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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

白山信仰の町~其の一 in 岐阜県郡上市白鳥町

2020年05月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

白山信仰の町として知られる「白鳥町」、その 基点となる美濃馬場に鎮座される「長滝白山(ながたきはくさん)神社」。主祭神は『菊理媛神(白山比咩神・白山権現)』『伊弉諾尊・伊弉冉尊』

参道途中には石造りの太鼓橋があり、その先に濃い緑に包まれた境内が広がっています。

「長滝白山神社」は、日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つで、白山信仰の美濃国側の中心とされます。明治維新以前は「白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ)」と称していましたが、神仏分離令により、「長滝白山神社」と「長瀧寺」に分離。両社寺は今も同じ境内にあり、参道から右側が長滝白山神社になります。

「本坪鈴」後方の格子から拝観させて頂いたご本殿:白山三社、中央に「天御前(あまのごぜん)社」、左右に「越南智(おなんじ)社・別山(べっさん)社」

1月6日、別名「花奪い祭り」と呼ばれる例祭では、この拝殿で「延年の舞」が古式ゆかしく奉納される中、拝殿天井に吊るされた桜、菊、牡丹、椿、芥子の五つの花笠を参拝者が奪い合います。この花を持ち帰ると家内安全・商売繁盛などの御利益があるそうで、国重要無形民俗文化財に指定されています。

拝殿前より神域を守護されるのは、いわゆる岡崎現代型と呼ばれる狛犬さん。見た感じからしてさほど古いものとも思えませんが、折角なので登場願いました。・・岡崎型には冷たい御亭主殿の所為で撮影者は私😅

参道・左側に位置する 「白山中宮 長瀧寺(ちょうりゅうじ)」『釈迦如来』を本尊とします。(本堂画像はパンフレットからの転載。)

伝承によれば、養老元年(717)、法相宗の寺院:白山中宮長滝寺として泰澄が創建。天長5年(828)に天台宗に改められ、古くから白山信仰と深いかかわりがあり、郡上郡一円に大きな宗教的勢力として君臨したと云います。参道脇の絵図には往時の坊跡が記されており、その勢力の一端を窺うことが出来ます。

それほどの規模を誇りながらも、明治32年(1889)の火災により堂宇や宝物の一部を焼失。現在の堂宇はその後に縮小して再建されたもので、阿名院、経聞坊及び宝幢坊の三つの坊院が残されただけとなりました。とは言え、これらの建物の写真・・一切ありません😱

どのような日照りの夏でも決して枯れる事がないと云う「延年水」の建屋。その水が流れ込む池の中央には「弁財天」が祀られています。後方の高台に僅かに見えている建物は「薬師堂」でしょうか?

境内の外れに建立されていた「瀧泉院:弘法堂」、弘法の名からもわかるように、真言宗の建物です。それが何故天台宗の寺院境内にあるのか・・理由は不明。

天台宗の寺社境内に真言宗のお堂・・この当時はそんな不思議などまったく考えず、美しく彩色された欄間や木鼻の象鼻に心惹かれ、デジカメを向けていました。下はその一部分ですが、あまりにも鮮やか過ぎる色合いは、もしかしたら最近手が加えられたのか・・とも思えます。

 画像が無い割には終わらない「長瀧白山神社」と「白山中宮長滝寺」。明日は2018年に散策した境内の画像を交え「白山信仰の町~其の二」を。 

参拝日:2012年5月20日


小野八幡神社 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市八幡町小野に鎮座される「八幡神社」。「郡上八幡」の地名の由来となった神社で、地名より「小野八幡神社」と称され、また天満宮も祀っていることから「小野天満宮」とも呼ばれています。

御祭神は『誉田別命・菅原道真公』。昨日のブログでちょっと触れた「日本で一番多い「八幡様」と三番目に多い「天神様」」がご祭神です。

社伝に「鎌倉時代初期、『順徳天皇』の初夢に「都から北東の地で、人畜に危害をもたらす鷲がいる。これを退治しなさい。」との霊夢があり、直ちに『藤原(鷲見)頼保』を派遣。美濃国厚見郡の長良川にたどり着いた頼保が、川上より「八幡」の文字が浮かび上がった鷲の羽を見つけ、この羽を持って上流へ向かい、鷲ヶ岳にてその鷲を退治し、長良川で見つけた「八幡」の羽を頼保が岩の間に差し込み、村人に祀るように伝えたのが始まりという。また承久2年(1220)に「八幡大神」を勧請したものとも伝える。創建時の社殿は、現在の郡上八幡城の位置であったが、永禄2年(1559)、『遠藤盛数』が郡上八幡城を築城の際、現在地に遷座し、以後同氏や歴代郡上藩主の崇敬を受けた。」

八幡神社拝殿前より神域を守護されるのは、昭和7年生まれの狛犬さん一対。このタイプは滋賀県の神社などでよく見かけますが、石工さんはそちらの出自の方でしょうか?

「小野天満宮」の御神体は、約1mの白石の中に、黒い『菅原道真』の姿がある御神岩。郡上藩領であった越前国小山荘の真名川(九頭竜川水系)で発見され、『金森頼錦』により祀られたと云われています。

天満宮の拝殿前で神域を守護されるのは、立派な角を持った神牛さん、左の角の鈴は誰がかけたのでしょう?黒く大きな牛なのに、なんだかとても愛くるしく見えますね😊

参拝日:2018年10月13日


郡上八幡の神仏たち in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

限られた一画だけの町歩きですが、古くより開けた郡上八幡では、様々な神仏と出会う事ができます。八幡町左京町に鎮座される「左京稲荷神社」もその一つ。名前の由来となった『金森左京』は、元郡上藩主『金森頼錦』の分家で、本家が宝暦の百姓一揆で断絶した時にも、ただ一人だけ特に存続を許され、明治維新まで栄えたと言います。この稲荷神社は、その『金森左京』の守護神として、今日も一家の繁栄を願う多くの人々に崇敬されています。

この「左京稲荷神社」に伝えられている「三不思議」なるもの、一体どんなものかと興味深々で内容を読んだのですが、一つは「鳥居」の建立に関して、二つは鳥居額を書いた人物に関して、三つは奉納された手水や灯篭の寄進者は?といった類。歴史的に紐解けば不思議なのかもしれませんが、ちょっと拍子抜けの内容😅

一瞬「ご当地マンホール」か?!と・・ぬか喜びさせた、稲荷町二丁目のモニュメント。道路にこういう形状のものを設置するって・・・マンホール大好き人間への挑戦ですか?😅

「やなか水のこみち」から程近く、八幡町稲成町には、その名の通り「谷中稲荷神社」が鎮座しています。ちなみに日本で一番多い神社は「八幡神社」で、以下「伊勢」「天神」と続き、四位が「稲荷神社」だそうです。

実は私、個人宅や工場などの屋敷神としても信仰を集める「稲荷神社」が一番多いと思っていたので、この結果には些か驚いています。が、もしかして個人で祀る社はカウントされていないのかもしれませんね。それはともかく、続いてはは八幡町肴町に鎮座される「白龍稲荷神社」

当時人々を苦しめた疫病を鎮めるために創建されたそうで、この岩山そのものが、神の使いであった「白蛇」の修行場と云われています。白蛇と稲荷神・・その関連性は何処に?? 疑問はさて置き、拝殿へ詣でるにはかなり急な石段を上らねばならず、残念ですが参拝は諦めました。

八幡町島谷に門を構える真宗大谷派寺院寺院「竹林山:願蓮寺」『阿弥陀如来』を本尊とします。

 明応3年(1494)、山田庄の地頭で東氏の家臣であった『石神兵庫』が、越前吉崎に滞在していた『蓮如上人』の弟子となり「願蓮寺」を創立。天正13年(1585)に、八幡城主『遠藤慶隆』により今の地に移転されました。

大田川に架かる新橋を渡った先に、山肌をくりぬいて作られた祠があります。内には「馬頭観音」「神農薬師」が安置され、祠の前には一対の狛犬が奉納されています。同じように奉納された幟の清潔な白さが、地域の方たちに大切に信仰されている事を伺わせています。

先ほどの祠からさほど遠くない通りの、山際に建立されていた祠。内には四体の石仏が安置されています。祠の前には「南無観世音菩薩」と刻まれた碑が建立されていますが、生憎と側の案内の画像を残していなかった為、詳細は不明。

 訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日


サンプルの町:郡上八幡 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上八幡の町歩き、今回は見て楽しんで、作って楽しめる、もちろんお土産にもピッタリの郡上八幡の名物の紹介。

レストランやカフェなどのショーウインドウに並んでいる、いかにも美味しそうな料理にドリンク。作り物だとわかっていてもそのリアリティさが、記憶の中の味や香りを引き出させ、思わずフラフラっと吸いよせられてしまいますよね。

ここ郡上八幡は、日本屈指の食品サンプルの町として全国的にも知られています。この食品サンプルの産みの親と言われるのが、昭和7年(1932)に大阪で食品サンプルの事業化に成功した『岩崎瀧三』。食品サンプルの第一人者として一躍有名になった彼は、昭和30年(1955)に生まれ故郷であるこの地に岐阜工場を設立し、多くの後継者を育てました。新橋を渡った先には彼の生家でもある「岩崎サンプル工房」があります。

【本物よりも“ホンモノらしい”食品サンプル】を目指して研鑽を重ねた成果は、日本は勿論、海外でも高く評価されています。

八幡町殿町、市街地で最大の売り場面積を誇る「流響の里」では、地元食文化の発信を掲げて、様々なものが展示&販売されています。その多彩さは、店内を見て周るだけでも充分に楽しめるほど。実際に二度の郡上八幡訪問では、二度とも立ち寄っています。

ここには「サンプルビレッジ・いわさき」のサンプルが沢山展示されており、どれもこれも本物以上に本物っぽく、ガラス越しでない分、より美味しそうに見えます。甘辛い煮汁を何度も何度もかけて煮る・・出汁のしみた煮魚の味が口中に蘇って、思わず生唾が・・・「ゴクリ!」

郡上八幡にある食品サンプルの店として有名なのが、築百五十年の町家を改造した体験型ショップ「さんぷる工房」。ここも2012年と2018年の二度に渡っての訪問。

店内に並んだ小物は、どれもこれもリアルなのに可愛く、ついつい目移りし、気がつけば、こんなに買ってどうするの?状態、・・仕方なく減らしましたが、却下の品を選ぶのにまた一苦労😅

お店から奥に進むと「土間」と呼ばれる通り庭があり、そこが「さんぷる工房」の体験コーナーになっています。この日も希望者が「レタス」つくりに挑戦中。さらに奥に進んだ工房内では数人の方がサンプルの製造中。見学も出来ますと書かれていたので、息をひそめて・・しばしその技に見とれて来ました。

本物より本物らしいサンプル、店内では二つの同じ商品を見比べてどっちが本物かを当てる「本物当てクイズ」のコーナーもあります。見分けるコツなんてもちろんある訳もなく、それでも一生懸命凝視して・・結果、意見が分かれ、軍配はご亭主殿に😣

あれもこれも、思わず手が出そうなサンプルの数々ですが、どうもこの「黄金の伊勢海老と海老フライ」は流石に・・・😅 、他に「黄金のいくらの軍艦巻き」や「黄金のアナゴの握り」などが展示されていましたが、見た瞬間に「秀吉の黄金の茶室」を連想して、思わず苦笑😓。

郡上八幡の町歩きのそこかしこで目にする「食品サンプル」。どれを見ても興をそそられるものばかりで、サンプル巡りだけで優に一日を費やしてしまいそう。某新聞販売店のディスプレイの魚たち、手掴みした瞬間にピチピチと跳ねそうですよね。

この「剥きかけのりんご」と、「雑誌に掲載されたラーメン」にしか見えないサンプルは、旧庁舎記念館の中に展示されていたものですが、手法の面白さもさることながら、完成度の高さが半端ないです。

 本当はまだまだ紹介したいサンプルが一杯なのですが、もうどれだけ書いてもキリが無いので、最後に・・見た瞬間に目が点になった面白サンプルを・・山盛りの千切りキャベツの上に乗せられた「ゴジラの丸ごとフライ」。お味はきっと火を噴く激辛😡ですね。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日


水の町:郡上八幡~其の二 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

「水の町:郡上八幡~其の二」は、町歩きの拠点とも言える「旧庁舎記念館」の向かいから。

美しい湧き水の傍らに「犬啼き水神」と呼ばれる石像が安置されています。傍らに詳しい説明がありますが、要約すると「万廷2年(1861)の猛暑の中、藩主の奥方が病床に臥した為、古田栄左衛門が、氷室に貯蔵していた犬啼谷の湧き水で作った氷を献上し、奥方の病を癒やした。そこで犬啼谷に氷田を築き天然氷の製造を奨励、その工事のさなかに一対の男女像を発見し水神として祀ったが、明治27年の豪雨で山崩れになり、水神もろとも流失。昭和30年(1955)、犬啼谷での上水道工事中に土砂の中から2体の石像が発見され、堂宇が建立された。」と・・そのまま、日本昔話から現代へと繋がる、ドラマのような顛末。

 市街地の中央を流れる「吉田川」は長良川最大の支流で、郡上八幡の景色に欠かせないものです。夏の風物詩としてすっかり有名になった、新橋の上から飛び込む少年たち・・大人の男になるための通過儀礼ともいえる行事で、決して面白半分に行われているものではありません。私の場合は高所に水と、怖いものが二つ揃った情景で・・いやもう・・言葉にならない😱

その吉田川の支流「小駄良川」には、川にせり出すように建てられた3階建て、4階建ての家々が立ち並びます。川岸に設けられた遊歩道から見る何気ない日常の景色、これもまた「水の町:郡上八幡」ならではのもの。

色々と見所がいっぱいの郡上ですが、何と言っても外せないのは、毎年7月中旬から9月上旬まで、延べ32夜に渡って開催される「郡上踊り」。日本三大盆踊りの一つで、踊りに唄われる「郡上節」は、三大民謡にも数えられています。町の中心駅である「郡上八幡駅:スタンプ」は、郡上八幡城と、郡上踊りの踊り子さん。

郡上八幡に来る途中の長良川に架かる「勝更大橋 」で見つけた、郡上踊りの振りをデザインしたレリーフ。(三枚を便宜上一枚に加工)

郡上市八幡町大手町には、力強い手振りで拍子をとる男衆、優雅な手振りで艶やかに踊る女衆の像があります。これで音楽でも流れると、一層雰囲気が出るのにね😄

色の無いブロンズ像では今一つ雰囲気が・・と言う方には、「大垣共立銀行八幡支店」の入り口シャッター😅。「郡上踊り」の艶やかな姿が町並みと並んで描かれています。

漫画チックがお好みなら、「新町通」のアーケード上で踊る踊り子さんたちは如何?

旧庁舎記念館の入り口近くには、「国重要無形民俗文化財・郡上踊り」の有名な歌詞、【郡上の八幡出て行く時は 雨も降らぬに袖しぼる】の碑。

歌碑と言えばもう一基、先日紹介した「旧林療院看護婦棟」の前に、昭和6年(1931)に郡上八幡を訪れた『野口雨情』が、郡上節の歌詞として作詞したものが建立されています。

【今夜逢いませう宮ケ瀬橋で 月の出るころ のほるころ】

八幡町島谷にある、天正8年(1580)創業の老舗「郡上本染 :渡辺染物店」。「筒描(つつがき)」と呼ばれる伝統技術は、岐阜県重要無形文化財の指定を受けています。

店の奥まった一角に並ぶ藍甕、そこから生み出される本藍の美しさは「ジャパンブルー」として海外でも高く評価され、また藍甕の上に飾られた鮮やかな鯉のぼりは、郡上の冬の風物詩「鯉のぼり寒ざらし」としても知られています。

町全体が長い歴史を有する郡上八幡、実際にどの店も、いったん足を踏み入れてしまうと、そこから立ち去るのがあまりにも惜しい・・・元祖肉桂玉本舗として明治20年の創業以来、変わらぬ味を作り続ける「桜間見屋(おうまみや)。店内に一歩入った瞬間に、ツンと鼻をつくニッキの香り・・・口中に独特のあの辛さが蘇るようです。

カフェ和雑貨の店「さいとう」。母屋は慶応年間の建築で登録有形文化財の指定。母屋に設けられた「齋藤美術館」では、『狩野深信』の龍の図や、時代絵巻の屏風、江戸時代の古今雛の御殿雛飾りなどが常設されているそうです。

 訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日


水の町:郡上八幡~其の一 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

「統一された町家と水利施設が一体となって歴史的風致を伝えている」として、国の伝統的建造物保存地区の選定を受けた歴史風致地区「城下町:郡上八幡地区」。

郡上八幡城を下った先に、浄土真宗大谷派寺院「光耀山:長敬寺(ちょうきょうじ)」があります。慶長6年(1601)、八幡城主『遠藤慶隆(よしたか)』は「古今伝授(こきんでんじゅ)」の祖といわれる『東常縁(とうつねより)』の玄孫『正勧坊正欽』が、飛騨高山の「照蓮寺」にいると聞き、これを招いて「長敬寺」を創建、自らの菩提寺としました。

「長敬寺」の塀に沿って作られた「御用用水」と呼ばれる水路。寛文年間(1660年頃)に城下町の整備をすすめた「城主:遠藤常友」が、防火の目的のため四年の歳月をかけて築造したものです。

この町並みの特徴のひとつに、隣家との間に設けられた「袖壁」があります。「袖壁」は屋根の軒出しを支えるとともに、密接した家々の防犯や延焼を防ぐために設けられました。

家々が密集する郡上八幡の城下。かって2度の大火に見舞われた郡上八幡は火事にはとても神経質でした。 今でも家々の軒先に下がる消化用バケツはいわばその伝統のなごりともいえます。

国文学者として知られる『折口信夫(釈迢空)』は、大正8年(1919)の夏の終わりに郡上八幡を訪れましたが、直前に起きた北町大火により町の半分が焦土と化していました。その災事を詠んだ「釈迢空の歌碑」が新橋のたもとに建立されています。書は『釈迢空』自身によるもので、この新橋のたもとが大火の最後の鎮火地点だったそうです。

【焼け原の まち(町)の最中(もなか)を行く水の せゝらぎ澄みて 秋近づけり】

町歩きで目に付くのが、「水舟」と呼ばれる郡上八幡特有の水利用のシステム。観光用の「水舟」は、旧庁舎記念館の前を始め、町歩きの様々な場所で見る事ができます。

「水舟」とは、湧水や山水を引き込んだ二槽または三槽からなる水槽の名称で、最初の水槽は飲用や食べ物を洗うため。次の水槽は汚れた食器などの洗浄に使い、そのまま下の池に流します。流れ水の中に残った食べかすは、池で飼われている鯉や魚のエサとなり、水は自然に浄化されて川に流れこむ、この上なく自然に優しいしくみになっています。

郡上八幡の湧水として最も有名なのが、宮ヶ瀬橋近くに湧き出る「宗祇水(別名白雲水)」。江戸時代には、郡上藩主『金森頼錦』や『遠藤常友』等らによって泉の保存が図られ、また近代においては、環境省が選定した「日本名水百選」の第1号にも指定されました。

文明3年(1471)、連歌の宗匠『飯尾宗祇』が、郡上の領主『東常縁』から「古今伝授(古今和歌集を教える)」を受けて京へ戻る際に歌を詠み交わしたと言う、澄んだ泉のほとり。

【もみじ葉の  流るるたつた白雲の  花のみよし野 思ひ忘るな  常縁】【三年ごし  心をつくす思ひ川  春立つ沢に 湧き出づるかな 宗祇】

水の町・郡上八幡の中で、しっとりと落ち着いた佇まいを見せているのが、「やなか水のこみち」と呼ばれる路地。

路地全体に敷き詰められた玉石の数は、町の名前に因んだ八万個の長良川と吉田川の自然石。

玉石の通路にさり気なく置かれたモニュメント、最初はマンホールかと思って小躍りしたのですが、流石にそれは無かったようです。

玉石の道沿いに流れる水路、さやかな風の気配にも敏感に応える柳の並木、立ち並ぶ家屋敷はどっしりと落ち着いた佇まいを見せ、訪れた旅人を心地よく迎えてくれます。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日


郡上八幡の文化財「建物編」 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市の中でも特に旧八幡町には数多くの歴史的な建物が存在し、私たちを楽しませてくれます。

郡上八幡の玄関口は、文化財指定の「長良川鉄道郡上八幡駅」。東面して建つ本屋は、桁行一三間半梁間三間半、切妻造平入、切妻玄関付の木造駅舎で、正面及び妻面は人造石洗出し仕上げとなっています。

本屋だけでなく、プラットフォームや待合所も、同じく文化財の指定。緩やかに湾曲する木造上屋付の玉石積プラットホーム。上屋は延長四〇メートルで、傘形に組んだ古レールで支えられ、小さな待合所は、腰を下見板張とし、三面に連続窓が設けられた開放的な形式となっています。

 上下のプラットホームをつなぐ「跨線橋」も登録有形文化財、とえりあえず全体的に凄い😄

郡上八幡の町歩きは、郡上八幡城登城口からと、郡上八幡旧庁舎記念館からのコースがあります。2012年の訪問では「郡上八幡城下町八幡プラザ駐車場」に車を入れて、2018年では「旧庁舎記念館」前の駐車場に車を入れて、町歩きを楽しみました。

新橋のたもとにある「郡上八幡旧庁舎記念館」。建物は非対称型になる木造2階建の洋風の庁舎で、内部は一階が町政執務関係、2階が議会関係に使用されていました。施工は地元の大工棟梁『水谷藤兵衛』によるもので、昭和11年(1936)の建造。

外壁は軒廻りを除き下見板張として縦長の窓を配し、 正面には玄関ポーチが付けられています。もと「郡上八幡町役場」だった建物は国の登録文化財指定で観光協会もかねており、館内では特産品の展示&販売なども行われています。

どれもこれも興味深いものばかりですが、特に印象に残ったのが「GJ(ジー・ジェイ)8マン」の記念グッズ。実はこのキャラクター、郡上八幡に魅了された『さくらももこ』さんが、勝手に生み出したイメージキャラクターなんだそうです😊。

郡上八幡と言えば何と言っても有名なのは「郡上踊り」。店内には郡上踊りになくてはならない「踊りげた」や、郡上の魅力が一杯詰まった「結屋」特性の手拭が並んでいます。

吉田川に架かる新橋から見た「郡上八幡旧庁舎記念館」。横からのフォルムも素敵😄。

旧庁舎記念館の斜め向かいにある洋風外観の「郡上八幡樂藝館」は、明治37年(1904)に建造された「旧林療院本館」。木造2階建の擬洋風の外観で知られた医院で、玄関ポーチはイオニア式オーダーの円柱を立て、軸組は伝統的な和風で仕上げられています。

旧林療院の背後に建つ小規模な2階建の洋風建物は「旧レントゲン棟」。大正初期の建造で、1階は土蔵風となっていますが、全体として本館を意識した意匠にまとめられています。県下でレントゲン施設が最も早く設置されたと伝えられており、当時、最新の医療が行われていたことを伝える貴重な建造物です。

旧林療院本館の左手に位置する木造2階建の建物は「旧林療院看護婦棟」。もとの足軽長屋を改造したものといわれる簡単な佇まいの建屋で、全体に旧態を良く伝えており、本館・レントゲン棟と共に、国登録有形文化財となっています。

同じく国登録有形文化財の建物で、郡上八幡城に近接する市街地に建つ「旧堀谷医院」。道路に面した建物正面は、大正9年(1920)の建築当時の状況を残した木造二階建。外壁コンクリート洗出しで、繰形の上に2階が張り出し、屋根は鉄板葺き。

 玄関ポーチの持送りと、正面欄間に漆喰で意匠を凝らし大きなアーチ形の窓に目を奪われます。

黒漆喰による重厚な外観の「直井家住宅土蔵」。 桁行3間、梁間2間、屋根は東西棟の切妻造:鉄板葺きで、腰壁はモルタル塗の洗出しになっており、こちらも国登録有形文化財の指定。

最後は大正9年(1920)に 郡上郡八幡町に「郡上税務署庁舎」として竣工された建物で、昭和62年(1987)に八幡町指定文化財に指定されていました。1991年の改修後、博物館の「郡上八幡博覧館」として開館。郡上八幡の近代建築再生の第1号とされ、現在の外観はほぼ竣工当時のもので、館内では郡上踊りの実演もあります。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日


郡上八幡城 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市八幡町柳町、八幡山の頂上に建つ「郡上八幡城」。戦国時代末期の永禄2年(1559)、『遠藤盛数』によって砦が築かれたのが「郡上八幡城」のはじまりとされています。古名を「積翠城(せきすいじょう)」「虞城(ぐじょう)」とも称しました。

寛文7年(1667)、6代城主『遠藤常友』の修復によって、幕府から城郭として格上げされ、のちに井上氏、金森氏と相次いで入部。宝暦5年(1755)の大規模な農民一揆で12代城主『金森頼錦』がお家断絶に追い込まれると、金森氏に代わって、丹後の宮津から『青山幸道』が転封。城下の殿町に居館を築き、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸、松の丸と改められました。

明治6年(1873)の「廃城令」により、郡上八幡城は石垣を残してすべて取り壊されましたが、昭和30年(1955)に城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指定。

現在の天守は、大垣城を参考に昭和8年(1933)に再建。全国的にも珍しい木造の模擬天守で、現存する木造再建城としては日本最古であり、昭和62年(1987)に市の有形文化財に指定されました。

城内の一画に据えられた「赤髭作兵衛の力石」。この石にまつわる伝説の内容が・・切ないと言うか・・純真素朴と言うか、気になる方はググって下さい😓

城山公園内に建立されていたのは、昭和12年(1937)の「国民文学」に掲載された『千代国一』の歌碑。

【 城の垣  苔生枯れつつ積む石の 容さながら 歳月を負ふ 】

見晴台から見下ろした城下町のたたずまいは、見る角度によって町の形が魚のように見えるとか・・でもそんな風に見るには、天守閣のような高い位置からでないとダメなのかも。

私たちに限っていうなら、お城は、展示品よりもお城そのものを眺めているほうが好き。とはいえ、全部を見るには時間も体力もかなり不足。結局後になって、あれもこれも見残した事に気がついてガッカリするのですが・・そんなガッカリにも慣れた気がする今日この頃😄

郡上八幡城案内図の横に、日中の日差しの下で無いと遠慮したい「首洗い井戸跡」なるものが残されています。慶長の合戦に際して討ち取られた敵方の首についた血や泥を洗い浄めていたと云います。「首洗い」という言葉から連想されるイメージは血なまぐさく、恐い・・ですが、きちんと洗い清める事に武士の心を感じます。

城近くの駐車場から公園まで下ると、「山内一豊 千代」の像が出迎えてくれます。傍らの説明によれば、郡上市の「慈恩寺」が所蔵する遠藤氏の系図に、『遠藤盛数』の娘が山内一豊室であるとの記載があったことから、千代が盛数の娘であるとする説が有力視されています。それをもって、郡上八幡は千代の出生の地となっています。

公園の一隅に「円空の癒しの水」と呼ばれる湧水があり、穏やかな微笑みを浮かべた「円空仏」が訪問者を見守っています。美濃路の旅の随所で出会う「円空仏」さん。いつ何時見ても、心にやさしく微笑みかけて下さいます。

訪問日:2012年5月20日


飯島(いいじま)八幡神社 in 岐阜県白川村

2020年05月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

白川村飯島に鎮座される「飯島(いいじま)八幡神社」。主祭神は『応神天皇』と思われます。昨日の「鳩谷八幡神社」が白川村鳩谷。こちらは白川村飯島と地区名は異なっていますが、両社は全くの隣同士に鎮座されています。

 

神社庁のページに「寛永三年十月創祀、明治四年九月村社に列格。」

拝殿前には量産型狛犬も含めて二対の狛犬さんが奉納されており、飯島区の産土神として崇敬されています。

 

ぷっくらとした顎、取って付けたような太い眉、体に似合わず小さな耳・・何だろう?全体的な印象は「カ・ワ・イ・イ!😆」

丁寧に捩じりあげられた尾も、お見事😄

「飯島八幡神社」、「鳩谷八幡神社」、合掌造り集落の「白川八幡神社」の三社は、ともに飛騨国の庄川流域一帯の鎮守の神でもあったようです。先の二社同様、毎年10月18日19日にどぶろく祭りが行われますが、実はどぶろく祭りには順番があって、飯島の祭礼は、白川、鳩谷に続いて3番目なんだそうです。

村の天然記念物に指定されている「八幡神社の榎」。白川村公式HPに「文亀3年(1503)に神木として生じて約500年の歴史を有する巨大老木。古来より春に各枝がまちまちに新芽を開くのが特徴で、各枝が一度に開くと当集落に災難が起こる兆しありと言われている。~中略~一度に紅葉するときは他集落に災難が起こる兆しがあることを知らせる不思議な神木として、古来より護持し今日に至っている。」

参拝日:2012年5月19日


鳩谷(はとたに)八幡神社 in 岐阜県白川村

2020年04月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

白川村鳩谷に鎮座される「鳩谷(はとたに)八幡神社」。御祭神は『応神天皇』。鳩谷区の産土神として崇敬されています。

 

「勧請年代は不詳であるが盤座(神馬の尻もち岩)をもつ事から、古い形の産土神でもある。文亀年中より永正年間(1504~1520)にかけて社殿を再興したと伝えられており、社殿に向かい右手脇にはハラエドや、社殿前には大杉が連立する神を迎える依り代があり、その手前には木製鳥居をたてて神域を現わしている。」白川村役場公式HPより 

参道途中より神域を守護されるのは関西系を思わせる狛犬さん一対。建立年は不明ですが、ふっくらとした体つき、大口を開けて笑っているような阿形さんの顔立ち、いずれもとても穏やかでなごみます。

 

拝殿貫彫刻は、かなり毛色の変わった象・・・だと思うのですが

耳の穴が見えれば「獏」、穴が見えなければ「象」となっているのですが・・そもそも、耳は何処??

古代信仰の名残ともされる盤座「神馬の尻もち岩」。案内に「神代の昔、天空を翔けた神馬がたまたまこの地に飛来し、風光明媚な様子に見とれて休もうとした際誤って尻もちをついたのがこの岩であるという。岩の左手に馬の頸跡中央の四ヶ所に踏んばった蹄の跡が見られる。」

境内の奥に「麝香(じゃこう)杉の湧水」。説明に飛鳥時代の頃より神社正殿真下より湧き出た清水であったが、室町時代に境内の麝香の大杉を伐り倒したとき、根本から更に大量の水が湧き出した。」

 

同神社で10月16日17日に行われる「どぶろく祭り」のどぶろくは、毎年1月末の寒のとき、麝香杉の名水を使って酒に造り込むそうです。

参拝日:2012年5月19日