香取市津宮、水運盛んであった頃、香取神宮への表参道口として、多くの文人墨客が訪れたという「津宮鳥居河岸」。
【現在の鳥居は平成14年に竣工 この辺りの利根川は、もともと香取ヶ浦(香取の海)と呼ばれ、鳥居も水中に建ち「浜鳥居」と呼ばれた。香取・鹿嶋・息栖三社参拝の際はこの鳥居を潜った。ここに建立されている常夜灯(市指定文化財)は、明和6年(1769)に三社参拝の講中の人々が航路の安全を祈願し、香取神宮に奉納した。】案内板より
利根川に面して立つ香取神宮の一の鳥居を背にすると、正面方向に香取神宮の奥宮があります。 御祭神である『経津主大神』はこの場所より上陸され、香取の地に鎮まったとされます。
常夜灯の傍らに『与謝野晶子』が明治34年(1901)に津宮に立ち寄った際に宿屋で詠ん句。【かきつばた 香取の海の津の宮の 宿屋に上る 板の仮橋】
ここは「大坂の井」と呼ばれる湧き水ですが、香取神宮の公式ページには特に記述がありません。 一応水中鳥居もあり神域なんだろうとは思いますが・・・井戸と言うイメージには程遠い。
表参道「一の鳥居」は、車を走らせている時に見かけたもので、撮影も横着に車内から😓
駐車場に車を入れたら、ここから社前町の雰囲気を楽しみながら、香取神宮への参拝スタート。
香取市香取、「亀甲(かめがせ)山」と称される丘陵上に鎮座される「香取(かとり)神宮」。御祭神は『経津主大神』。 朱塗りの二之鳥居の奥は、深い緑に包まれた長い参道。
二之鳥居をくぐってすぐ左手に「護国神社」「亀石」。さらに「奥宮」に至る参道。参道途中には「今井邦子:第三歌集:紫草」の中より抜粋した詩歌碑。【いつきても 胸すかすかし神宮の しつけき森に いろつく楓】
詩歌碑を後に、更に上に続く参道の途中に建立された「護国神社」の鳥居。
鳥居の奥の古い手水鉢には、鹿の角をあしらった「鹿角」紋が浮き彫りされています。 香取神社の神使いは「鹿」。もしかしたら古い時代に神紋として存在したのかもしれません。
「香取護国神社」は昭和21年9月創建、『明治以降の国難で殉じた香取郡出身者』が祀られます。
「護国神社」の横を抜けた先に、石の垣に囲まれた「要石」。「要石」は「鹿島神宮」と「香取神宮」にあって、地震を鎮める「霊石」とされます。
古来、地震が起こるのは、地中に大きな鯰が住みついて荒れ騒いでいる為と信じられていました。 そこで香取と鹿島の大神は、地中に深く石の棒をさし込み、大鯰の頭と尾を刺し通し鯰が暴れないようにしたと云います。 香取の要石の地上部分は丸く、地中深く伸びた石の杭で大鯰の尾を押さえつけているとされます。
「要石」のすぐ近くに鎮座される「末社:推手稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神』。
ささやかな小祠ですが、ちゃんと神使いの狐さんが神域を守護されています。 向かい合った形ではなく、同じ方向に体をむけて頭だけを後ろに回して阿形さんを待つ吽形さん。こういう独特の動きのある神狐さんは見ていても楽しく、作者の独創性が感じられます。
さらに旧参道を進むと、入り口に「欄柵(こまよせ)」をまわした雨乞塚。 説明には「聖武天皇天平四年(732)、この地が大旱魃の時、祭壇を設け雨乞いをした処」とあります。
奥に進むと左手石段の手前に「天真正伝神道流始祖:飯篠長威斎(いいざさちょういさい)墓(県指定史跡)」の案内。 「天真正伝神道流」は、室町時代に形成されたわが国最古の権威ある流儀として知られています。
墓碑は緑泥片岩で上部を欠き、その面には「飯篠伊賀守長威大覚位」の陰刻。
【ある日、家直の家人が香取神宮の神井で馬を洗っていたところ、人馬ともに突然死亡した。これを見た家直は、香取の神の不思議な力を感じ取り、香取神宮境内の梅木山不断所に千日籠もりの修行をし、ついに剣法の奥義を極めるに至ったのである。】墓所案内より
もしかして、家直の家人が馬を洗った香取神宮の神井って、あの「大坂の井」??
元の道に戻って右手、境内の西方には「奥宮」が鎮座。『経津主神の荒魂』が祀られます。
奥宮の社殿造営には、昭和48年(1973)の伊勢神宮御遷宮のおりに下賜された古材を使用。 この20年に一度の「お伊勢さん」の古材は全国の神社に譲渡され、社殿の御用材として大切に受け継がれています。
香取神宮~其の二に続きます
参拝日:2014年5月18日&2019年3月15日
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