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夢を追い求めるのはいいんだけど……

2024年01月26日 | これから何が起きるのか?

 この数日で気になったニュースは、「空飛ぶバイク」の破産。

  “空飛ぶバイク”の開発会社が破産… 元社員が明かす開発の実態「見た目を重視して高コストになってしまった」「自転車操業だった。頂いていたお金をどんどん使って、あとがなくなりつつあった」2024/01/25
  https://times.abema.tv/articles/-/10111737?page=1

 私は、人類の未来を奪うことが明らかな原子力発電に幻想を抱く人が、なぜ、これほど大量に出現し、その究極の愚かさを理解できない人が多いのか?
 について、この数十年考え続けてきた。
 そして、「先端技術」への夢が、人間の何から生まれるのか? について、ある結論に達していた。

 それは、誰もが思うこと……見栄張り競争だ。
 幼い頃から、幼稚園時代から、お絵かきだ、かけっこだでランク付けされて、競争主義を骨身に洗脳されてしまった若者たちは、「他人より秀でる」ことに一種の強迫観念を抱いている。
 「他人より劣ることは悪だ!」と強烈に思い込まされている。

 男は、車やバイクや学歴、スポーツで他人より上でなければならない。女は美しさやスタイルで他人より秀でて注目を集めなければならない。
 若者たちにとって、人生のすべてが競争なのだ。

 資本主義のメーカー、事業者は、そんな「他人より秀でる」ことに憧れる若者たちの競争心理に食い込んで、「より凄いもの」を宣伝し、金儲けに結びつけようとしている。
 車でもバイクでも、学歴でも職業でも、スポーツでも、「このアイテムを使えば、他人より序列が上になれますよ」と心のコンプレックスにささやきかけて、商品を売りまくる。

 資本主義の競争社会では、すべての商品が、「他人より秀でる」ためのアイテムでなければならない。女性の場合は、化粧品やバッグや靴や洋服のブランド化で、それを持っていなければ小馬鹿にされるのだ。
 今の女性の大半が、女性の衣類やバッグで、相手に無言で序列をつけようとする。繁華街は、序列の戦場なのだ。

 「グッチやエルメスでなければ嘲笑される」。持っていれば勝ち組だ。
 だから、食事を節約してでも、ブランド品に憧れる。
 たまに田舎から出てきて化粧の下手な女性を見つけたなら、大喜びして無言であざ笑う。無意識のイジメ文化が根付いてしまっている。

 男の競争意識は、さらに厄介だ。
 容姿、成績、学歴、蓄財、車、バイク、権力、妻の美貌スタイル、と世間は、最上位に向かって競争をさせる情報ばかり宣伝し、洗脳しようとする。
 だから、若者たちは競争と比較に過敏になってしまって、一定の水準を定め、それよりも落ちこぼれることに強い恐怖心を抱くようになる。

 なかには、たいして劣ってもいないのに、自分が劣っているのではと悲観して自殺する者も後を絶たない。それは、幼い頃から、親や教師など周囲の人間が比較選別の価値観を強要して過敏になっているせいだ。

 男は、他人より秀でなければならない。秀でている証拠を示さなければならない。
 高い学歴を得て、他人から優秀と思われ、そんな自分にふさわしい仕事をして、世界の最先端をゆく成果を上げなければならない。
 だから競争社会の勝ち組になっている者たちは、「最先端」という言葉に、強い憧れを抱く。

 近寄りがたい崇高な権威を持っていて、もの凄い成果が期待できる最先端の仕事、世界を圧倒できる神秘的技術、そんな幻想を若者たちに与えてきたのが原子力やロケット開発、スパコンなどの分野だ。
 そんな分野に関わっていれば、他人から尊敬されて優越感に浸れるのではないか?
 「私は原子力産業の一員だ」と言えば、世間から尊敬される。
 おまけに、それは戦争になったときでも、圧倒的な武力で君臨できる性質のものだ。

 ちょうど90年前に、陸軍皇道派が「世界に冠たる日本」という幻想に酔いしれて、世界の盟主になるべく、東アジア全域に侵略を始めた。
 このとき、昭和恐慌で戦争資金のない日本で、金を生み出す打ち出の小槌として麻薬が選ばれた。
 北京近くの通州という日本軍基地で生産されたものは、アヘンではなく、ヘロイン・モルヒネ・コカインなど最先端の麻薬だった。
 当時の軍人たちも「最先端」と聞けば、飢えた豚のように食らいついたのだ。

 麻薬でボロ儲けした金が太平洋戦争の4000兆円という軍資金の主力になった。もちろん、国民に戦争資金の供与を求め、巨額の国債を発行した。
 敗戦とともに円の価値は数百分の1以下になり、すべての紙幣、軍札や国債が紙屑に変わった。

 それは、競争心から生まれた夢を実現しようとしたことが、どんな結末を迎えるかの残酷な教訓になるはずだった。
 広島、長崎に原爆が落とされ、瞬時に50万人の命が散った。後遺症で死んだ人も含めれば、その倍だ。太平洋戦で死んだ日本人の総数は400万人ともいわれる。

 だが、競争心に洗脳されきって岩石のように強固な国家主義ナルシズムに浸っていた「優秀な」指導者たちは、敗戦の累々たる屍を前にしても心を動かされることなく、逆に、これほどの威力で大量殺戮ができる新兵器に陶酔した。
 「自分たちも核兵器を持ちたい……持たねばならない」

 太平洋戦争を引き起こした国家主義集団の中心にいた岸信介や正力松太郎は、敗戦後、コロッと立場を翻し、アメリカのスパイになって戦後政権の中核に入り込んだ。
 そして、究極の核兵器を自分の手にしたいという夢に向かって驀進した。
 それが、この二人が日本に持ち込んだ核開発、原子力発電である。
 
「原子力発電」という言葉は、正力や岸にとっては、核兵器を意味したのだが、これを自前で作るには、たくさんの核技術者を育てる必要があった。そこで、民生用=平和利用という言葉で国民を欺し、本当は核兵器を目的にした原子力発電産業を作った。
 国民には、「原子力が明るい未来を作る」という虚偽を宣伝した。

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 放射能汚染されて人々が住めなくなった街に残された、この看板は原子力の本質を端的に示すシュールな象徴だったが、国は、あわてて撤去した。
 だが、この光景は人類の負の遺産を直視できる大切なモニュメントとして未来永劫、残されるべきものだった。

 競争主義に洗脳されきった若者たちにとって、原子力、ロケット、スパコン、最先端の技術という言葉は、自分の人生を飾り、他人が羨む未来を保証してくれるように見えた。
 だが、その正体は、「人類の未来を滅ぼす悪魔の技術」であることを、福島第一原発事故が端的に示してみせたのだが、未だに若者たちの多くがそれを理解できない。
 また原子力産業という国家規模で莫大な予算がつぎ込まれる利権に寄生した者たちは、この利権=おいしい汁を決して捨てようとはしなかった。

 フクイチ事故で、50万人以上の人々が彷徨える民となって生活と財産を奪われ、事故から13年を経た今でも、数万人の人々が放射能汚染された故郷に帰れないという現実のなかで、大間原発や上関原発が新たに建設され続け、フクイチ事故で停止した54基の原子炉を次々に再稼働させている。
 あの小林麻央の悲劇を生み出した柏崎原発さえ、震度6の被害に遭いながら再稼働の準備が止まっていない。

 2011年3月の東電福島第一原発事故で何が起きたのか? 2023年03月11日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6020797.html

 なぜ原発に反対するのか? 2023年03月02日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6018441.html

 https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12804229452.html

 このまま若狭の15基の原子炉(5基稼働)が運転を続ければ、やがて能登巨大地震と同じ日本列島断層の巨大地震が、若狭に発生することは確実であり、運転60年の超老朽化原発が破壊されてメルトダウンに至り、放射能汚染によって京都や福井、鳥取という土地が恒久的に住めなくなることが明らかなのに、たった今も、再稼働と運転が続いているのだ。

 このような愚かな暴走が何から産み出されているのか? といえば、それは、見栄張り社会の競争教育からだ。戦前の皇道派とまるで同じで、自分たちは世界に冠たる民族という虚栄心を求めて、人類滅亡に向かってひた走り続けているのである。
 彼らは日本人の未来、子供たちの未来などに、何一つ関心はない。
 ただ、原子力に寄生する自分の利権と虚栄心を満足させたいだけだ。日本を滅亡させるより、競争社会での虚栄心を満足されることの方が価値が高いのだ。

 そして核兵器の惨禍を受けた世界で唯一の日本で、核兵器製造が秘密裏に行われている。
 すでに40トンという世界最大量の無用なプルトニウムを蓄積しているのだ。これが核兵器に使われなくて、何に使われるというのか?
 純度が低いから核兵器にならないという詭弁は真っ赤なウソだ。プルトニウム239が60%の原子炉級でも、十分に破局的核兵器を作ることができるということが証明されている。

 我々は、フクイチ4号機で、事故時にプルトニウム富化作業が行われていた疑いの強い証拠を持っている。
 そして、日本政府が、能登地震で、ボランティアを追い返し、台湾救援隊を追い返し、メディアの上空飛行を止め、あらゆるドローンの飛行を重罰付で禁止し、志賀原発周辺の20基のモニタリングポストが不可解に停止した事態を見て、もしかしたら志賀原発でもプルトニウム富化が行われていたのではないかと強く疑っている。

 それは、核分裂が停止していて、あるはずのない中性子が検出されたなら確実だ。
 だが、中性子や使用済み核燃料のセシウム137に関する測定情報はない。国が必死になって測定させず、隠蔽し続けているのだ。
 プルトニウム富化というのは、劣化ウランに原子炉の中性子を間欠的に当てて、プルトニウムの純度を上げてゆく作業である。

 プルトニウム239の純度が93%を超えれば、容易に核ミサイルを製造できる。
 なぜ純度が必要かというと、プルトニウム240という副産物を7%以下に抑制しないと、核爆弾が暴走する可能性があるからだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0240

 彼らは、普通の人が手を出せない神秘的で困難な技術を扱う立場にいることで、他人に対する優越感に浸っている。
 核開発やロケットを扱うことで、自分が「優れた人間」という資格を与えられたように勘違いしている。
 そんな劣等感に苛まれた人たちが開発する技術が何を産み出すのか、冒頭に紹介した「空飛ぶバイク」の倒産が端的に示している。

 【元社員に話を聞くと、「私が知る限りではスポーティーな感じ。かなり見た目を重視しているがために加工費がかかるとか、そういった面で高コストになってしまった。ダサくてもいいから実用的で途上国の人でも買えるようなものという思想で作っているのであれば、全然違う形でもっと安く作れた」と説明。】

  こんな証言を聞くだけで、開発者や首脳陣の「優越感」志向が鮮明になっている。
 彼らはかっこいいもの、優越感を抱けるものを目指していた。だから現実のニーズを拾えずに失敗したと語っている。
 日本のすべての自動車企業も、「貧しい人々の役に立ちたい」と願った豊田英一郎・章一郎や鈴木修がトップであったうちは、労働者も心意気に賛同し、全社一丸となって進むことができた。

 ところが、競争心を利用しようとした、張富士雄・奥田硯がトップに立つと、レクサスブランドを立ち上げ、利益最優先で、金儲け至上主義に陥り、労働者の共感を失って、衰退を始めた。
 資本主義が金儲けだけを目指して成功するというのはウソだ。人間社会では、組織のなかで共感と連帯がなければ決して前に進むことはできない。
 
 原子力開発も同じだ。それは民衆の幸福、子供たちの未来のために行われるものでは決してない。開発者、企業の金儲けと優越感のために行われていて、人類の未来に寄与する姿勢など微塵も存在しない。
 人々の共感を得られない原子力産業に未来は存在しないのだ。

 それは悪魔に乗っ取られ、やがて日本という国と人々を滅亡させる結果を招くことしかできないのである。