昨日のブログで「確定していないのにサザンの40周年ライブをやってほしいという妄想ツイートは勘弁してほしい」と書いたら、こんなニュースが飛び込んできた。
大江千里さんがインタビューでアメリカでの活動と小室哲哉さんの話をしていました。
彼が日本でのキャリアをすべて捨ててジャズの勉強をしに渡米するとファンクラブの会報で発表したのが平成19年の暮れ、年明けの20年に渡米し、NYを拠点にして活動しています。
週刊文春での阿川佐和子さんの対談ではグリーンカード(永住権)を得るために全財産を使ったと話していました。
驚いたのは光GENJIに提供した曲がヒットしていたころとは収入が大違い(億を稼いでいたとも言われる)であるということと、自分の経験をアメリカの高校生に講演で話しているということと小室哲哉さんについてコメントしていたことです。
千里さんは今年5月21日にデビュー35周年を迎えますが、小室さんがデビューしたのはその翌年の4月21日。故岡田有希子さん菊池桃子さんレベッカと同じ日。
初期のアルバムにも小室さん達TMネットワークのメンバーがコーラスで参加していたり、小室さんがアレンジを手掛けた曲もあります。
不仲説も出ていましたが、小室さんのことを気づかい心配していました。
千里さんは47歳でアメリカに行くことを決意しますが、私も昨年の47歳の誕生日2か月前に考え方が変わる出来事が起きました。
71歳になったばかりの母が大腸がんであることが分かり、それもステージ4という最悪な事態だったからです。
手術をしなかったら今月でこの世からいなくなっていたかもしれません。
リスクの高い手術をし、人工肛門を装着し、抗がん剤を飲む生活を8か月続けています。転移した肝臓もきれいになり、あとは肺のほうの様子見です。
10年前の大江千里さんが(とあえてフルネームでいう)すべてを捨ててアメリカに行ったのも今の音楽シーンに対する不安もあったのかもしれません。あのころからCDが売れなくなり、iTunesのような配信で買うことにシフトが変わり始めていたことや浜崎あゆみさんの人気ダウンやAKBのブレークもあったのかもしれません。
インタビューでお話していたアルバム「APOLLO 」のツアーで初めて彼のライブを見たのですが、このアルバムが出たころはバブルの絶頂期で、ぴあに電話をしてチケットを取ろうとしても取れないことがしょっちゅうで、弟がサンデーフォーク(名古屋のイベンター)の会員に入っていて、そのコネで運よくとれましたが、祝日公演で2階席でした。その時に「いい席でライブを見たかったらファンクラブに入ったほうがいい」と言われ、翌年の1月に加入し、平成11年まで加入していました。
あとオリコンで1位を取っても「人気が落ちかけていることわかっているんですか?」という発言をした人の予言はある意味すごいと思う。事実25年前の3月に行った名古屋センチュリーホール公演は平日だったこともあって、2階席の半分と3階席は空席でした。
私は高校3年生の時に千里さんのファンになりましたが、校則の厳しい学校だったのと、就職1年目に人間関係になじめず、職場で友達が作れなかった反動で仕事をさぼり、親の見合いしろプレッシャーと戦いながら彼のライブに行きました。結婚後はファンクラブの会報もすべて捨ててしまいました。今だったらネットオークションやマニアックなグッズのお店に売れば結構なお金になったのですが、結婚ですべてを見失ってしまったのかもしれません。
離婚して安定した仕事に就くのに3年かかり、06年からサザンのファンクラブに加入していましたが、収入が落ち着いたら大江千里さんのライブにまた行こうと考えていた矢先に日本での活動を休止して渡米するというニュースでした。
布袋寅泰さんも12年から家族で渡英していますが、いずれは日本に戻るという話も出ています。
今の千里さんを見ると90年代の時より生き生きしていると思います。今年はサザンの40周年で大掛かりなライブも見たいけど、25年前に熱狂した自分に戻って千里さんの演奏を見てみたいと思います。
3月にその「塩屋」の舞台となった山陽塩屋駅に行く予定です。