Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

干し柿への道

2008年10月21日 | Weblog
ベランダに吊るした。

朝陽をあびて、輝く!

美味しくなぁ~れ!!

果物の皮をむく

2008年10月21日 | Weblog
夕食後、渋柿の皮をむいた。

包丁で、クルクルクル・・・。
皮をむいた。

小さな柿なので、最後まで、渦巻きが
きれなかった。
椅子に座って、
落ち着いた気分で、果物の皮をむく。
久しぶりの感覚だった。

野菜にしろ、果物にしろ、
台所で、たったまま、
ピューラーで、サッサとむいたり、
四つ切にしたりで、
クルクルと、まわして皮をむくことが
少ない。

昔、友達の家にいったら、
お母さんが、柿を丸ごとと
ナイフを出した。
これは、私に皮をむけということかしら?
私の腕を試しているのかしら?
高校1年の、お料理をしない女の子は、
柿の皮くらいは、むけた。

そんなことを思い出しながら、
柿の皮をむいた。

皮をむいた渋柿をたこ糸で結ぶ。
写真のブタちゃん。
煮ブタを作るときようのタコ糸なので、
ブタの絵に糸がまきつけられている。

ブーちゃんも、柿にかこまれて
うれしそうじゃない?


Poncoという名前

2008年10月20日 | Weblog
そうそう・・・。

小学校3年のときに
出あったK子ちゃん。

私と同じ名前である。

相手を呼ぶのに、自分の名前を呼ぶことになる。

それで、あだ名をつけあった。
その名前が、「ぽんこ」なのである。
私は、丸顔で、豆狸のようだからだそうだ。

それ以来、私は「Ponco」と呼ばれている。



柿の思い出

2008年10月20日 | Weblog
子供のとき、友達のお母さんに
連れられて、柿の名産地、
奈良・五条にいったことがある。

友達のお母さんの故郷なのだ。
柿の収穫の時期で
農家の軒先に大きな
収穫した柿をおく柵(?)
があった。
わらぶき屋根のように
大きな柵である。

そのおばさんは、園芸も得意で
大阪の下町のごみごみした街中で、
見事な大輪の菊を咲かせていた。

おばさんと出あったのは、私が
小学校3年のとき。
K子ちゃんと同じクラスになり、
意気投合。
土日になると、商店街のK子ちゃんの
大きなお店にいった。
友達の家にお泊りしたのは、その家が初めてだった。

K子ちゃんは、低学年のときにお父さんを亡くした。
あの頃の「母子家庭」という響きは、本当に悲しかった。
しっかりものの、おばさんは、しっかりとK子ちゃんと
弟さんを育て、お店も守り、
K子ちゃんの3人の子供たちも、育てた。

私が、帰省したおり、商店街であうと、これから、保育園に
迎えにいくときだったりして、
「こんな年になって、子供育てるの、しんどいわ~」と
いっていた。
本当に、しんどかったことだろう。

40歳前に寡婦になり、
大店をひきつぎ、なさぬ仲の子ども達、
自分の子ども達、孫たち。
すべて、引き受けたのに、いつも
店先に静かにすわっていた。
おしゃべりすると、とても面白いのに、
たたずまいは、静かな人だった。

****

土曜日、姑に電話をいれたら、
泣いていた。
K子ちゃんのお母さんが、先週なくなり、
姑は、お葬式にいった。

その前から、入院していて、姑と仲がよかったので
意識が朦朧としていても、姑がお見舞いにいくと
「ありがとう・・。」と喜んでくれたそうだ。

この2週間、私の親世代の方の訃報が続く。

しかし、私の生活にその不幸の影はない。
子供の学校や、私の同窓会のことで
頭がいっぱい。
もし、地元にいて、お葬式にいったら、
痛い哀しみを味わうだろうが、
「亡くなった」ということを
体にしみこませることだろう。

この目でみていない、ということは
嘘のようで、帰省したら、いつも通る
店先に、静かに座っているおばさんの
姿を探すに違いない。

嘆く姑を励ますために、冗談をいい、
たしなめられ・・・。

受話器を握って、涙を流している私であった。


渋柿

2008年10月20日 | Weblog
柿が色づき、
美味しいそうな季節である。

これは、いただきものの柿。
2年ぶりにいただいた。

美味しそうだが、
美味しくない!
だって、これは、渋柿だから。

皮をむき、糸で括って、お日様に干す。

2年前、初めてつくってみた。
お日様の光は、渋を熟成し
甘いものに変える。

お店でうっているようないいものに
ならないから、私しか、食べなかったが、
私は、手塩にかけた渋柿を
愛おしく、大事に食べたのだった。

早く、皮をむいてほさなくては・・・。
とあせっている。

女と鏡

2008年10月17日 | Weblog
先日、部屋で、娘とベットに寝転んで
お月見をしていた。

「そうそう。
私、『かぐや姫』だったわ・・。」

「えっ!シンデレラっていっていなかった!?」

「かぐや姫だったこともあるのよ。」

なんのことやら??
また、母の妄想か!?
と、娘は、あきれた。

高校1年の文化祭の劇で
私は、「シンデレラ」の役であった。

大学3年のとき某大学の文化祭の
イベントで「かぐや姫として、参加して!」と
実行委員から頼まれ、
友人3人、かぐや姫として
ステージにあがったことがある。

今は、昔々のことである。

で、先ほどは、自分が、「白雪姫のようである」と・・・。

もう、やけくそのように、お姫さまの妄想にひたる。
今朝、きみまろさんがいっていた。

「20代、鏡とにらめっこ。
30代、鏡にうつった美しい自分に にっこりと微笑む」

そのうち、
鏡を遠目でみて
鏡の前をとおりすぎ
鏡をみなくなり
鏡の曇りをふき
鏡をみなくなり、
鏡を捨てて・・・
女を捨てて・・・。

このあたり、大爆笑!

最後 90代で、「女のかがみになる」って。

そこで、拍手。

さて、今の私は、どれだろう?
そうね、鏡を暗めの照明で、見るお年頃かな?(笑)
「夜目、遠目、傘のうち」
とは、よくいったものである。
そのシュチエーションで、お願いします。
といいたいお年頃。


Snow White - Someday My Prince Will Come...

2008年10月17日 | Weblog
Snow White - Someday My Prince Will Come (English)


先日、友人たちとカラオケにいったとき
ふと、
「最近、私の気持ちは
こんななの・・。」と歌った歌を・・・。


最近の私は、たいしたおしゃれもせずに
家族にこき使われて、
掃除、洗濯、料理・・etc・・・。
床を掃除していると、決まって頭の中に
この歌が流れてくる。

Snow White(日本名、白雪姫)
は、継母に疎んじられ、厳しい境遇にある。
ぼろをまとって、掃除をしているのである。
でも、彼女は、夢をもっている。

「いつか、私の王子さまが、
私を迎えにきてくれるの・・。」

私が、若き日、「これが、私の王子さま!」と
思った男性は、いまや、裸の王様になり、
私は、白雪姫の境遇になって、ちょっと悲しい
思いをしている。
私も、夢を捨てない。
「いつか、本当の王子様が
私を迎えにきてくれるの・・・。」

そんな気持ちをこめて、カラオケボックスで
うたったところ、周りにいた友人たちは、
あきれ顔であった・・・・・。

女の子は、夢を永遠にもちましょう~!

夢を捨てたとき、女の子は、
あやのこうじ きみまろにいじられる
「おばはん」になるのである。


今朝、NHKにでていた きみまろさんの
漫談に、心当たりがありすぎて、大笑いした、私なのに。
エヘヘ・・・。



石窯ガーデン・テラスのランチ(鎌倉ハム プレート)

2008年10月16日 | Weblog
我々、日ごろ、子供の教育や進路に
粉骨奮闘している母三人は、
自分たちへのご褒美に、ランチを
いただくことになっていた。

禅寺の境内に広がる、イングリッシュ・ガーデン!
イギリス人のガーデナーが、丹精しただけあって、
すばらしいものである。
3人とも、イギリス・フランス・アメリカで
暮らした経験があるという、トリオであった。
「懐かしいわ~」という声があがる。

本場のガーデンのようには、いかないが、
こじんまりとした中に、十分、イングリッシュ・ガーデンの
エッセンスを感じて、リラックスできる。
「これ、ブルー・セージ!」と葉っぱを少し、こすって香りをかぐ。

ベンチも素敵である。
その中に、自然に、日本の庭木もあったりして・・・。
お寺にある木もあったりして・・・。
でも、全然、違和感がない。

庭を堪能する前に、我々は、美味しいランチと
おしゃべりを堪能したのだった・・・・。
大変、綺麗で美味だった。

(結局、食いしん坊の私らしい、鎌倉散策なのだ)

最初にしたことは、本堂で、真摯に祈ることであったのは、
間違いない。と、言い訳しておこう。