加賀市大聖寺敷地に鎮座される「菅生石部(すごういそべ)神社」。御祭神は『菅生石部神(天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の三柱)』。式内社で加賀国二宮。
由緒「むかし疫病が流行しそれを鎮めるために用明天皇元年(585)に宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地にお遷しになり、あわせて五穀の豊穣を祈願したことにはじまる。中世には越前國三ノ宮、後に加賀國二ノ宮となり、京都の北野天満宮領として天神信仰が盛で、明治期には國弊小社に列せられる。 往古より正親町天皇の頃まで一年二度の居入祭には勅使が参向し、御衣神宝を奉まつるなど朝廷の崇敬篤く、木曾義仲・冨樫昌家・足利義持・豊臣秀吉・山口玄蕃等部門武将深く尊崇。」公式HPより
「敷地天神」の名残を伝える古い「神牛像」。
参道に建つ神門は総欅作り唐様の楼門で文政9年に完成(加賀市指定有形文化財)
随神門内では美しく彩色された端正なお顔の随神さんが、ともに神域を守護されています。
こちらの神社、2011年にご亭主殿と二人。2015年は御朱印を頂く為にJさんが加わって二度目の参拝。四年前も今回も、境内の雰囲気は同じ・・ああ!そうそう、鳥居の額が新調されてました。
拝殿前左右より神域を守護されるのは、アゴの切れ上がった明治40年(1907)生まれの加賀狛犬さん一対。口角を上げて笑っている様子が、いかにも「悪るっい!!」顔っぽくて、結構好き(笑)
そういえば拝殿の横に、多分、先代さんさんと思われる禿(かむろ)狛犬さんがいました。阿吽の一対は、どちらも上半身だけ・・このまま土塊に還るのを待つのでしょうか。
拝殿の左右に奉納された「神馬」「神牛」には、いずれも「十六菊花紋」の神紋。
広い境内にはまだまだ沢山の見所がありますが、続きは~Ⅱ~で。
参拝日:2011年10月11日&2015年10月22日
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