Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

葬儀は、「仏式で」の自覚

2008年01月22日 | Weblog
小さいときから、神社仏閣にいっていた。
お参りをするのは、当たり前のことであった。
家には、仏壇があった。

だから、私は、一応、自分の家は仏教だと知っていた。

西洋の大聖堂に行くと、神聖な気持ちになった。

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あるとき、イギリスの博物館で、大きな仏像を観た。

仏像を観ると、手を合わせて拝む習慣がある私は、
博物館の中で、手を合わせて、拝んだ。

ところが、「まてよ・・。違う・・。」と感じた。
「魂がはいっていないような気がする」
霊感もなにもない私だが、そう、思った。

そこにあるのは、仏像という「美術品」なのじゃないか?
と思う。

日本にある仏さまは、魂がこもっている。
それは、入魂式もしただろうが、人々が、日々手を合わせ、
拝んでいるうちに、生きたものになったに違いない。

その「ありがたさ」を私は、拝むことで、受け取っているのだ。
自分の心に響くのだと思う。

その時、私は、自分が、「仏教徒」であることを自覚したのだった。

正確には、違うのかもしれない。
神道と仏教が、生活の中に溶け込んでいる文化の人間。

そういう風にしか、いえない。

ちなみに、先日は、横浜中華街の中国のお寺にも
お参りして、中国式の拝みかたも習ってきた。

とにかく、他の国や人々が、大切にしているものに、
敬意を示す。
それだけのことだが、自分の文化には、誇りを持ちたいものだ。
それを子供たちに伝えたい、と毎日思うが、とても大変なことだ。
いい加減な私が、どこまで、できることだろうか・・・。






典型的な日本人 ?

2008年01月22日 | Weblog
娘が世界史を勉強していて、
外国の宗教観と日本の宗教観が
違うことに気がついた。

「うちは、一応、仏教徒だっていうけれども、
神社にも行くし、今日は大寒だから、とか、
クリスマスもするし、なんでもするでしょう。

外国の人って、日曜日には、ちゃんと教会に行く。
戦争までする。」

「そうそう、日本人は、『敬虔な』じゃないっていいたいの
でしょう?」

外国に接するようになると
自分の宗教は、なにだろう?
ということにぶちあたるときがる。
また、外国の人に文化の話題をするときに、
はずせないことかもしれない。

「Typical Janeseは、神社もお寺も行く。
 教会で、ウエディングドレスも着る。
それが、Typical Janese!」
と、私は、かつて、西洋の人に説明したことがあった。

本当は、難しくて、一言ではいえない。

ウェディングドレスを着る、と憧れている娘に、
かつて、私が憧れた「白無垢」の感動を伝えるのが、
難しい。