時間どろぼう

パソコンって私にとってはまるで時間どろぼう。
ブログでパソコン楽しみたいな。

大曲の花火

2011年08月30日 | 旅行

実は震災前から(いや昨年から)計画していた花火大会なんです。

母の事もあり、直前までどうなるかしらと思っていましたが、平素の行い良く

行くことができ、天気も最高の条件の下で観覧できました。

河川敷を埋め尽くす数十万人の期待を乗せて、東北元気になぁれと始まりました。

まずは、昼花火。7色の色彩雲と落下傘など落ちてきて楽しいです。

川の向こうに夕日が落ちるといよいよ夜花火。

競技花火なので、一つずつ会社の紹介があります。創作花火は音楽に合わせてです。

競技花火の合間に行われるスポンサー提供花火は、もう豪華絢爛。

しばし時間の経つのも忘れて見とれてました。

今回は7年前に続いて2回目でしたが、今度行く時は絶対に大曲駅周辺の宿を押さえて

行こうと思いました。

 


再び山里へ(母の事続き)

2011年08月24日 | 日常

8月初めに体調を崩した母の事がずーっと気がかりだったのですが、

再び母のもとで一週間を過ごしてきました。

兄のお嫁さんと姪の優しい介護のおかげで、随分と回復しました。

まず、アイスクリームと水しか口からは受け付けなかったものが

今ではちゃんとイスに座って自分の手で食事出来るようになったのです。

以前、ディサービスの現場でも何度も経験しましたが、

口から食べられるということがどんなに大切かがよくわかります。

食べられるようになって、手足が動くようになり、褥痩が改善し

身体も座ってちゃんとした姿勢を保てるようになりました。

夜中中、夢うつつの中で、しゃべり続けていたうわ言もおさまり

眠れるようになると、目覚めから午前中くらいは、ちゃんと会話できています。

午後のお昼寝から目覚めるとまたまた、混乱の中に引き込まれてはいますが・・・。

お経の教本をずっと読んでもらっているうちに何とか落ち着いてきます。

母の70代後半の6年間を一緒に暮らした姪の、毎年8月に戦争のテレビや

新聞の報道が始まると、“思い出すんじゃろうなぁ。いけんかったなぁ”との言葉に

高卒後18歳で家を出て以来、時々の帰省時以外母との日々のないまきこさんは

私たちが成長して、家を出てから父の死後一人で頑張ってきた母が、8月には、

特に成長させてやれなかった子達に想いがいっていたんだと分かったのでした。

で、今はというと、亡くなった子供達はもういいそうで、次々に思いもよらぬ事を

支離滅裂にしゃべってくれるので、どこまで真面目に相手をいいのか、次の日には

というか、一眠りしたらもうすっかり前の事は過ぎ去って次に移行しています。

でも今の私達には、ちゃんとご飯を食べて眠ってくれるだけでありがたいです。

兄嫁の愛ちゃんが、認知症を遅らせるという新しい貼り薬を貰ってきてくれましたので、

暫くはそれを貼りながら体力回復を待って、本人の強い希望の“大阪のお医者さん”

に見てもらえるよう頑張ってほしいです。

余談ですが、私が山里にいる間テレビは“なでしこjapan”の合宿報道で盛り上がってました。

その湯郷温泉はすぐ近く、いつもテレビに出てくる旅館の女将さんは高校の同級生。

母の卆寿のお祝いは、間宮選手がお風呂洗いをしていたという旅館“季譜の里”で

子・孫・曾孫まで一人も欠けずに行ったのでした。(もう、5年も前になりますか)

その後4人の誕生があり、今や母は10人の曾孫を持つ、ゴットマザーなんです。

 


猛暑の夜に花を楽しみました

2011年08月14日 | 日常

連日の猛暑の夜、月下美人が一輪咲きました。

今年は冬の寒さにやられてもう無理かと思っていたら、

日菜ちゃん達が滞在の最後に日にピッタリ照準を合わせて咲きました。

あま~い香りの大きな一輪に、皆で。一夜を楽しみました。

翌日、日菜ちゃん親子は、大混雑の羽田から札幌へと飛び立ちました。

大きなリュックに妹の結菜ちゃんのオムツを詰めて、ママに引かれていきました。

その日の羽田はお盆の帰省ラッシュのど真ん中。

いや~大層な人混みでした。

皆がゲートに消えた後、展望デッキに出てあの飛行機に乗ったのかな?

と思いながら、飛び立つまで見ておりました。

今週はアッキーを京都で、奈良のばぁばに引き渡して、

まきこさんは母の待つ岡山の山里に引きこもります。


母の事

2011年08月04日 | 日常

大正6年9月生まれ、もうすぐ満94歳になります。

こうして、穏やかにベットに座っていられたのもこの日が最後になりました。

昨年の暑い夏も今年の厳しい冬の日にも頑張って写経を欠かしませんでした。

でも、もうそれは出来なくなりました。

この夏急激に手・足・気力が衰えてきました。

お天気のいい日。山里の朝は霧の中です。

だんだん霧が晴れてスッキリした青空の下、皆はっきりしてくるのですが、

このところ母の頭はもうずーっと霧のかかった状態が続いています。

まるで蜘蛛の糸に絡められたように、記憶が北朝鮮からの引き上げと

その時2人の娘を亡くしたことから離れなくなってしまいました。

目が覚めると「川の水を汲んできて飲ませて。」と言います。

体力も落ちてきて、とても心配です。