小さいときから、神社仏閣にいっていた。
お参りをするのは、当たり前のことであった。
家には、仏壇があった。
だから、私は、一応、自分の家は仏教だと知っていた。
西洋の大聖堂に行くと、神聖な気持ちになった。
****
あるとき、イギリスの博物館で、大きな仏像を観た。
仏像を観ると、手を合わせて拝む習慣がある私は、
博物館の中で、手を合わせて、拝んだ。
ところが、「まてよ・・。違う・・。」と感じた。
「魂がはいっていないような気がする」
霊感もなにもない私だが、そう、思った。
そこにあるのは、仏像という「美術品」なのじゃないか?
と思う。
日本にある仏さまは、魂がこもっている。
それは、入魂式もしただろうが、人々が、日々手を合わせ、
拝んでいるうちに、生きたものになったに違いない。
その「ありがたさ」を私は、拝むことで、受け取っているのだ。
自分の心に響くのだと思う。
その時、私は、自分が、「仏教徒」であることを自覚したのだった。
正確には、違うのかもしれない。
神道と仏教が、生活の中に溶け込んでいる文化の人間。
そういう風にしか、いえない。
ちなみに、先日は、横浜中華街の中国のお寺にも
お参りして、中国式の拝みかたも習ってきた。
とにかく、他の国や人々が、大切にしているものに、
敬意を示す。
それだけのことだが、自分の文化には、誇りを持ちたいものだ。
それを子供たちに伝えたい、と毎日思うが、とても大変なことだ。
いい加減な私が、どこまで、できることだろうか・・・。
お参りをするのは、当たり前のことであった。
家には、仏壇があった。
だから、私は、一応、自分の家は仏教だと知っていた。
西洋の大聖堂に行くと、神聖な気持ちになった。
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あるとき、イギリスの博物館で、大きな仏像を観た。
仏像を観ると、手を合わせて拝む習慣がある私は、
博物館の中で、手を合わせて、拝んだ。
ところが、「まてよ・・。違う・・。」と感じた。
「魂がはいっていないような気がする」
霊感もなにもない私だが、そう、思った。
そこにあるのは、仏像という「美術品」なのじゃないか?
と思う。
日本にある仏さまは、魂がこもっている。
それは、入魂式もしただろうが、人々が、日々手を合わせ、
拝んでいるうちに、生きたものになったに違いない。
その「ありがたさ」を私は、拝むことで、受け取っているのだ。
自分の心に響くのだと思う。
その時、私は、自分が、「仏教徒」であることを自覚したのだった。
正確には、違うのかもしれない。
神道と仏教が、生活の中に溶け込んでいる文化の人間。
そういう風にしか、いえない。
ちなみに、先日は、横浜中華街の中国のお寺にも
お参りして、中国式の拝みかたも習ってきた。
とにかく、他の国や人々が、大切にしているものに、
敬意を示す。
それだけのことだが、自分の文化には、誇りを持ちたいものだ。
それを子供たちに伝えたい、と毎日思うが、とても大変なことだ。
いい加減な私が、どこまで、できることだろうか・・・。
お宮参り・厄除けのお払い・合格祈願なども神社
神前結婚は聞くけど、仏前結婚ってあまり聞かない。
そしてお葬式はお寺。。。
日本では宗教戦争って起こるなんて考えられないし
それぞれに自分のいいと思う宗教を選べるのがいいですね。
いい加減といえば、いい加減かもしれないけど・・・
昔から八百万の神もおられるし
それはそれでいいじゃないかと思ってます(笑)。
平和が一番だと思うこの頃です。
ただ、日本古来の良さというか伝統が忘れられつつあるのは寂しいですね。
私も子供に伝えたいと思うのですが
私自身がよく知らないので情けないです。
知ってる範囲で子供に伝えて行きたい。
自分の国と文化に誇りを持ちたいし、誇りを持てる国であってほしいと思ってます。
(なんか、今日のコメントは固くなりました~~~(笑))
宗教は、自由ですね。
自分は、幸せになったり、生きる支えに
なるものだと思いますね。(まだ、固い・・)
ギリシアやローマの神話も、面白いですね。
ステキな話や、笑える話は、古今東西共通です。
とにかく、平和でいるのが、一番!
同感です。
とりあえず、門前のお土産で、子供をつっていたりします。(笑)