リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
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健康と福祉のつどい

2007年02月04日 | Weblog
南佐久地域の各町村では農閑期のこの時期に健康福祉祭りが開催される。

本日は地元、臼田の『健康と福祉を考える集い』だった。
臼田町も合併して佐久市の一部となってしまったが、地元や病院の熱意で引き続き行われている。

JAや病院、福祉施設、宅老所などの福祉事業者、婦人会、などなど地域のいろんな団体がブースとステージをだしてのお祭りだ。

地元だけあって病院関係者も多数参加。

信濃の国のロックバージョンやフラダンス、劇など盛りだくさん。
いろんな食べ物でおなかも一杯。
東洋医学研究所の針や灸も初体験。

あとは医療相談コーナーに詰めていた。


(三浦佐久市長)

それにしてもみんなびっくりしたのは冒頭の開会式での佐久市長のあいさつ。

いきなり『在宅介護なんてどだい無理ですよ。』ということば。
そしてもっと施設が必要という論調

おっしゃることも分からなくはないのだが・・・。

自宅で最後まで暮らしたいという高齢者の思い。
複雑な思いをかかえながら在宅でがんばっている家族。
それを支えている医療福祉関係者の努力。


それにしてもこれらをいきなり踏みにじることもないだろうと思う。
みんな複雑な思いで聞いていただろう。

これらを支えるのが行政の役割ではないのか?とも思う。

いきなり措置時代にもどってしまうこともないだろうに。

たしかに高齢所帯や独居で、在宅の生活をささえるのはどうしても困難なケースもあるのは認める。
それでも各地域での小規模な居住福祉を含めた少しでもましなオルタナティブを提示するというものではないだろうか。

そして市長も『PPK(ピンピンコロリ)』でぴんころ地蔵をつくったのはいいが、医療も発展し、いろんな事情で、そう簡単にPPKとはいけない状況なのが現実だ。

いくらPPKを望んでもどうしても不自由さとともに生きなければならない状況だって生まれてくる。
意思表示することもできない状態で家族のために生きながらえてしまう人もいる。

障がいをかかえた老人を家に返すとき、家族の介護力がという話になる。
介護の社会化など夢のまた夢。
家族介護が前提の制度下では介護をかかえて家族の生活は変わらざるを得ない。

障害高齢者はさまよい介護難民であふれる。
実際、介護や生活苦に絡んだ虐待や自殺、殺人もおきている。

病だけではなく制度も人を殺すのだ。

施設や病院に預けっぱなしで家族の心も離れていく。
病院内では厳しい医療情勢の中、早期の退院を迫る、無言、有言の圧力もある。

医療者は傷つけられ、感情を殺して機械的な医療を行うようになる。
退院後の生活など想像することもなく追い出しにかかる。

それでも・・・・。
最後まで自分らしく生きることをサポートし、住み慣れた土地で、本人、家族、医療者がみんなが満足する形で死をむかえられるいわゆる満足死を一つでも多くつくるためにがんばっているのだ。(『満足死宣言』

その営みを病院や施設の中のみの押し込めてしまうなら、スパゲッティ医療による延命が繰り返され、『自然回帰』とは程遠い状態になるだろう。

だから地域の中で老いや、障害、死を支えることには意味がある。

『ルポ老人病棟』

『自分らしく死にたい』

のどちらを選ぶかという選択なのだが。

そして高齢者は国からいじめられているという論調。

高齢者よりむしろ、非正規雇用のワーキングプアで所帯も持てない若者のほうがよっぽどいじめられているのではないか?
若者をいじめすぎるとシルバーバトルが現実のものになるぞ、と思ってみたり。

・・・若者よ選挙へ行こう。

このへんについても直接、市長ともお話したかったが、いつの間にか帰られてしまいかなわなかった。


夏祭り(臼田よいやさ)の花火もなくなってしまったし。
臼田(や佐久病院)はいじめられているのか?という気分になってしまう。




さて、普段お世話になりっぱなしのケアマネさんたちとも話ができた。
つぎはぎだらけの介護保険。未完成のこの制度。
家族による介護が前提の制度下でケアマネージャーさんたちも忙しい。

ケアマネさんたちは地域の仕事が忙しく、新たに担当した利用者さんも、どうしても病院にいる間は病院でお任せとなってしまうという。

試験外泊のときにサービスが使えないためどうしても家族は大変という思いをもってしまう。
そこでギャップが生まれてしまう。
老人保健施設との連携にも課題がのこる。
 
地域と病院との合同カンファレンスなどが行えれば良いが、ここまで病院も大きくなると、地域の人以外の入院も多く、難しい。
回復期リハ病棟の利用もたいてい一回こっきりだし・・・。

病院の出口である病棟で、次から次へと送り込まれる患者の家族に借金取りのように在宅を迫る役割は本当に疲れる。

病棟専従のため、なかなか地域にも出られず、その後もフォローできない。

体はそこそこ、心はうつうつで送り出した患者さんたちのその後をちゃんとフォローできる体制をつくりたいものだが・・・。

北3病棟(高齢者、在宅バックアップ中心)と成3病棟(回復期リハ病棟)、いまはなくなった医療療養型(緩和ケア、高齢終末期、QOL重視の長期入院生活)、それから地域ケア(在宅部門中心)などが一箇所に集まればどんなにいいことか。

小海分院(100床)くらいならもっと小回りの聞いた動きができるのだろうか?

『北欧のESD(Early Supported Discharge)やオーストラリアの急性期後の地域での手厚いケアパッケージプログラムなどのように、退院後しばらくの期間、手厚い訪問看護や介護、訪問リハビリなどをパッケージ化して提供できれば地域での生活がスムーズに開始できるのではないか?

自転車の補助輪のように在宅での生活をはじめてしばらくは、手厚いサービスで追いかけていく。
それでもダメなら再入院や施設ケアを考慮する。
そんな仕組みをつくれないものだろうか。』

というと、出雲市などは病院や施設入所中の外泊などのさいにもサービスが使えるということを教えてもらった。
泰阜村では村が負担し限度額に関係なく必要な人には必要なだけのサービスを提供しているという。

小海町や佐久市ではできないものだろうか?

そして、つくづく感じるのは、回復期リハ病棟というのはここ数年で役割を終える過渡期の制度なのではないだろうかということ。

院内にむけチーム医療とリハビリのモデルを発信し、院外に向けてはリハビリなどの技術、知識を発信し、院外でも活躍できるスタッフを育てる場としての実験的病棟・・・。
その役割を終えれば、解体してESDという流れが主流になっていくと思う。

これらが、これから2年くらいかけて行う自分の仕事なのかなと思う。

市長や県知事、厚生労働省のお役人はどう考えているのだろう?
回復期病棟の生みの親、石川さんはそのへんをどう考えているのだろうか?
いちどじっくり聞いてみたいものです。


工作コーナーで。かわいいウサギ。


(信濃の国ロックバージョンでノリノリ。信濃の国は~十州に~。)

 

(精神のディのコーナーにて。)