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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県香美町

2023年09月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

美方郡香美町(かみちょう)は兵庫県の北部に位置し、日本海に面する自然豊かな町です。2005年4月1日、城崎郡香住町、美方郡美方町・村岡町が合併して誕生しました。豊岡市、養父市、新温泉町と、さらに県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。兵庫県の町としては一番広い面積を有し、町全域が山陰海岸ジオパークに属する他、町内に山陰海岸国立公園、氷ノ山後山那岐山国定公園の一部を有しています。(山陰海岸国立公園は、京都府の網野海岸から兵庫県但馬御火浦を経て鳥取県の鳥取砂丘までの日本海に面する75km。)

町名は「香住町」の「香」と「美方町」の「美」を合わせた合成地名。「町の木:ブナ・椎」「町の花:桜・ユウスゲ」を制定。

キャッチフレーズは「美しい山・川・海 人が躍動する 交流と共生のまち」

余部地区に設置されていた「旧香住&旧村岡町の花:ツツジ」「旧美方町の鳥:鶯」「旧美方&旧香住の花:シャクナゲ」がデザインされた仕切弁。

2005年7月5日制定の町章は「香美町の「カ」「ミ」を図案化し、自然豊か な山々と町内を南北に流れる矢田川が日本海へ 注ぎ込む風景をデザインしている。 下部の穏やかに曲がった3本の線で住民がい きいきと躍動し、交流、共生する姿をイメージ しており、香美町の掲げる「美しい山・川・海 人が躍動する 交流と共生のまち」を象徴的な 姿で表現している。」公式HPより

合併した新自治体のマンホールは、どうしても新たに設置されるまでに時間がかかります。まれに見つけられても、殆どが上水道関連の蓋です。

香美町マスコットキャラクター『ジオンくん』。ジオパークの見どころ、食べどころをPRするために生まれました。チャームポイントはサイのツノ。町内の楽しい情報、おいしい情報をアンテナ代わりにキャッチします。

2011年3月に香住漁港で水揚げされた『かすみちゃん』『松葉君』。香住はカニの町で9月から翌年5月末までカニ漁があり、香住のカニをPRするため日々がんばっています。

おっとりした性格で、人なつっこい『活イカくん』。イカの活きつくりや、新鮮で美味しい活イカ料理をPRするため活動しています。

顔出しですが・・香美町のローカルヒーロー『香美超戦隊オジレンジャーGEO』『スッポンイエロー&ギュウレッド&チョウザメブルー』、いずれも出身地の香美町小代の特産品に因んでいます。

香美町は、人口に対するゆるキャラ率が高いことから「ゆるキャラ日本一のまち」と呼ばれ、他にも「但馬牛子」「但馬牛太郎」「漁師小僧」などが存在しているようです。これだけマンホール画像が無いと「ご当地マンホール」ではなく「ご当地キャラクター in ・・」が正解かも😅

撮影日:2014年11月15日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧日高町(豊岡市)

2023年09月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧城崎郡日高町(ひだかちょう)は兵庫県の北東部に位置した町です。豊岡市、養父市、竹野町、出石町、村岡町に隣接。奈良、平安時代には、但馬の役所である国府庁や聖武天皇の詔勅による国分寺、国分尼寺が建立され、但馬の中心地として栄えていました。町の東部を円山川が北流し、西部には国民体育大会冬季スキー競技会が開催された神鍋高原があり、西日本屈指のスキー場として知られるようになりました。「町の木:モミジ」「町の花:しゃくなげ・ツツジ」を制定。

豊岡市日高町伊府には、国民栄誉賞を受賞した「植村直己記念館」があり、彼の冒険を支えた装備品などが展示・収蔵されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、気多郡日高村・国府村・八代村・三方村・西気村が発足。

1894年、西気村大字名色村・十戸村・頃垣村・石井村・山宮村・栃本村・神崎村が分立して気多郡清滝村が発足。

1896年、郡制の施行のため、城崎郡・美含郡・気多郡の区域をもって、城崎郡が発足。

1925年、日高村が町制を施行し城崎郡日高町となる。

1955年、養父郡宿南村大字赤崎・浅倉を編入。

1955年、城崎郡日高村・国府村・八代村・三方村・西気村・清滝村が合併、改めて日高町が発足。

1958年、日高町大字上佐野が豊岡市に編入される。

2005年、豊岡市・城崎郡城崎町・竹野町・出石郡出石町・但東町と合併、豊岡市日高町となりました。

マンホールには神鍋高原を元気に走る「ウサギ」と、雪の結晶が描かれています。

国府地区のマンホールには、但馬国府寺跡で発掘された軒丸瓦と軒平瓦の模様が描かれています。

「歴史博物館但馬国府・国分寺館」の幟

清滝地区のマンホールには、神鍋溶岩流渓谷にある「八反滝」と「桜」が描かれています。

三方地区のマンホールには、清流を泳ぐ「鮎」と、周囲に「町の木:モミジ」が描かれています。

昭和31年5月3日制定の町章は「日高町の平仮名の頭文字「ひ」を図案化したものです」

私たちがこの地区を訪問したのは3月末でしたが、「道の駅・神鍋」付近はまだ一面の雪景色。普段、雪を目にする機会の無い私にとって、この季節に雪を見るなんて滅多にない経験。ついつい嬉しがって、綺麗に降り積もった雪の中に足を突っ込んだりと大はしゃぎ(^^♪

撮影日:2011年3月30日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧但東町(豊岡市)

2023年09月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧出石郡但東町(たんとうちょう)は兵庫県の北東部、但馬地域に位置した町です。町の西が出石町、和田山町に、東・南・北で峠を挟んで京都府福知山市、京丹後市、夜久野町、加悦町、野田川町と隣接。町域に占める山林・原野の割合は総面積の87.6%で、典型的な山間農業地域となっています。京都府に突出しているという地理的条件から京都文化の影響が非常に強く、特に特産である絹織物は京都西陣と深い関係があり、古くから地場産業として発展してきました。そこで織られた「但馬ちりめん」を京都へ搬出した事から、 街道は人・経済・文化の交流する「絹の道」となりました。「町の木:ケヤキ」「町の花:三つ葉つつじ」を制定。登尾トンネルの壁画は、但東町中山地区にある「日本・モンゴル民族博物館」

明治22年(1889)、町村制の施行により、出石郡合橋村・資母(しも)村・高橋村が発足。

1956年、出石郡合橋村・資母村・高橋村が合併、出石郡但東町が発足。

2005年、豊岡市・出石郡出石町・城崎郡城崎町・竹野町・日高町と合併し豊岡市但東町となりました。

マンホールには、日本列島と但東町の経度・緯度、「町の花:ミツバツツジ」が描かれています。

但東町栗尾にある子午線通過の標識、動物と標語は、その年毎の干支に変えられているそうです。

昭和35年9月30日制定の町章は「但東町の平仮名の頭文字「た」を図案化したものです。」

卵かけご飯専門店「但熊(たんくま)」。知る人ぞ知る「とっても美味な卵かけご飯」が食べられるお店なんだそうです。御亭主殿、かなり心動かされたようですが、生卵が苦手な私が一緒なので諦めたんだと・・何度も愚痴られました(笑)

撮影日:2011年3月31日&2014年11月14日



ご当地マンホール in 兵庫県旧竹野町(豊岡市)

2023年09月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧城崎郡竹野町(たけのちょう)は兵庫県の北部、日本海に面した町です。豊岡市、城崎町、日高町、村岡町、香住町に隣接。集落は竹野川に沿って散在しており、昔から海の幸、山の幸に恵まれていました。江戸時代から明治時代にかけて北前船の寄港地として栄え、竹野浜一帯は「竹野の大浜」と呼ばれ、全国の廻船業者が軒を連ねていたと言います。「町の木:黒松」「町の花:椿」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、美含郡竹野村・中竹野村・奥竹野村、気多郡三椒村が発足。

1896年、郡制の施行のため、城崎郡・美含郡・気多郡の区域をもって、改めて城崎郡が発足。

1955年、城崎郡竹野村・三椒村・中竹野村・奥竹野村が合併、改めて竹野村が発足。

1957年、竹野村が町制を施行、城崎郡竹野町となる。

2005年、豊岡市、城崎郡城崎町・日高町・出石郡出石町・但東町と合併、豊岡市竹野町となりました。

マンホールには、江戸時代に活躍した「北前舟」が日本海を進む様が描かれています。

昭和32年4月1日制定の町章は「アルファベットの頭文字『T』を、鷹になぞらえて図案化したものです。」

眼下に竹野海岸を見ながら、急カーブが連続する道をひた走っていると、驚くような場所に、平家の豪勇たちが辿り着いたという伝承の地「田久日の集落」の案内を発見。そこに下りる県道筋の草むらには才の神奉斎の古跡

昭和40年にこの海岸道路が開通するまでは、海岸沿いの険しい山道を徒歩で移動するか、または船で移動する以外交通手段が無く、陸の孤島と呼ばれた田久日集落。外部との折衝を断って暮らす平家の隠れ部落としては、絶好の立地だったのかもしれません。

撮影日:2010年11月4日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧城崎町(豊岡市)

2023年09月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧城崎郡城崎町(きのさきちょう)は兵庫県の北東部に位置した町です。豊岡市、竹野町に隣接。円山川の西岸に沿った市街地には関西の奥座敷として知られる「城崎温泉」があり、北近畿の温泉の名所として冬の味覚のカニ料理と共に観光客に人気です。町域には、日本国内では城崎のみで生産され、300年の歴史を持つ「城崎麦わら細工」があり、兵庫県伝統的工芸品、および豊岡市無形文化財に指定されています。「町の木:しだれ柳」「町の花:アヤメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、城崎郡湯島村・内川村が発足。

1895年、湯島村が町制施行・改称し城崎郡城崎町となる。

1955年、城崎郡内川村と合併、改めて城崎町が発足。

2005年、豊岡市、城崎郡竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と合併、新)豊岡市が発足。

マンホールには、「文芸館方面への矢印」「大谿川に架かる愛宕橋と和服の女性」「町の木:しだれ柳」が情緒豊に描かれています。

モノクロバージョンは「大谿川に架かる愛宕橋」「梅」「町章」がデザインされています。

「愛宕橋」

昭和61年2月1日制定の町章は「城崎町の片仮名の頭文字『キ』を図案化したものです」

四隅のマークが不明の消火栓

温泉街では必ず見つけられる「湯」の小型蓋。今回のは分湯栓。

城崎温泉観光協会マスコットキャラクターは、コウノトリの『翔(しょう)くん』『舞ちゃん』。ついでに城崎温泉ではこんなキャラクターが、急な飛び出しを注意してくれます(⌒∇⌒)

今回は京都の丹後から城崎温泉に向かった為、予定外の山越え(^^;)。車泊を楽しむようになって、少々の山越えも平気になりましたが、それでもやっぱり山道は苦手。出来れば広くて平坦な道を走りたい(笑)。道路標識に兵庫県の文字を見た時は、さっきまで走った道が京都府域であった事を改めて認識しました。

撮影日:2010年11月4日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧出石町(豊岡市)

2023年08月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧出石郡出石町(いずしちょう)は兵庫県北東部に位置した町です。豊岡市、養父市、日高町、但東町、和田山町に、さらに県を跨いで京都府京丹後市に隣接。町名は但馬開発の祖神とされる『天日槍命』の宝物、「出石小刀」に起因したといわれています。江戸時代以降、小出、松平、仙石氏が相次いで居城、五万八千石の城下町として栄えてきました。現在も残る風情のある町並みは「但馬の小京都」と呼ばれ、出石城址などと共に、多くの観光客に人気のスポットです。「町の木:もみじ」「町の花:テッセン」「町の日:6月4日」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、出石郡出石町・室埴村・小坂村・神美村が発足。

1957年、出石郡出石町が、室埴村、小坂村、神美村大字宮内・坪井・袴狭・口小野・奥小野・安良・田多地と合併、改めて出石町が発足。

2005年、豊岡市、但東町、城崎郡城崎町・竹野町・日高町と合併、豊岡市出石町となりました。

マンホールには、出石町のシンボル「辰鼓楼」と、「町の花:テッセン」が描かれています。

出石伝統的建造物群保存地区に設置された「辰鼓櫓」と「町の木:モミジ」がデザインされた「仕切弁」&「消火栓」。

出石伝統的建造物群保存地区に設置された「電気」&「電話」のマンホール。「辰鼓櫓」を背景に美しい町並みがデザインされています。

明治時代初期に時計台として建てられた「辰鼓櫓」

昭和33年2月14日制定の町章は「出石町の頭文字「い」を図案化したもの。」

旧出石藩主:仙石氏の「無の字紋」の側溝蓋

「いなり」と刻まれた、有子山稲荷の鉄蓋

撮影日:2011年3月31日&2014年11月21日

 


ご当地マンホール in 兵庫県豊岡市&旧豊岡市

2023年08月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

豊岡市(とよおかし)は兵庫県の北部、但馬地域の中心に位置する市です。2005年4月1日、旧豊岡市・城崎郡城崎町・竹野町・日高町・出石郡出石町・但東町が合併し、新たに豊岡市が発足しました。養父市、朝来市、香美町、また県を跨いで京都府京丹後市、福知山市、与謝野町に隣接。兵庫県で最も面積が大きく、市域の約8割を森林が占め、山岳部は氷ノ山後山那岐山国定公園に。北は日本海に接し、海岸部は山陰海岸国立公園に指定され、多彩な四季を織りなす自然環境に恵まれています。市全域が山陰海岸ジオパークに含まれており、市内中央部には但馬最大の豊岡盆地が広がっています。また、日本で最後の野生コウノトリの生息地として知られており、市をあげて、保護・繁殖・共生の事業が行われています。「市の木:柳」「市の花:チューリップ」「市の鳥:コウノトリ」「市の両生類:山椒魚」「市の石:玄武岩」「市の魚貝:カニ」を制定。

キャッチフレーズは「コウノトリ 悠然と舞う ふるさと」

2005年7月10日制定の(新)市章は「文化、自然豊かな6つの市町が統合し、新「豊岡市」が誕生することにちなみ、豊岡市の「と」の字をベースに、6つの市町が一つになり、未来に伸びていく願いを込め、活気に満ちた「6つのライン」で表現されています。青色は明るい未来の象徴です。」公式HPより

豊岡市マスコットキャラクター『玄武岩の玄さん』。玄武洞公園で生まれた推定年齢160万歳のちょっと頑固で石頭のおっちゃん。豊岡市観光と山陰海岸ジオパークのPRのため色々と頑張っています。

おなじく、豊岡市マスコットは、市の鳥:コウノトリから生れた『コーちゃん』。お魚、カエル、バッタが好物。市の両生類:オオサンショウウオから生れた『オーちゃん』は、お魚、カニなどが好物ですが、自分から捕りにいかないので、目の前を通るまで待ってます(笑)

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旧豊岡市(とよおかし)は兵庫県の北部、但馬地域の中心に位置した市です。城崎町、竹野町、日高町、出石町に、又県を跨いで京都府京丹後市に隣接。地場産業として、全国の4大産地の一つである鞄の生産量が日本一。また日本唯一の鞄産業の集積地としても知られています。豊岡市で作られた鞄は「Made in JAPAN」・「Made in TOYOOKA」として、豊岡市の産業・観光の一役を担っています。「こうのとり郷公園」の駐車場でこのラッピングバスを見た時は感動しました。「市の木:柳」「市の花:コスモス」「市の鳥:コウノトリ」を制定

明治22年(1889)、町村制の施行により、城崎郡豊岡町・八条村・三江村・田鶴野村・五荘村・新田村・奈佐村・港村・気多郡中筋村が発足。

1933年、城崎郡豊岡町が八条村、新田村大字立野を編入。

1943年、城崎郡豊岡町が田鶴野村、三江村を編入。

1950年、城崎郡豊岡町・五荘村・新田村・中筋村が合併、豊岡市が発足。

1955年、城崎郡奈佐村・港村を編入。

1957年、出石郡神美村大字奥野・市場・三宅・森尾・立石・香住・下鉢山・上鉢山・長谷・倉見を編入。

1958年、城崎郡日高町大字上佐野を編入。

1976年、城崎郡日高町大字西芝字大向野の一部を編入。

2005年4月1日、城崎郡城崎町・竹野町・日高町・出石郡出石町・但東町が合併、改めて豊岡市となりました。

マンホールは中央に旧市章のある規格物のみ。

昭和25年8月10日制定の旧市章は「頭文字『T』と、旧藩主・京極氏の家紋「平四つ目結」を組み合わせて図案化したもので1906年1月1日に豊岡町章として制定され、市制施行後に初代の市章として継承されました。」合併協議会資料より

カラー仕切弁、消火栓には、赤ちゃんを運ぶ可愛いコウノトリと、「旧市の花:コスモス」が描かれています。

特別天然記念物「コウノトリ」

旧豊岡市の花:コスモス

旧豊岡市の木:柳

国土地理院:水準点

撮影日:2011年3月30日&2014年11月21日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧関宮町&旧大屋町(養父市)

2023年08月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧養父郡関宮町(せきのみやちょう)は兵庫県中北部、円山川の支流である八木川の中上流域に位置した町です。村岡町、美方町、八鹿町、大屋町、県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。町域は豪雪地帯として知られ、兵庫県の最高峰でもある氷ノ山の北斜面に位置する「氷ノ山国際スキー場」は県の国体予選会、高校総体、中学総体のスキー会場となっています。「町の木 :キャラボク」「町の花 :ドウダンツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡関宮村、七美郡熊次村が発足。

1896年、七美郡が美方郡に変更。

1956年、養父郡関宮村・美方郡熊次村が合併、養父郡関宮町が発足。

2004年、養父郡八鹿町・養父町・大屋町と合併、養父市となりました。

マンホールには町章を中心に「鉢伏高原」「テントサイト」「町の木 :キャラボク」、周囲に「町の花 :ドウダンツツジ」がデザインされています。 

昭和32年4月1日制定の町章は「「せ」を極めて近代的感覚で図案化したもの」

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旧養父郡大屋町(おおやちょう)は兵庫県中北部、円山川支流の大屋川の中上流域に位置し、豪雪地帯として知られた町です。一宮町、波賀町、八鹿町、関宮町、養父町、朝来町と、県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。大屋町明延地区には平安時代初期の大同年間に採掘が開始されたと伝えられる明延(あけのべ)鉱山があり、日本一のスズ鉱山として栄えてきました。「町の木:モミジ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、養父郡口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村が発足。

1955年、養父郡口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村が合併、養父郡大屋町が発足。

2004年、養父郡八鹿町・養父町・関宮町と合併、養父市となりました。

マンホールには「但馬名三瀑」の一つで「日本の滝100選」にも選定された「天滝」を中心に、「町の木:モミジ」と「水芭蕉」「鮎」がデザインされています(マンホールは義姉から頂きました)

昭和30年5月20日制定の町章は「町の頭文字である「大」を図案化したもの」

撮影日:2014年11月16日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧養父町(養父市)

2023年08月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧養父郡養父町(やぶちょう)は兵庫県中北部に位置し、北流する円山川の中流域を占めた町です。出石町、八鹿町、大屋町、和田山町、朝来町に隣接。養父市場地区は良い水に恵まれた事、養蚕が盛んで副産物の蚕のサナギがふんだんにあった事などから、鯉の養殖が盛んに行われてきました。「道の駅やぶ」のウエルカムモニュメントは、旧キャッチフレーズの「鯉の里 やぶ」と、巨大な錦鯉のモニュメント。「町の木:山茶花」「町の花:紫陽花」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡広谷村・建屋村・養父市場村が発足。

1927年、 広谷村が町制を施行して広谷町となる。

1940年、養父市場村が町制を施行、改称して養父郡養父町となる。

1956年、広谷町・建屋村が合併し、養父郡明神町が発足。

1957年、明神町が養父町を編入のうえ改称、養父郡養父町となる。

1959年、朝来郡和田山町大字堀畑の一部を編入。

2004年、養父郡 八鹿町・大屋町・関宮町と合併、養父市となりました。

マンホールには左上に町章、囲い飼いで知られる「錦鯉」と「円山川:大屋橋」がデザインされています。

錦鯉のタイル画

昭和34年10月27日制定の町章は「「やぶ」を図案化したもの」

「鯉の里 養父」

養父市場地区の鯉の養殖の歴史は古く、江戸時代からとも、それ以前からとも伝えられています。もとは宿場町の郷土色豊かなごちそうとして供する為、食用の黒鯉を中心に鯉養殖が栄えました。その後、昭和12~13年ごろに新潟県から錦鯉を移入、鑑賞鯉の養殖も盛んになりましたが戦争の混乱期に一時衰退。その後、養殖は復活し、再び改良や増殖が盛んに行われるようになりました。

道の駅「やぶ」の記念スタンプ

円山川:大屋橋の錦鯉のレリーフ

撮影日:2011年3月31日&2014年11月16日

 


ご当地マンホール in 兵庫県旧八鹿町(養父市)

2023年08月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧養父郡八鹿町(ようかちょう)は兵庫県の中北部、円山川と八木川が合流する盆地に位置した町です。日高町、出石町、村岡町、養父町、大屋町、関宮町に隣接。舟運が物流の主役だった時代は船着場として栄え、江戸時代後期に但馬で養蚕が盛んになると、繭や生糸の集散地として発展してきました。町域には財を成した八鹿商人を偲ばせる建物も残されています。日高町、出石町、村岡町、養父町、大屋町、関宮町に隣接。「町の木:杉」「町の花:ツツジ」を制定。現養父市の中心地であり、養父市役所が置かれています。

明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡八鹿村・高柳村・伊佐村・宿南村が発足。

1913年、八鹿村が町制を施行、養父郡八鹿町となる。

1955年、養父郡八鹿町・高柳村・伊佐村・宿南村が合併、改めて八鹿町が発足。

2004年、養父郡養父町・大屋町・関宮町と合併、養父市八鹿町となりました。

マンホールには、町章を中心に、町の花「ツツジ」が描かれています。

仕切弁にも、「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和30年4月1日制定の町章は「「八」・「カ(鹿)」を円形にして図案化したもの。」

 

八鹿町道路元標

町屋の卯建屋根に施された波乗り兎の細工瓦。兎は月、波は水に結びつくことから火除けの呪いとして、倉や家屋の飾り瓦によく見られる意匠です。

こちらの仕切弁は、上記の仕切弁等と同じ旧八鹿町域に有ったものですが、ツツジの下のデザインが他の自治体の知章に見えます。詳細をご存知の方、是非とも情報をお寄せください。

撮影日:2011年3月31日&2014年11月21日

2011年3月の但馬方面の車泊旅では「道の駅・ようか 但馬蔵」にて車中泊をさせて頂きました。直売所の野菜はどれも新鮮で、お土産用のスィーツはどれもお洒落、ついついお財布の紐が(^^;)

車で旅をする私たちにとって、こうした場所は本当に有難く大切な場所です。改めて、その折には有難うございました。