でも、ガイドさんにオルドデリーや夜間の外出は、とても勧められないと言われ。
体調を壊した事もあって、急遽帰国前日の午前10時から、3時間くらいをランチなしで
オプションで案内していただきました。
ニューデリーは都市計画の下に新しく、建設された街で道路も広く真っ直ぐ、緑地帯も
沢山あります。でも其処を通る車と人々はインドの人たち、何がタマランといって
車のクラクションの音がこんなに人を疲れさせるとは思いませんでした。
ヨーロッパ方式で四つ辻は、ロータリー形式がほとんどで、慣れない人には、
運転すら大変だと思いました。
デリーで私が見たかった、タージーマハールの原型となったフマユーン廟はひと気も少なく綺麗でした
大統領官邸から、各官庁が両側に並ぶ真っ直ぐな路のずーっと先にインド門があります。
インド門を左折してオールドデリーに入って行くと、ムガール帝国の赤い砦ラール・キラーが右手に
もうこの前の交差点は大変な混み様で煩い・汚い・埃っぽいのでした。
オールドデリーの街は、路地がいっぱいに入込んでいて、那覇の国際通りの裏の市場通りの拡大版。
ガイドのkhannaさんはここで育ったといって、昔っぽいお菓子屋さんを懐かしがり、買い物。
日本のお団子屋さんみたいなものかしらね、自家製の“ういろう”のようなものでした。
ガイドさんと別れての午後と帰国日の午前中の2回連れ合いと街を歩いてみました。
とにかく「ヒマなのか」「親切なのか」「何かの意図があるのか」10歩歩けば声がかかる状態。
そして、ひつっこい。ずーっと付いて来る。言うことは大抵ショッピング、お店は~どこに行くのか?
車はうるさい、街は埃っぽい、人はぐちゃぐちゃ・・・・でとおっても疲れる街でした。
6日間毎日顔合わせていた運転手のRarjさん。ニューデリーに出てきて25年たつそうです。
ガイドさんと運転手さんが、毎日一緒にいてイヤにならない人達で楽しく過ごせました。
機上の人となって7時間、窓の向こうに富士山が見えて、あぁ日本だ。帰ってきた。
デリーの空港で二人で一致したのは、「日本に帰るのがこんなに嬉しいのは初めて」
ということで、連れ合いは「百万円もらっても、もうインドには行きたくない」と言ってますが、
私は「百万円くれるなら、また行くさ」と思っています。
って思いながら読み進みました
富士山の写真、素晴らしいですネ
お二人の気持ちが表れているような写真です
それでも、インドにはぜひ行ってみたいんです
生と死が一緒にあるって言うのが、私には難しすぎます。
最後の雲上の富士山☆凄いですね~♪
それと、お二人の心の声が最高に笑えました!
6月、ご一緒できる事をと~っても楽しみにしています^^
今は貧困とか見ると、気の毒とか可哀想が先にたち、旅が楽しめません。
ただ、世界中の世界遺産になっている遺跡を造った国々や人たち。
素晴らしい文明や技術やを持っていたのに、どうして今は違ってしまってるの?
栄華盛衰は世の常って言うけれど、戦後の60年を平和に過ごした日本。
この国は大丈夫なのかしらって思うこの頃です。
インドに行くときは、相談してね。
今回夫には「み~んな仕切られた」といわれておりますが、
次回はこうしたらいいなって案をちゃんと考えてありますからね