育し、農業共同体で生産し給与を支払うという形しか生き延びることは不可能だ。
だが、自民党政権(もちろん維新、公明、立憲も)、新自由主義思想に洗脳されてしまっているので、合理的でない効率的でない農業など廃止すべきだと思っている。
だが、農業は、国家を守る礎なのだ。米を作る能力は、国も守る防衛政策の基本に必要なのである。武器だけが国を守るわけではない。人々の生活を守るすべてのシステムが有機的に結合し、総合力として国力を産み出している。
主食を作れなくなった国がどんな運命に至るのか? それは外国の食料に依存するシステムになるのだが、最近では、小麦グルテンの毒性が問題になっていて、米食の方が健康上優れている事実が明らかにされている。
日本国家を本当に守ろうとするなら、米作システムを守らなければならず、それは地方の過疎地帯の人々を守るということなのだ。
今、自民党政権は日本民族を日本から追放する政策を行っているので、続々と外国人が流入している。そして過疎の地方を破壊する政策を強力に進めることで、実は大都会の生活も危うくしている。
地方の農業学校どころか、人口減少と荒廃に任せているのが政権与党である。
それは、竹中平蔵の新自由主義思想から必然的に導かれる政策である。
まずは、竹中平蔵を日本から追放しなければなるまい。