スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

新潟の母の家での経験

2007年08月15日 20時48分14秒 | いつものお話
今日は終戦記念日でしたが、土日祝関係なしの母の仕事も運よくお休みで、今日は夜勤です。

母親の家は新潟の上越と言っても妙高市よりの地域にある田舎町です。近くにコンビにもないところです。冬は雪でどこにも行けないので8月になると母の家に帰省するのが家族旅行みたいなものでした。それ高校3年生まで続きました。

行かなかったのが私が小学1年生のときと、高校1年生のときです。

小学5年生になる年に祖母が倒れてしまい、中学2年生までは夏休みの半分くらいを新潟で過ごしました。ただし、最初のときは父方の祖母が入院し、1年生のときは私の部活の関係で(水泳)1週間くらいでした。

今だから話せますが、中学生の時に学校になじめなかったせいもあり、母の家で過ごす夏休みが現実逃避みたいなものです。

母方の祖母は7年寝たきりで、帰省をしてもどこかに祖母で出かけたという記憶がないんです。祖父も私が生まれる直前に亡くなりました。(写真でしか見たことがない)

父方の祖父母は同居していたし、柳ケ瀬に行ったりとかいろんな思い出があります。15年前に亡くなった祖父は亡くなる前の年に成人式の晴れ着姿を見せることが出来ました。特に可愛がってもらった祖母にはそれが出来なかったのが残念です。

今日遊びに来たおばがいとこの子供をあやしていたときに祖母との思い出がよみがえり、涙が出そうになりました。

新潟の母の家は10年前に行ったきりで、「遊びに行く」と言いながらまだいないんです。本当は今年の秋に行きたいけど、再就職もまだだし、東京在住のいとこと桑田さんの年越しライブを見に行く約束をしているので(そのためにほかの事を我慢している)今年は無理だと思います。

実は中学3年のときにも新潟に行っていて、帰省していたときに祖父が留守番していて、お盆休みなのに担任の先生から遊んでいないか確認の電話が会って、2学期がスタートしたときに電話をしても留守の家が多かったらしく、そのことで激怒していました。夏場しか祖母に会うチャンスがないのになんで怒られなきゃいけないんだろうと思いました。その先生は、いい学校に行くためには禁欲しないといけないという人で、そのことで対立した生徒も何人かいました。

そんなことがありながらも学校や部活を犠牲にしても新潟の家に行かせてくれた両親に感謝です。そして、その経験がヘルパーの勉強につながっています。

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