Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

素材

2008年01月23日 | Weblog
今日、関東地方に雪が降った。
こんなに寒いときに外にいると、
「素材」がものをいう。

先日、息子にダウンコートを買った。
彼は、「カシミア」というと、「100%」という言葉が
頭に浮かぶらしい。
カシミア山羊さんと、家族が使っている
衣類は、結びつかないだろう。

コートを買うときも、私は、中の素材、分量を
確かめて決めるが、若い子は、デザインありき、である。
私が選んだものは、デザインが彼の気にいり、
素材は私が気にいったのであるが、
できたら、デザイン無視だったら、値段も私は気にいったものが
あったのに・・。
(フードには、ラクーンがついている)

今の季節、一番、お世話になっているのは、
ダウンかな?ウールかな?
と思う。
カシミアは、軽くて暖かいから、やっぱり、大好きだ。
紺のカシミアのカーディガンは、もったいなくて、
毎日、きるわけではないが、一生ものにしたい一品。
もとは、こんな山羊さんだったのかな?


葬儀は、「仏式で」の自覚

2008年01月22日 | Weblog
小さいときから、神社仏閣にいっていた。
お参りをするのは、当たり前のことであった。
家には、仏壇があった。

だから、私は、一応、自分の家は仏教だと知っていた。

西洋の大聖堂に行くと、神聖な気持ちになった。

****

あるとき、イギリスの博物館で、大きな仏像を観た。

仏像を観ると、手を合わせて拝む習慣がある私は、
博物館の中で、手を合わせて、拝んだ。

ところが、「まてよ・・。違う・・。」と感じた。
「魂がはいっていないような気がする」
霊感もなにもない私だが、そう、思った。

そこにあるのは、仏像という「美術品」なのじゃないか?
と思う。

日本にある仏さまは、魂がこもっている。
それは、入魂式もしただろうが、人々が、日々手を合わせ、
拝んでいるうちに、生きたものになったに違いない。

その「ありがたさ」を私は、拝むことで、受け取っているのだ。
自分の心に響くのだと思う。

その時、私は、自分が、「仏教徒」であることを自覚したのだった。

正確には、違うのかもしれない。
神道と仏教が、生活の中に溶け込んでいる文化の人間。

そういう風にしか、いえない。

ちなみに、先日は、横浜中華街の中国のお寺にも
お参りして、中国式の拝みかたも習ってきた。

とにかく、他の国や人々が、大切にしているものに、
敬意を示す。
それだけのことだが、自分の文化には、誇りを持ちたいものだ。
それを子供たちに伝えたい、と毎日思うが、とても大変なことだ。
いい加減な私が、どこまで、できることだろうか・・・。






典型的な日本人 ?

2008年01月22日 | Weblog
娘が世界史を勉強していて、
外国の宗教観と日本の宗教観が
違うことに気がついた。

「うちは、一応、仏教徒だっていうけれども、
神社にも行くし、今日は大寒だから、とか、
クリスマスもするし、なんでもするでしょう。

外国の人って、日曜日には、ちゃんと教会に行く。
戦争までする。」

「そうそう、日本人は、『敬虔な』じゃないっていいたいの
でしょう?」

外国に接するようになると
自分の宗教は、なにだろう?
ということにぶちあたるときがる。
また、外国の人に文化の話題をするときに、
はずせないことかもしれない。

「Typical Janeseは、神社もお寺も行く。
 教会で、ウエディングドレスも着る。
それが、Typical Janese!」
と、私は、かつて、西洋の人に説明したことがあった。

本当は、難しくて、一言ではいえない。

ウェディングドレスを着る、と憧れている娘に、
かつて、私が憧れた「白無垢」の感動を伝えるのが、
難しい。

狩猟

2008年01月20日 | Weblog
裏の空き地で、鳥たちが、
「ギャーギャー」とけたたましく啼く声がするので、
窓からのぞいてみたら、
顔見知りの猫が、狩りの獲物をくわえて歩く後ろ姿が見えた。

急いで、息子を呼んで一緒に窓から、そっとみた。
鳩ほどの野鳥が、羽をひろげたまま、
つかまったようだ。
周りで、仲間の鳥たちが、泣き叫んでいるのだった。
鳥の禍々しい鳴き声は、いやなものだ。
仲間の死がわかるのであろうか?

その猫は、メスの飼い猫だ。
彼女には、いろんなことで、驚いてきたし、
たくましいのは、わかっていた。
あるとき、モグラの死体が、ご近所の自転車置き場にあり、
そこの奥さんが、片付けた。
うちの前にねずみが死んでいたことがあった。
私は、もちろん、片付ける勇気がなかった。
しかし、獲物をとるのは、猫本来の仕事であるから、
叱るわけにいかない。

猫は、狩猟する動物であるが、
目の前で、獲物をくわえた猫をみることは、
最近では、あまりないのではないだろうか?

「ライオンみたいだね」とうちの子が言った。
「虎みたいって、いって」と私。

どちらにせよ、猫というより、
狩猟をした肉食動物のオーラを放っていた
後ろ姿だった。
彼女は、猫といえども、いまどきの「愛玩動物」ではないのだ。

裏の空き地が、「野生の王国」みたいな
ドキュメンタリーの現場になってしまった。
鳥の屍骸があると思うと、怖くて、いけなくなった。


私も、うちの猫も、ひ弱なものだ。
私もうちの猫も「農耕」のほうがあっている。
とつくづく思うのである。
ちなみに猫は雑食なので、
野菜も大好きだ。
うちの猫は、花や葉っぱをかじるのが大好きだ。


署名運動

2008年01月18日 | Weblog
夏、蛍の生息地の開発反対運動のことをかいた。
知り合いにも、お知らせして、協力していただいた。
6月に我が家の案内で、蛍を観た東京に住んでいる、
若い人たちも、署名してくださった。

私は、20名ほどの署名を事務所に送付した。

この前、自転車で、事務所の方が、報告書を
もってきてくれた。

署名数は、目標の5万人をはるかに超え、
9万0692人分の署名を議会に提出したとのことだ。

市会議員も、ほとんどが反対のようだ。

お店は欲しいのだが、いったん失われた自然は、
元に返らない。
ここが、開発許可されると、前例になり、全国で、
自然破壊がおきるところだそうだ。

結果はでていないが、みんなの意識が高まったようで、
よかったと思う。

署名してくださったみなさま、ありがとうございました。

なによりの笑顔

2008年01月18日 | Weblog
昨日、震災のとき、父が、「七輪」をもっていった話を
書いたが、その後、アイロンをかけながら、
「あの時代だと、七輪を探すほうが、大変だよね・・。」と思った。
それで、「カセットコンロだったかもしれない・・。」と思った。
大阪だったら、カセットコンロを買うのは、たやすいことだったと思う。
しかし、結構、かさばるから宝塚まで運ぶのは、大変だったと思った。
父とて、十分、老人だった。

そんなことを思いだしていて、はっとした。
宝塚のお得意様は、きっと、父の笑顔がうれしかったのだ、
ということに気がついたからだ。
お金持ちだし、震災からしらばくすれば、
なんとかしていらっしゃったと思う。
でも、きっと不安で仕方なかったに違いない。
父の笑顔は、頼もしくて安心させてくれる笑顔だった。

そのことに気がついたとたん、目から、熱いものが流れて仕方なかった・・。


防災

2008年01月17日 | Weblog
私が知っている防災知識なんて
たいしたことがないし、
キリもないし、自分がちゃんとしているわけでもないが、
思い出すため、ちょっと書いてみます。

水は、家族の3日分。
家具には、倒壊予防を。
普段より、ラップを大目に準備。
軍手も、まとめ買い。
カセットコンロを使用。
食器棚のとってに、飛び出し予防として、
スーパーの荷物をもつとってをひっかけている。

NTTの災害ダイヤルを利用すると、
心配している他地方の身内に安否を
知らせることができる。
(毎月1日に、練習ができる)

携帯の活用。
災害時、電波が優先されるものがある。
あらかじめ、相手を登録しておく。

家族と待ち合わせの場所(広域避難場所)
の確認。
こちらでは、春に、学校に書類を提出しているので、
一応、家族は知っていると思うのだが・・。

****

13年前の地震のあと、私は、ずいぶん、防災グッズを
集めたが、だんだん、散逸してしまった。
食品なんて、あっという間になくなる。

こういう知識が役に立つのか、どうかわからないが、
忘れないために・・。

手作業と知恵とハイテクと・・・。
でも、一番大事なのは、「運」だろうな。
天は人の浅知恵を笑うことだろう。
恐ろしいことだ。



阪神淡路大震災

2008年01月17日 | Weblog

13年前の1月17日、
信じられない光景をテレビでみた。

「阪神淡路大震災」

地震がない、といわれた関西での
地獄絵図だった。
阪神地方に地縁があったので、
とても心配した。
電話も通じない友達がいた。
私自身、その数日前まで、被害が及んだ大阪西部に
帰省していた。

私は、赤ちゃんの紙おむつを郵便局から送った。
その頃、自分が被災したら一番困ると
思ったものだった。
どうなったのか、まったく想像もつかないし、
ただのごみになったかもしれないが、
それはそれでいいと思っている。

父は、七輪を買って、混んでいる電車で必死で
昔からのお得意さまに届けて、喜ばれたと
いっていた。

今朝、新聞には、震災の記事が、載ってはいるが、
だんだん小さくなっている。
首都圏だから、仕方ないのかもしれない。

でも、私にとって、阪神淡路大震災の日は、
関東大震災の日とともに、「防災の日」と思っている。




几帳面

2008年01月16日 | Weblog
私は、性格は「几帳面」だと思う。
しかし、手先は「几帳面」なことができない。

「不器用」といってしまえば、それまでのことだが、
ちょっと違うような気がする。

頭では、「きちんとしたい!」と思いつつ、
いろんなものが雑然としてしまう。
それをみて、
「ああ、気持ち悪い」と思い、
ちゃんとしようとすればするほど、
綺麗にならなくて、イライラする。
Mr ビーンのようになってくる。
ローワン アトキンソンは、計算され演技だが、
きっと、私のような不器用な人間をみて、
思いついたのに、違いない、とおもいつつ、
いろんなものを落としながら、悪戦苦闘するときがある。

私が知っているある女性は、家もいつも綺麗にしているし、
手先も器用。
掃除も大好き。

でも、私が彼女を「几帳面」と認めないのは、
葬式でも、法事でも、そういうフォーマルでさえ、
いつも平気で遅れるからだ。
プレゼントの約束も平気で反古にする。
「几帳面」とはいえないような気がする。

私は、整理整頓が、とても下手だけれども、
人になにかをいただいたら、お礼をいうこと、
なにかをお返しすること、などが気になって
何年でも覚えている。
礼状は、文面まで、記録していたりする。

私は生活面での「几帳面」さが、とても欲しい。
収納や掃除の達人は、才能だなあ・・。とつくづく思う。


縁起物

2008年01月15日 | Weblog
私の出身の関西では、十日戎がにぎやかに
行われる。
9日、10日、11日。
えべっさんは、3日で一年をすごすといわれるくらいの
繁盛だ。
関東では「酉の市」なのだろうが、私が住む町では、そういうものはない。
恵比寿さまは、仏像としてなら、ある。
いつだったか、新聞に「福娘」のことがかいてあったので、
調べたが、わからなかった。
大阪の今宮戎の「福娘」は、妙齢の美しい娘さんが、
烏帽子をかぶって、笹に福をつけてくれる。
憧れたものだ。
できたら、なりたい、と思った。
はるか、むかし・・・。
もし、応募できるものなら、娘になってもらいたい。
うちには、かなり、「お多福」な子がいるのだが・・。
ミス・キャンパスになるより、うれしい。
(両方、無理だろうが、希望はもとう)

さて、川崎大師にいくと、色鮮やかな縁起物がたくさんあって、
とても、うれしかった。
クリスマスの色彩とは、またちがった、きれいな色。
とても、庶民的で、民間信仰を感じさせる色合いだ。
関西人としては、ちょっとどきつい気がするのだが、
みているとうれしいので、携帯で撮ってみた。