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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高島市内~ あちこちウォッチ in 滋賀県高島市

2025年06月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

高島市安曇川北出に鎮座される「安閑(あんかん)神社」。御祭神は『安閑天皇(継体天皇の皇子)』。文禄年間に権現堂として創祀され、文化元年に現在地に再建されたと伝えられます。

「安閑神社」境内にある二つ並んだ左手の石は「神代文字の石」。絵画とも文字とも判別のつかない陰刻があり、古くから神代文字の石として伝えられています。

「字とも絵とも判別のつかない陰刻がされた石である。 元は知らないで橋に使われていたというが、一説には古墳の一部ではなかったか、とも言われる。 この陰刻の解明は未だなされていないが、この種の記号文字は神代文字と呼ばれ、不思議な歴史の貴重な遺産である。」添現地説明より

実際に見てみると、文字とも記号とも言えるものが、何らかの意図を持つごとく刻まれています。実際に見た訳ではありませんが、これと実に良く似た石が遠く九州地方にもあるとか・・と言うことで、「神代文字」をアップで・・・・何が見えてきましたか?

神代文字石の隣にあるのは「大井子の力石(水口石)」。この石は水争いを止めるために、力持ちの娘が夜の間に水口を塞ぐ為に置いた石だそうで、鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にも収録されています。

高島市安曇川町田中の南市交差点南西隅の緑地帯に一基の道標が保存されています。正面に「石敢当(いしがんとう)」、右側面に「すぐ北国海道」、左側面には「すぐ京大津道(きょうおおつみち)」、裏面は「天保(てんぽう)十三年壬寅(みずのえとら)春正月安原氏建之」とあります。ちなみに「石敢当」とは、中国大陸から伝わった一種の魔除けの民間信仰の石造物で県内では唯一の道標だそうです。

高島市安曇川町上小川に鎮座する「藤樹神社」境内の一画に建立されていた高島市指定文化財の「庚申塔」。製作年代は江戸時代と言われています

舟形光背のなかの「見ざる・聞かざる・言わざる」。長い年月が流れたと思いますが、何を見ず、何を聞かず、何を言わずに過ごしてこられたのでしょう・・

高島市新旭町藁園にある「道の駅:しんあさひ風車村」近くの、琵琶湖岸に広がる「夕暮原浜公園」

湖畔に建立されている銅像は、琵琶湖治水の先駆者『藤本太郎兵衛』。親・子・孫の三代にわたる50年余の歳月、私財を投げ打ち、命をかけて瀬田川の治水に心血を注いだ「御救い大浚え」の大事業の顛末、是非ご自身で検索してみてください。

旧新旭町庁舎に建立されていた新旭町名誉町民『清水安三先生』像。戦前の中国、戦後の日本で、子どもたちに愛を込めての教育に生涯を打ち込まれた人物だそうです。

高島市誕生記念に建立された碑「順天應人」。天の意思に従い 人々の期待に応えるという意味だそうです。

高島市勝野にある「萩乃露」。江戸時代中期の寛延年間(1748~51)に創業。以来、260年以上にわたり近江の地 高島町勝野で酒造りを続けています。

JR西日本湖西線「近江高島駅」前には小人族の城と、難破した小人族の船を曳いて救助する「ガリバー」の姿がモニュメントになっています。

写真の構図によっては後方の町の景色までもが小人族の建物に見えるモニュメント。いろんな意味で凄いと思います。

高浜市今津の警察署前の交差点では、観音様もちゃんと手を上げて横断します。え!?観音様じゃなくて女神様だって!う~~~ん、似たようなものでしょ😄

訪問日:2016年6月13~14日



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