徳育社≪九州オフィス≫スタッフブログ

~高校生のための大学受験応援ブログ~

ケータイ依存症に注意!

2012-11-24 16:13:14 | 日記
今、電車やバスに乗っているとき、街を歩いているとき、病院や駅の待合室にいるとき、どんな時でも同じ光景を見かけるのは、“携帯電話”を触っている人の多さです。


皆さんはどうでしょうか?

暇さえあれば、“携帯電話”を操作していませんか?


今や“携帯電話”で電話をしている人は、もう少ない感じがします。

電話以外の何かをしているんですね。

すでに“携帯電話”とも呼ばないですね。 「ケータイ」ですね。


何を「ケータイ」しているのかというと、メールやブログ、ネットやアプリのゲーム、twitterにFacebookと多種多様です。

誰かが何かをいつもいじっている。

もう「ケータイ」がないと生きていけない・・・なんて感じになっている人もいると思います。


こういう人のことを「ケータイ依存症」といいます。

精神医学分野では、まだ研究されていないようですが、日本でもかなり急速に蔓延しています。


もちろん、これは文明の利器ですので、使う必要があるときに使うのは何も問題はありません。


しかし、駅のホームや待合室で全員が「ケータイ」を使っている光景は、一種異様に感じるものです。

この人たちは、何かに取りつかれているのではないかと、すごく心配になります。

大人も子どももこれは同じですね。


「ケータイ」が悪いのではありません。

道具というのは使い方しだいで、よくも悪くもなります。

それを使い分けるのは、人間の賢さですね。


実は「ケータイ」に侵されていることに、何を心配しているかというと、人間の「考える力」なんです。

人は何もすることがないときや、道を歩いているとき、バスを待っているとき、様々な場面で空き時間というのが発生します。

この時に何をするかということです。


普通は何かを「考える」ことが多くないですか?


道路の木々が色づいてきたな・・・もう秋だなあとか

街のクリスマスの広告を見て・・・今年のプレゼントは何にしようかなあとか

受験生なら、目につくものすべてを英単語で言ってみようとか・・・


何かに気づいたり、それによって何かを考えたり、何かに想いをはせたりします。


こういった時間がほとんど「ケータイ」に独占されるとしたら、人間は「考える」という行動をしなくなります。

極端な考えかもしれませんが、考えたり、気づいたりする時間が確実に減っているのではないでしょうか?

人間の豊かな感受性が損なわれるのでないかと、とても気になります。


これでは「ケータイ」という機械を利用するのではなく、「ケータイ」に支配されてしまっていることになりませんか?

「考える」ことをしなくてすむ時間が増えてしまうのは、ちょっと怖い気がします。


人間はみんな1日24時間という時間しか与えられていません。

その時間をどう使うかは、その人の考え方によります。


だからこそ、大切な時間をムダにしてほしくないのです。

とりあえず「ケータイ」を使っていると、気持ちが落ち着く・・・という状態に陥っていませんか?


受験生の皆さんは、そんなことはないと思いますが、1、2年生の皆さんには十分に気をつけてほしいのです!

これは「インターネット」も同様です。


「ケータイ」や「ネット」はメリハリをつけて、上手に利用してほしい、と考える年の暮れです。


☆ドラゴン