車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大矢田(おやだ)神社と大矢田もみじ谷 in 岐阜県美濃市

2017年01月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

美濃市大矢田に鎮座される「大矢田(おやだ)神社」。御祭神は『建速須佐之男命・天若日子(あめのわかひこ)命・阿遅志貴高日子根(あじすきたかひこね)神』。

由緒「元正天皇:養老2年(716)、釈泰澄大師が当社に参篭して篤く尊仰し天王山一山を開基。広大な堂塔伽藍を建立して天王山禅定寺と称して頗る盛観をきわめ、社頭は牛頭天王社と称した。後奈良天皇の弘治2年(1556)、兵乱の類火に罹って一山残らず焼失。永禄2年(1559)仮の本殿・拝殿が建立され、その後、社殿・仏堂等を再建。霊元天皇の寛文12年(1672)8月、釈迦堂跡に現在の本殿が再建された。明治元年の神仏分離令により、仏堂等を廃し、旧牛頭天王社を大矢田神社と改称。明治六年美濃国郷社に列せられた。」現地由緒碑より

「楼門(仁王門)」は、享保8年(1723)の再建。三間一戸・桁行3間・張間2間の八脚楼門で、入母屋造り檜皮葺。上層部に花頭窓付の高欄があり、下層部左右には仁王像を安置。棟梁は『谷口五兵衛(京都)と広田平兵衛(美濃)』。神仏分離令後、大矢田神社境内に唯一残された仏式建造物として美濃市指定文化財に指定されています。

280年もの年月、風雪に耐えて仏域・神域を護ってこられた仁王像。

楼門の前左右より神域を守護されるのは、昭和13年(1938)6月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を手の下に、阿形さんは毬に手を重ねています。

お行儀のよい仔狛さん。

石段参道を黄金色に染める「ヤマモミジ」

石段参道途中の太鼓橋

乾いた音を立て、足元にまとわりつく落ち葉の朱赤。

長い石段の先、鳥居の向こうに拝殿が見えてきました。

寛文11年(1671)再建、切妻檜皮葺きの拝殿(国重要文化財)は三方が吹き通しで驚くほど開放的。

御祭神「天若日子命」に因んでか?弓と矢が奉納されています。

モミジの朱を背景に鎮まられるのは、寛文12年(1672)再建、総欅の流造檜皮葺、正面に千鳥破風唐破風付きの御本殿(国重要文化財)。

大矢田神社:伝承に「深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所(現・喪山天神社)に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた。平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた。」

中門と板塀に囲まれた本殿前より神域を守護されるのは、大正5年(1916)11月建立の狛犬さん一対。

吽形さんの胸にしがみ付く仔狛の、何と愛らしい事。

「神倉」と境内社「雄建神社」と紅葉と・・

神倉の屋根から下界を見おろす飾り瓦の獅子一対。

何だろう?この可愛らしさ。家でお留守番している仔を思い出してしまった(^^;)

境内社「荒祭若宮神社」

由緒碑

未だ朱に染まらぬ薄紅の花

社殿境内から見下ろす石段下

石段下、灯籠と磐座

境内社「天王天満神社」

境内社「華堂神社」

歌碑と太鼓橋

歌碑

「天保六乙巳年九月吉日」と刻まれた常夜灯。神仏混合の名残を残す石碑。

参道途中にある「直毘の滝」「穢より清にうつる時に成坐る神が直毘の神であります。直毘の神の霊的発動をお祈りする滝であります。この水は祓の大神須佐之男命のご鎮座ご守護下さる清池天王山の奥深く湧き出す浄水でございます。この滝にて人の心も身も清まり、大和心のふるいおこりて皇御国の守りとなることでしょう。」現地案内

何かの遺跡を思わせるようなコンクリートの高い壁

社家の門

境内を染めて舞い落ちる紅のモミジ葉。約3000本のヤマモミジの原生林には樹齢1000年以上の古木もあり、昭和5年(1930)に「国天然記念物」に。また2004年には「飛騨・美濃紅葉三十三選」の一つに指定されました。

地上に在るすべてが朱に染まる

木々を彩る紅葉、その木から離れて母なる大地にと散り敷いてゆく紅葉・・それはまさしく神が生み出す世界。春には花を愛で、夏には深緑の蝉時雨を聴き、秋には錦秋を見、冬には全てが純白に包まれる・・
長い年月の中で生み出されてきた天地の美を見る時、この国の民である事に誇らしさにも似た喜びを感じます。

記念碑

参拝日:2010年11月28日

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御祭神一口メモ

『天若日子命』、葦原中国を平定するに当たって高天原より遣わされた二番目の使者。大国主神の娘『下照比売』と結婚し高天原に帰らなかった為、雉の鳴女が使者に遣わされたが、それを天羽々矢で殺してしまった。その矢は『高皇産霊神』によって下界に落とされ『天若日子』は胸を射抜かれて死んでしまう。

阿遅志貴高日子根神』、「天若日子」と良く似ていた為、葬儀の折、天若日子の父「天津国玉神」に抱きつかれてしまう。穢わしい死人と一緒にされた事に激しく怒り、神度剣(かむどのつるぎ)で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。美濃の藍見にある喪山がその喪屋だとされる。・・・・神の世界は色々とスケールが大きく・・大変です(笑)


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