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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

白髯(しらひげ)神社 in 滋賀県高島市鵜川

2025年05月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

高島市鵜川に鎮座される「白髯(しらひげ)神社」。御祭神は『猿田彦命』。国史見在社(こくしげんざいしゃ)で、旧社格は県社。別称「白鬚大明神」「比良明神」とも称され、全国にある白鬚神社の総本宮とされます。

由緒「近江最古の大社で、社記によると垂仁天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命が社殿を御創建、天武天皇(第40代)の白鳳3年(675)勅旨を以て「比良明神」の号を賜るとある。 当社の縁起は謡曲「白鬚」<観阿弥(かんあみ)作>にも謡われ、日本全国に約300の分霊社が祀られている。 御祭神の猿田彦命は、天孫 瓊瓊杵尊降臨の際に先頭に立って道案内をされた神で、導き・道開きの神として知られている。当社にお祀りされている猿田彦命は白髪で白い鬚を蓄えた老人のお姿で、御社名の由来にもなっている長寿神である。」公式HPより

「近江最古の大社」として厚い崇敬を受け、『豊臣秀頼公』の寄進により慶長8年(1603)に造営された本殿は、間口三間・奥行三間の入母屋造で、向拝一間を付し、屋根は檜皮葺。棟札等から、『片桐且元』を奉行として播磨国の大工の手で建てられたとされ、国重要文化財に指定。

拝殿脇から境内を抜けた一番上手に鎮座されるのは「岩戸社」。古墳の石室は天の岩戸とされ、大切に祀られています。

「岩戸社」の右手には、古代祭祀の跡とされる「磐座」が鎮座。

「海上安全心願成就」の文字が刻まれた「永代常夜灯」は、京都の『近江屋藤兵衛』によって天保4年8月に奉納。以前は湖岸で灯台としての役割を果たしていました。

境内入り口近く、安政4年に芭蕉門下によって建立された芭蕉47歳の句碑。

【 四方より 花吹き入て 鳰(にほ)の湖 】

境内には他にも幾つか歌碑が残されており、下は『紫式部』が、越前国司として赴任する父に従って、この地を通った時に詠んだもの。 

みおの海に 網引く民の てまもなく 立ちゐにつけて 都恋しも】

大津市出身の歌人『中野照子』歌碑

【吹き晴れて 藍ふかまれる 湖の 光となりて かへりくる舟】

揺らぐさざ波に影を映す「湖中鳥居」、そのはるか沖合にかすんで見える「沖の島」。それは夢のように淡く美しく・・大昔より、白鬚明神前の湖中には鳥居があったと伝えられ、室町時代の屏風絵「近江名所図」や、江戸時代に描かれた当社の縁起絵巻にも、湖中の鳥居が描かれています。云い伝えには、古来より、波打ち際に鳥居が見え隠れしていたとも、天下異変の前兆として社前の湖中に石橋や鳥居が突然姿を現したとも・・・この神秘的な由来に基づいて実際に鳥居が建てられたのは昭和12年(1937)、大阪の薬問屋『小西久兵衛氏』の寄進によってでした。

境内の内側から見る琵琶湖、目の前を走る国道161号線、昭和56年(1981)に建て替えられた湖中鳥居、沖ノ島・・・湖上交通の盛んであった時代、琵琶湖を行き交う船人たちは、この鳥居の奥にある神々を拝し、道中の安全を祈願し、向う旅先が間違いのない善きものであるようにと願ったのかもしれません。

参拝日:2005年9月11日

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一口メモ

「国史見在社(こくしげんざいしゃ)」、延喜式に先行する「六国史(りっこくし)」に記載のある神社。特に巻9、10の延喜式神名帳に登載されていない、式外社(しきげしゃ)について用いられる。



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