リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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弱者に優しくない自動車社会。

2011年12月23日 | Weblog
先日のことだが自動車の追突事故をおこしてしまった。

雪こそ積もっていないが解氷スプレーなどで窓についた霜を落とさなければならない寒い冬の朝。
疲れ気味のところに車で1時間以上かかる遠方の病院への出張の日で、いつも通っている道が工事で通行止めであり大幅にまわり回り道をさせられてイライラしていた。

事故は田舎道の狭い道から優先車線への非常に見切りの悪い交差点でおこった。
狭道からの進入経路の左右に建物があり、右はカーブで10mくらい先までしか見通せない。
左側も少し先にある橋から下り坂となっており橋の向こう側は見えない。

そんな条件のもと交差点を鋭角に右折しなければならない状況だった。
結局頼りになるのはミラーしかないのだが、通勤時間の朝の時間はスピードを出した車がどんどん通る。



ミラーの中にゴマ粒のような車が写っていたので左の道から車が来るのはわかっていた。
右から車が来る前にタイミングを見て左から来る車の後ろに入ろうとしてハンドルを切った瞬間、何かに接触した。

一瞬、何が起こったかわからなかった。
次の瞬間、前の車が民家の垣根に突っ込んでいた。
前の車の運転手が「かんべんしてよ。」と車から降りてきて、ほっとした。

車はどちらもかなり傷ついたが、速度差が小さかったことと庭に垣根があったおかげか幸いなことにどちらもほぼ怪我はなかった。
車が2台続いてきているのに気づかず、曲がるのが早すぎて後ろの車にぶつかったようだ。

現場検証など事故の処理に時間がかかるため、職場に連絡して予約の外来患者さんには他の先生に薬のみ出してもらい対応してもらうなどのことを頼んで休みにしてもらった。
現場検証に来た警察官の「好きで、事故を起こす人はいないでね。」という言葉に救われた。
通勤の時間帯のあとの時間帯はいろんな事業所のディサービスの送迎などの車が多かった。

JAFを呼び、相手の車を道へ引きずり出して修理工場へ。
自分の車はバンパーはわれ傷ついたが一応は自走できたので、いったんそのまま帰宅。



車が庭に突っ込んだ家の持ち主によると左側の建物がたってから見通しがわるくなり、交差点内の事故は結構あり2ヶ月前にも事故があったらしい。携帯電話が普及する前は事故を起こした人が電話を借りたいとよく言ってきたそうだ。
そんなことがあったので行政の道路課に「庭を買い取って道路にして欲しい」といったが断られたこともあったようだ。
確かに不注意ではあったが、過去にも同様の事故が繰り返し起きているのであるならば事故多発地帯であり行政の怠慢といえなくもない。

後で通ってみると優先道路の方にはどちらの側にも注意を促す看板はでていたがそれで解決になるとは思えない。
見切りは左右ともにわるくカーブミラーは小さく2つのミラーのどちらをみていいか一瞬とまどった。
(※これは広汎性発達障害や高次脳機能障害の根本にあるローテーションイメージの障害、ゲルストマン症状であろう。)
とはいえ信号をつけるほどの交通量はないのだろう。
今後はこの道はなるべく通らないようにしようと思った。

双方にほぼ怪我がなかったのは不幸中の幸いであった。

道路を管理する行政にもせめてミラーを大きくしたりできないか訴えておこうと思う。
どのように訴えればよいのだろうか?

保険はかけてあるとはいえ実際事故を起こしてみてかなりストレスな事がわかった。
加害者でも被害者でも事故をきっかけに「うつ」になり精神科をかかる人は結構いる。

なるほどVIPは運転手付きの車に乗るわけである。
そういえば臓器移植で有名となった出身大学の教授も行き帰りは妻が送り迎えしていると聞いた。
事故を起こしても対応は運転手に任せてタクシーを呼んで目的地へ向かえる。(人道的にはともかくとして・・)

すでに地方は公共交通機関は衰退し、交通機関の多様性は失われてしまっている。
町営などのバスは1日数本。
デマンド交通の成功例といわれている「あずみん」も呼んで車で30分かかる上、夜間や休日は稼動していない。
田舎ではタクシーに10分、20分乗るだけでも数千円になってしまう。
車にのれないと通勤もできず、かなり不便だ。
障害のため車にのれない人は移動の自由もままならない。

数少ない公共交通機関を待つことのできる時間的余裕のある人、車で送迎してくれるような家族や人間関係のある人、あるいは自由にタクシーが使えるくらいの金銭的な余裕がある人はいいのだろうが・・。

精神疾患や認知症になり車の運転を辞めるようにいっても、「運転を辞めるくらいなら死んだほうがましだ」という人もいる。
また生活保護では自動車の所有や運転は原則認められない。
自動車の資産的価値というより、維持費や事故の時の対応などの大変さから認められていないのだろう。

しかし昨今、通勤の足がなければ、仕事を見つけるのも大変である。

農家で職住接近、自給自足的な生活をおくっていたときは街にはたまに買い出しにいくくらいだったのであろう。
しかし、兼業農家がほとんどで毎日の通勤などに車を使うようになり、朝夕の大移動がおこる。
高校生は自転車とローカル線である大糸線での平行移動だが、冬などは駅まで送迎している親も多いようだ。

3月11日の大震災の後、当地でも一時的にガソリンが供給不足となり、数日間ではあったが売り切れとなったり給油は一人10lまでなど制限がかかった。
自転車で11kmほどの通勤をしてみたが、天気のいい日はいいが毎日は大変である。
電車の駅から徒歩、自転車圏内に住んでいればよかったとつくづく思った。

自動車社会というのはつくづく弱者には優しくない。
ハイブリッドや電気自動車、燃費のいい車に乗り換えることがその解決方法ではない。
神戸で地域リハビリテーションを推進されていた澤村誠志先生は「公共交通は人権である」とおっしゃっていた。

・職住接近し時間的に余裕をもった生活をすること。
・生活に必要な施設がコンパクトに集まった市街地に集まって住むこと。
・交通機関の多様性を取り戻し、弱者への移動手段を保証すること。


社会としてこういったことを考えていくことが必要なのだと思う。

運転免許をめぐって・・・。