スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

「運命を変えることは難しいかもしれないが、自分がどう生きるかは自分自身が決めることだ。」

2018年02月08日 21時56分22秒 | ももちゃんソングブック

今日の話です。

 

シフトの関係でぎりぎりじゃないと産婦人科の予約ができなくて、いつもは仕事帰りに行く予定が予約が埋まっていて今日になりました。寒さで子宮が痛くなったと先生に話したら苦ーい漢方薬が出ました。

 

お昼は松屋でチーズダッカルビ定食食べました。卵を入れると辛いのが中和されます。

 

ここからが本題です。

 

昨日書いた大江千里さんの「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らす。」という発言が心に引っかかっているという話の続きになります。


参考までに大江千里さんがどういう人かはここをクリック。


昨日久米宏さんが週刊朝日で「ザベストテン」の司会をやめた理由の話をしていました。


久米さんも千里さんも言いたいことは同じなのではと思いました。

 

久米さんがベストテンの司会をしていた時に番組が終わると衣装のタキシードが汗びっしょりになっていたと話していたのが印象的でした。

 

彼は全霊を注いでベストテンの司会をしていたのでニュースステーションと掛け持ちでやれないと感じていたのかもしれない。

 

飯島愛さんとマイケル・ジャクソンが亡くなった時に「80年代は楽しい反面犠牲の時代ではないのか」と思うようになったし、そのことはブログにも書きました。私自身がこの時代に10代を送り、コンプレックスと戦っていたのでそう感じたのかもしれません。

 

あの時代に子供時代を送った人は学歴偏重教育と今以上にマウンティングがひどく、いじめの問題や子供は厳しくしないとよくならないという風潮が強く、子供を頭の先からつま先まで規則で縛り上げ、子供が自信を持てない悲しい時代でもありました。

 

飯島愛さんの「プラトニックセックス」では一億総中流と言われた時代の中、周囲が学歴偏重教育の勝ち組で、世間体を以上に気にした両親が子どもを枠にはめて優等生にしようと教育という名の虐待をしたという記述があります。

 

事実私たちの年代がそうで、自分は時代の犠牲者だという心の傷を引きずって大人になりました。

 

その答えが「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らす。」という90年代に感じた千里さんの言葉に出ています。

 

言い換えれば「良い生活をしようとしたら犠牲が出てくる」ということでもある。

 

彼が週刊プレイボーイのエッセイで(その話は「アポロで行こう!」という本になっています。)「Mステ」に出たときにデビューしたばかりのSMAPと共演し、オープニングがSMAPの歌で女の子の黄色い声援の後でピアノ弾き語りで「格好悪いふられ方」を歌った話を書いていました。その時に怖い顔で歌っていたのが印象的で、某音楽雑誌の投稿に「リラックスして歌ってください!!」と書いたのが採用されたほどでした。その時すでに彼は「限界」を感じていたのかも言しれません。

 

千里さんの人気がピークになる前年は昭和から平成に年号が変わったこともあり、美空ひばりさんや手塚治虫氏や松下幸之助氏に代表されるような昭和に活躍した人の死や中森明菜さんの自殺未遂や女子高生コンクリート詰め殺人事件や連続幼女殺人事件と言った事件や坂本弁護士が行方不明になる出来事もありました。

 

自分は時代の犠牲者だと思っていたけど、それは自分だけではなく、みんなそうだったのかもしれない。

 

今はSNSの普及で生きづらさを抱えた時代になっていますが、本気で世の中を変えたいのなら千里さんがインタビューの最後に言っていた「運命を変えることは難しいかもしれないが、自分がどう生きるかは自分自身が決めることだ。」という言葉にあるのかもしれない。

 

最後に千里さんにお願いがあります。日本で自分がこういう活動をしているというのを子供たちの前で話してほしい。教育現場でも彼の話が聞ける環境を作ってほしいと文部科学省に言いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らす」

2018年02月07日 22時46分00秒 | ももちゃんソングブック

ここ2日ほど岐阜に雪が降るということで、まともに眠れず朝5時30分に起きて雪が降っていないか確認し、雪が降っていないので2度ねして起きるのに苦労するという生活でした。

 

本題を前にサザンファンと福山雅治さんのファンにはかなり耳の痛い話と厳しい話です。


1月31日のブログで大江千里さんの話を書きました。

 

彼がインタビューの中で「『APOLLO』(1990年9月発売のアルバム)を出してオリコンランキング1位を取った直後ぐらいに、ライブツアーの会場で不思議な光景を見たんです。前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいないんです。地方の公演でしたね。あれ? 今オリコン1位なのにどうしていなくなっちゃったんだろう?って。ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました。それが見えたのは、僕だけだったんですよ。」


と言う言葉が心の中に引っかかっています。

 

特に「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らす」という言葉の意味の経験を私は2年前に桑田佳祐さんの年越しライブのエントリーで経験しました。

 

その年に思ったより介護職員処遇手当を多くもらったこともあって、思ったよりお金が使えたのでうまくいけば桑田さんの年越しライブが行われても大丈夫なお金はあるというのでその分を残していました。(後は車の車検)9月の終わりに桑田さんの年越しライブが開催されると発表されて、発表と同時に新横浜のホテルも前宿泊した時よりいいところで予約しました。

 

4年前の年越しの時に28日公演で、29日と連休を取ったら明けの30・31日勤務が大変だったので、27日公演にエントリーしました。

 

桑田さんのソロだし、11年の年越しの時も割と当選したから大丈夫だろうとタカをくくっていたら信じられないことが起きてしまいました。

 

30日も大晦日も外したのに1人エントリーなのに27日公演が落選したからです。

 

その時に仲の良いサザ友さんが大晦日の年越し公演が当選したというのでショックと怒りから夜遊びを聴くのもボイコットするくらい落ち込みました。

 

私はローチケの会員に入っていたのでローチケで敗者復活戦のつもりでいたらそのローチケも落選。

 

一般販売の日は休みでしたが、そこで心が折れてホテルもキャンセルし、年明けに東京ディズニーランドと銀座のソニービルで開催されていたイッツ・ア・ソニー展と前から行きたかった東京ドームで開催されるキルトフェスティバル行きに変更しました。

 

その時に「18年のサザン40周年のライブを最後に応援団(ファンクラブ)をやめよう」という考えが芽生えていました。

 

昨年は母の入院もあり下手すると行けない覚悟でしたが、無事にチケットを取ることができました。

 

その時に行ったライブは「18年(要するに今年)のサザン40周年を最後に応援団(ファンクラブ)をやめよう」という考えを吹き飛ばすくらいの内容でした。

 

その時の席は後方でしたがアリーナ席で、規制退場でしばらく待っていたのも苦になりませんでした。

 

「桑田さんは行けないファンのことも考えて素晴らしいライブをやってくれた」という思いでナゴヤドームを後にしました。

 

今年はサザンの40周年で「ライブやってほしい」発言の妄想ツイートにイライラしていたら千里さんが「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らす」という言葉の答えにつながったのかもしれません。

 

それは福山雅治さんが結婚した時の「福山ロス」にもつながっています。

 

彼のインタビューを見てすごいなと思ったのはライバルだった小室哲哉さんのことを褒めていたのとトランプ政権とAKBとジャニーズとEXILE批判をしなかったことです。

 

現にCDが売れないのはAKBのせいという発言をしていた人もいました。

 

あと私が大江千里さんのファンですということをブログで書いていたら「彼は素晴らしい人です」と10人が10人彼のことを褒めていたし、悪く言う人もいないのもいいところです。

 

明日病院のはしご(産婦人科と接骨院)で朝が早いので後日談は明日になります。

 

 

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スーパーももちゃんの雪の日対策。

2018年02月05日 19時42分40秒 | いつものお話

今日は雪が降るというので、早番勤務帰りに買い物と車の給油をし、帰宅後は掃除をしました。

 

休みなので午前中は趣味で買った絵葉書と写真とプリントアウトの整理をしていました。

 

部屋に飾る用で昨年のレベッカと桑田さんのライブの時に撮影した写真をラミネート加工したら写真がぼこぼこに・・・。

 

調べたら温度が原因と言うが、8年間使っていたものなので(そういうこともあってサイズの大きい2台目を3年前に購入)、いい加減処分したほうがいいのかも・・・。

 

晴れたのでミニストップで青森りんごのソフトクリームを寒い中食べていたら吹雪いていたし。

 

明日は朝に雪が降るというので、早起きのため朝食を作ってあとは寝るだけと言いたいのですが・・・。

 

1時間30分車を運転するのは辛いです。先月の大雪の時は職場の駐車場に到着したら帰りたくなりました。

 

最後に一言。桑田さんの「MVPは何の略?」の景品届きました。

 

 

 

 

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今年は遊佐未森さんのデビュー30周年&大江千里さんが言いたかったことパート3

2018年02月04日 22時58分05秒 | ももちゃんソングブック

今年はサザンの40周年以上に大江千里さんのデビュー35周年だと大騒ぎしていたら大事なことを忘れていました。

 

遊佐未森さんのデビュー30周年です!!

 

それを記念して3月にベストアルバムがリリースされますが、マニアックな内容すぎて買うのに躊躇している。

 

 

5年前のデビュー25周年の時のベストアルバム(VIOLETTA THE BEST OF 25 YEARS)はほしくても買えなかったんです・・・。

 

彼女も千里さんと同じくらい良くライブに見に行きました。

 

4月の終わりに名古屋でライブがあります。

 

行きたいんですけどねぇ・・・。

 

好き放題出来たのは年間60万以上のボーナスもらって後のこと考えずにお金使えたから。

 

今それ無理です!!

 

あの当時好き放題やっていたのは高校が厳しくて自由がなかった反動と仕事のストレスもあったのかもしれません。

 

CDも月1万円くらい買っていたし。

 

大江千里さんのインタビューを見て彼が言いたかったのは

1・「芸能人も自営業で個人事業主(元は落合博満氏が中日の監督の時に『プロ野球選手は個人事業主』と言っていたのがモデル)」

2・「芸能人もアスリートも同じ。限界が来たらセカンドキャリアで何をやりたいのか真剣に考える」

3・「いつまでもあると思うな親と仲間と金」

4・「人気があればあるほどファンとの間に『見えない壁』を作る」

5・「天狗になっているときほど苦言をいう人間の言葉に耳を傾けろ」

6・「マスコミに詮索されるような発言や行動はするな」

7・「プライベートの切り売りをするな」

8・「テレビよりラジオ SNSより喧嘩してもいいから会話せよ」

9・「ある程度の年齢になったらいろんな意味での『断捨離』をしろ」

10・「『引退』じゃなくて故大橋巨泉さんのような『セミリタイア』出来る環境が日本の芸能界には必要」

 

彼は子供のころ親がテレビをあまり見せない教育方針をする家庭だったのでラジオをよく聴いたといいます。

 

一昨年福山雅治さんの自宅にストーカーが侵入したという悲しい事件が起き、その時の彼のコメントが批判を受けたという報道もありましたが、千里さんの「『APOLLO』(1990年9月発売のアルバム)を出してオリコンランキング1位を取った直後ぐらいに、ライブツアーの会場で不思議な光景を見たんです。前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいないんです。地方の公演でしたね。あれ? 今オリコン1位なのにどうしていなくなっちゃったんだろう?って。ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました。それが見えたのは、僕だけだったんですよ。」という考えを本人とアミューズの人間がしていれば事件は起きなかったのかもしれないと思いました。

 

千里さんの「ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らす」という発言は桑田佳祐さんも同じ考えなのではと思います。それが「夜遊び」に出ています。この番組は自分の考えを自分の考えで説明しているし、4年前の年越しと紅白の件も自分の言葉できちんと話してお詫びしていました。桑田さん自身ファンを大事にする人なので自分がファンを喜ばすために言った発言がSNSで大騒ぎや妄想を引き起こす原因にもなっています。

 

最後に千里さんはグラミー賞を取ると宣言していますが、真面目に頑張っていただきたいです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大江千里さんが言いたかったことパート2.

2018年02月01日 21時44分40秒 | ももちゃんソングブック

昨日の話の続きです。

 

大江千里さんはまんたんウェブでもこのようにお話をされています。

 

インタビューその1

 

インタビューその2

 

今日のブログは特にサザンファンの方に読んでいただきたい話です。

 

昨日のブログで91年から99年まで千里さんのファンクラブに入っていたという話を書きましたが、サザンのファンクラブに加入して12年経って見に行ったライブの回数より、千里さんのファンクラブに加入して見に行った回数のほうが多いんです。

 

サザンと桑田さんのライブを見に行った回数がファンクラブに加入して8回(ただし8年前のツアーは当選していたけど、桑田さんの病気で中止になり、おととしの年越しは抽選で外れ)なのに対し、千里さんのライブを見に行った回数はファンクラブに加入して14回(ただし96年の納涼千里天国はハワイでお金の都合で断念し、97年の納涼千里天国は一般で入手)でした。

 

千里さんが「シンガーソングライターのピークが30歳くらい」とお話していましたが、私の場合はライブに行ける(要するに好き放題出来る)ピークが25歳でした。

 

ここからは自分の話ばかりになってしまうのですみません。

 

私が勤務していたカルビーという会社は年間のボーナスだけでも手取り65万近くもらえたのでやりたい放題出来たし、年2回東京に行けるお金もありました。あと親が会社経営をしていたので自慢話になってしまうけどお金の不自由がなくて、それに甘えてしまったことも大きいです。

 

だからライブに行けるお金も休みもあったし、無理に有休を取っていったライブもありました。昔は平日にライブが多かったので、休まざるを得ない状況もありました。

 

私が23歳の時に父が腎臓がんとなり、それも逸見政孝さんが例の記者会見をした1か月半後でした。その時は初期だったのでよかったのですが、常にいつまで生きれるかという不安との戦いでした。(今年で手術25年になります。)

 

逸見さんが亡くなる1週間ほど前に父は退院しましたが、抗がん剤治療が大変で、副作用の影響で下手するとうつ状態になるという話もあり、やりたい放題で部屋を片付けていなかったことを注意され、家を出る出ないまでのバトルまで発展したことがありました。(あと弟の大学2年連続留年もあった)

 

私がカルビーをやめたのはその2年後でした。きっかけは親の見合いしろプレッシャーと職場で自分の居場所がないことに気が付いたからです。

 

その後2年近く仕事をしない生活をしていましたが、自分探しの答えは見つからないまま結婚し、離婚しました。

 

千里さんのファンクラブの更新をやめたのも当時交際していた人がいて、コンサートどころじゃなかったからです。

 

仕事をやめても結婚しても自分を見失っていました。

 

そのことに気が付いたのは大江さんではないけど、かかりつけの先生が理不尽な事件で亡くなったことと、母の大腸がんでした。

 

それ以上に千里さんのインタビューの影響も大きいです。

 

余談ですが昨年の紅白はNYで見ていたといいます。(桑田さんの横アリ中継も見ていたということ?)

 

千里さんが渡米した平成20年の11月に小室さんが詐欺容疑で逮捕されるという事件が起きてしまいますが、その時に「千里さんはどう思っているんだろう?」という不安がよぎりました。その時彼は音楽大学で「国では実績があったのにピアノの下手な日本人」という評価に苦悩していたといいます。

 

 

今年の5月に彼はデビュー35周年を迎えます。一昨年「君の名は」の監督でもある新海誠氏の作品「言の葉の庭」に30年前のアルバム「1234」収録曲の「Rain 」が泰基博さんのカバーで使われたことで再評価されています。

 

前にも書きましたが昭和62年に発売されたアルバム「オリンピック」に収録されている「塩屋」の舞台でもある山陽塩屋駅に先月の終わりに行く予定でしたが、両親のインフルエンザと体調不良と寒波で来月に延期になりました。

 

最後に無理かもしれませんが、過去のアルバムの再発売とライブDVDのBOX化と35周年ライブをやってほしいです。出来たら千里さんのトリビュートアルバムも作ってほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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