今年も“3月11日”を迎えました。
2011年の4月に、一人の卒業生からメールが届きました。
その2か月前に後輩の高校生の皆さんに激励のメールを送ってほしいとお願いしていたからです。
彼は卒業後、自衛官になっていました。
その先輩からのメールをご紹介します。
・・・・・・・・・・
3月11日14時46分頃、軽い揺れの後に大きな揺れを感じました。
東北関東大震災。
我々自衛隊は命令を受け、すぐに福島県に出発しました。
「絶対に被災者を助けるんだ」
神妙な気持ちでいざ出発。
しかし、福島県に到着早々、その意気込みはすぐに崩れ去ってしまいました。
街の灯りはなく、ひび割れ陥没した道路、倒壊した家屋、津波で瓦礫の山になった街。
一目で分かる絶望的状況でした。
自衛隊の訓練ではそれなりに過酷な環境を経験したつもりでしたが、私は訓練とは違う圧力に、すぐに心身ともに疲れ果ててしまいました。
「これじゃあもう生存者はいないかも」
などと、良からぬ思いすら湧いてきました。
しかし、そんな心情を一変する出来事がありました。
被災地に向け高速道路のパーキングで休憩中の出来事です。
このとき既に40時間の不眠不休の激務中、飲食はほぼできませんでした。
実は高速道路は緊急車両だけが通行できるようになっていて、一般の方が来ないため、パーキングには物資が残っていました。
そこで飲食物が買えたのですが、私は手持ちの資金がなく、ATMも使えないため飲食は断念せざるを得ませんでした。
仕方なく車両からパーキングを見ていると、何か配っている人が・・・
そこへ行ってみると、手作りのおにぎりを配っていたのです。
配っているのはもちろん福島県民の方です。
「どーぞ」 と渡されるおにぎり。
すぐには受け取れず、 これは被災者に配った方が・・・
などと考えていると、 私のその考えに気づいたのか、
「このおにぎりは隊員さんの為に握りました。来てくれてありがとうございます。」
そう言われて受け取ったおにぎり。
何も言葉が出ず、 ただその場に居づらくなって、
「ありがとうございます」
と小さく一言だけ言って車両に戻ろうとすると、 その後ろで、
「行ってらっしゃい!」
と元気な声。
私の心は明るくなり、
「行ってきます!」
と笑顔で返すことが出来ました。
人間不思議なもので、笑顔になると疲れが吹っ飛ぶんですね。
そのあと食べたおにぎりは、米と塩だけのおにぎりでしたが、今まで食べたどんな料理よりおいしかったです。
この出来事のおかげで、私はまた頑張ろうと思えました。
私は今まで、自分たち自衛官は人々を助ける側だ、と思っていました。
しかしこの時、私はこのおにぎりに助けられたのです。
よくある言いまわしですが、
「人は助け合いながら生きているんだ」
と深く意識することが出来ました。
被災地に行けないから助けられない訳じゃないです。
義援金を払わなければいけない訳でもないです。
少しの思いやりでも物事をグッと好転させるだけの力があります。
だから私から後輩の皆さんにお願いします。
この災害を、思いやりを、決して忘れないでください。
そして出来るならこのおにぎりのように、皆さんの思いやりを、周りの人たちに配ってください。
それが誰でもできる、最高の復興支援活動になるのだということを、知っていただきたいと思い、このメールを書きました。
長文ですみません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
・・・・・・・・・・
あの東日本大震災から、早や5年が経ちました。
この時期になるとテレビや雑誌でも特集が組まれたりします。
しかし、まだまだ現地では避難所で生活をし、故郷に戻れない地区の人もたくさんおられます。
高校生の皆さんの中にはボランティアに行かれた人もいると思います。
これから、大学生になっても社会人になっても、いつも心のどこかで応援しようという気持ちが大切ですね。
それがオリンピック以上に、日本を一つにする大切な心かもしれませんね!!(^O^)
☆ドラゴン
2011年の4月に、一人の卒業生からメールが届きました。
その2か月前に後輩の高校生の皆さんに激励のメールを送ってほしいとお願いしていたからです。
彼は卒業後、自衛官になっていました。
その先輩からのメールをご紹介します。
・・・・・・・・・・
3月11日14時46分頃、軽い揺れの後に大きな揺れを感じました。
東北関東大震災。
我々自衛隊は命令を受け、すぐに福島県に出発しました。
「絶対に被災者を助けるんだ」
神妙な気持ちでいざ出発。
しかし、福島県に到着早々、その意気込みはすぐに崩れ去ってしまいました。
街の灯りはなく、ひび割れ陥没した道路、倒壊した家屋、津波で瓦礫の山になった街。
一目で分かる絶望的状況でした。
自衛隊の訓練ではそれなりに過酷な環境を経験したつもりでしたが、私は訓練とは違う圧力に、すぐに心身ともに疲れ果ててしまいました。
「これじゃあもう生存者はいないかも」
などと、良からぬ思いすら湧いてきました。
しかし、そんな心情を一変する出来事がありました。
被災地に向け高速道路のパーキングで休憩中の出来事です。
このとき既に40時間の不眠不休の激務中、飲食はほぼできませんでした。
実は高速道路は緊急車両だけが通行できるようになっていて、一般の方が来ないため、パーキングには物資が残っていました。
そこで飲食物が買えたのですが、私は手持ちの資金がなく、ATMも使えないため飲食は断念せざるを得ませんでした。
仕方なく車両からパーキングを見ていると、何か配っている人が・・・
そこへ行ってみると、手作りのおにぎりを配っていたのです。
配っているのはもちろん福島県民の方です。
「どーぞ」 と渡されるおにぎり。
すぐには受け取れず、 これは被災者に配った方が・・・
などと考えていると、 私のその考えに気づいたのか、
「このおにぎりは隊員さんの為に握りました。来てくれてありがとうございます。」
そう言われて受け取ったおにぎり。
何も言葉が出ず、 ただその場に居づらくなって、
「ありがとうございます」
と小さく一言だけ言って車両に戻ろうとすると、 その後ろで、
「行ってらっしゃい!」
と元気な声。
私の心は明るくなり、
「行ってきます!」
と笑顔で返すことが出来ました。
人間不思議なもので、笑顔になると疲れが吹っ飛ぶんですね。
そのあと食べたおにぎりは、米と塩だけのおにぎりでしたが、今まで食べたどんな料理よりおいしかったです。
この出来事のおかげで、私はまた頑張ろうと思えました。
私は今まで、自分たち自衛官は人々を助ける側だ、と思っていました。
しかしこの時、私はこのおにぎりに助けられたのです。
よくある言いまわしですが、
「人は助け合いながら生きているんだ」
と深く意識することが出来ました。
被災地に行けないから助けられない訳じゃないです。
義援金を払わなければいけない訳でもないです。
少しの思いやりでも物事をグッと好転させるだけの力があります。
だから私から後輩の皆さんにお願いします。
この災害を、思いやりを、決して忘れないでください。
そして出来るならこのおにぎりのように、皆さんの思いやりを、周りの人たちに配ってください。
それが誰でもできる、最高の復興支援活動になるのだということを、知っていただきたいと思い、このメールを書きました。
長文ですみません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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あの東日本大震災から、早や5年が経ちました。
この時期になるとテレビや雑誌でも特集が組まれたりします。
しかし、まだまだ現地では避難所で生活をし、故郷に戻れない地区の人もたくさんおられます。
高校生の皆さんの中にはボランティアに行かれた人もいると思います。
これから、大学生になっても社会人になっても、いつも心のどこかで応援しようという気持ちが大切ですね。
それがオリンピック以上に、日本を一つにする大切な心かもしれませんね!!(^O^)
☆ドラゴン